鴻門の会
黄石が若いのは劉肥から寿命を取っているからです。
劉邦の元から戻ってきた項伯は項羽にこう報告した。
「沛公が先に関中を破らなければ、我々は入ることができませんでした。今、人に大功があるというのにそれを撃てば、不義となります。大功を理由に善く遇すべきです」
(一体、何を言っているのか?)
范増は項伯を睨みつけながら思う。そもそも友である張良のために単身、彼の元に出向くという行為は当時の価値観では奇妙と言わざる終えない。范増からすれば項伯は奇人である。
「ふむ、叔父上の言は承知した」
その点、身内の言葉を基本信じるという項羽のが常識人である。
(だがここは常識的であっては困る)
范増は諌めるために言を上げようとした時、
「報告します。沛公がやって来ました」
と兵が告げてきた。
(なんだと?)
范増を始め、項伯はびっくりした。あまりにも早すぎる到来である。
「こちらへ招け」
項羽も驚きつつそう言った。
(まずい、怒りよりも驚きの方が強くなっている)
劉邦は謝罪ということにおいては天才的である。彼は謝罪において先ず、相手に驚きを与えることが謝罪においての最大の工夫であると思っている。
劉邦は百余騎を率いて項羽が陣を構えている鴻門に至った。
「張良殿以外はここに残れ、いいな?」
「承知であります」
灌嬰が敬礼するのを横目に劉邦は項羽の陣幕に入った。そして、すぐさま、膝を付き、両手を付き、謝罪した。
「この度は大変、申し訳ございませんでした」
ここまでのなんという無駄のない流れであろうか。それにより、場に沈黙が生まれた。特に項羽は困惑した。彼は今まで劉邦という奇妙な人間に会ったことがない。いや会ったことがある人の方が少ないのが普通である。しかし、彼の場合は若さ故に人を見抜き関わることの成熟不足であるとも言える。
この辺は趙盾と同じで彼も若くして高い位につかされて人として成熟させる期間を与えられなかった。立場は人を育てるとは言うが、それには危険性もあるということは子産も指摘したことのあるように難しいところがある。
その辺、項梁は余りにも早く死んでしまったと言え、項羽はあまりにも才能に溢れすぎた。
そんな項羽にとって奇妙な人である劉邦が言った。
「私と将軍は戮力(協力)して秦を攻め、将軍は河北で戦い、私は河南で戦い、図らずも先に関に入って秦を破り、またここで将軍と会うことができました。ところが今は小人の言によって将軍と私の間に隙(間隙。対立)が生じてしまいました」
謝罪をしようとしているのと同時に裏切りを行っている者をあぶりだそうとしている。劉邦の口の上手さはこういうところにある。
奇妙な人という印象と驚きで頭が回っていないのか項羽は、
「沛公の左司馬・曹無傷が言ったのだ。そうでなければ、私がこのようにすることはなかっただろう」
とあっさりと話した。
(何を簡単に伝えているのか)
范増は項羽を見たが、項羽は彼を見ようとしない。
一方、劉邦は、
(曹無傷の野郎がか)
だいたい裏切った理由を察しつつも侘びを入れるには成功しただろうと思っていると范増が言った。
「せっかくですので、沛公を交えて酒宴でも如何ですかのう」
劉邦はちらりと范増を横目で見てから後ろの張良殿の見た。張良は静かに頷いたため、劉邦は同意した。
「酒宴ですな。実に楽しみですなあ」
こうして酒宴を開くことになった。
項羽と項伯は東を向いて座り、范増は南を向いて座り、劉邦は北を向いて座り、張良は西を向いて侍坐した(「劉邦に従って坐った」という意味)。
古代の席次では、部屋の西側に座って東を向く席が最上位とされており、次は南向き、次は北向きで、西向きの席が最下位であった。これは古代の多くの家屋が東に戸をつけていたためである。部屋の奥になる西の席が上座、入り口に近い東の席が下座になる。
鴻門の会では劉邦が客であるため、本来は劉邦が上座に坐るはずであった。しかし項羽が自ら上座に坐り、次席には亜父の范増が坐った。項伯も上座に坐ったのは項羽の叔父であるためと思われる。客である劉邦を北向きに坐らせたことで、項羽と劉邦の主従関係を明らかにさせた。劉邦に従う張良は末席になる。
酒宴が始まり、劉邦は自らの酒癖を把握しているのかちびちびと飲んでいく。
(これほど居心地の悪い酒もねぇなあ)
そんなことを呑気に考えていた。
一方、范増はしばしば目で項羽に合図を送ったり、身につけていた玉玦を再三手で持ち上げた。「玦」は玉環の一部が欠けた形をしており、「玦」の字は「決」にも通じるため、「決裂」「決別」を意味する。
范増は玉玦を使って劉邦との決別を示唆したのである。
しかし項羽は黙ったまま応じようとはしなかった。この辺の項羽の心理はどういうことなのだろうか。ここで劉邦を殺すことを卑怯だと思い、やらないのか。それとも劉邦如きほっといても良いという見下しなのか。
(それともそこまで沛公を嫌っていないのか)
張良からすると劉邦も奇妙な人であるが、項羽も奇妙な人である。
らちがあかないと思った范増は立ち上がって酒席から出ると、項荘(項羽の従弟)を招いて言った。
「君王(項羽)の性格故に忍ぶことができないでいる(手を下せないでいる)。汝が入って寿を祝って酒を献じよ。寿が終わったら剣舞を請い、それを機に沛公を席で撃って殺せ。そうしなければ、汝らは皆、沛公の虜(捕虜)となるだろう」
そこまでのことがあるのかと項荘は思ったに違いないが、同意した。この時点でもっとも劉邦を危険視しているのは范増だけであった。
項荘は宴席に入って寿を祝い、こう言った。
「将軍と沛公が宴を開きましたが、軍中には楽(娯楽)とするものがございません。一つ、私に剣舞を披露させてください」
「良かろう」
項羽の同意で項荘の剣舞が始まった。それを見ていた項伯は、
(殺気がある)
と思い、項伯は剣を抜いて彼も舞を始めた。
ぎょっとしつつも項荘は劉邦を殺そうとする。しかしそれに合わせて、項伯はしばしば体を張って沛公を守る。
(何をしているのか)
范増は項伯をきっと睨みつける。
(范増殿らしくありませんぞ)
いつの時でも王道を示していた人の策とは思えないと思いながら項伯を剣で項荘を防ぐ。
「流石に激しすぎるようなあ……」
劉邦は剣舞を楽しんでみていた一方でそんなことを考えていると張良は密かに范増の目が剣舞の二人を見ている隙を見て、席を外して軍門に行き、樊噲に会った。
今、どうなっているのかと気が気ではない樊噲は、
「今日の事はどうなっていますか?」
と問いかけると張良は、
「急を告げています。今、項荘が剣を抜いて舞を始めており、その意思は常に沛公にあります(沛公を撃つことが目的です)」
と言った。すると樊噲は胸を張り、筋肉を膨張させて、
「それほど緊迫しているとは、私に入らせてください。沛公と共に生死を共にせん」
と言うと、剣と盾を持って軍門を入ろうとした。
軍門を守る戟を持った衛士が驚きつつも樊噲を止めようとしたが、樊噲は盾を持って、彼らを押し倒して進み帷幕を引いて中に進んだ。
樊噲は西を向いて立つと目を見開いて項羽をにらんだ。その様は、頭髪は逆立ち、大きく開いた目尻は裂けるほどであった。
突然現れた男に項羽が剣に手を置いて膝で立ち、
「客は何者か?」
と問うた。すると戻っていた張良が言った。
「沛公の参乗・樊噲でございます」
樊噲は鼻息を荒くする。その姿に、項羽は笑い、
「壮士である。彼に巵酒(一杯の酒)を与えよ」
樊噲に一斗の酒が与えられた。樊噲は拝謝してから立ち上がって酒を飲み干していった。
その堂々足る姿が気に入ったのか項羽は次に、
「彘肩(豚の肩肉)を与えよ」
と命じた。
樊噲に生の彘肩が与えられた。樊噲は盾で地面を覆って彘肩をその上に載せ、剣を抜いて切り取り、そのまま呑み込んだ。実に楽しそうに項羽は問うた。
「壮士はまだ飲めるか?」
樊噲は目を見開き言った。
「私は死を避けることもありません。巵酒を辞すことがありましょうか。秦には虎狼の心があり、人を殺したら殺し尽くせないことを恐れ、人に刑を用いれば、ことごとく罰せられないことを恐れたため、天下が皆叛しました。懐王は諸将と約束して、『先に秦を破って咸陽に入った者を王にする』と申されました。今、沛公は先に秦を破って咸陽に入られましたが、毫毛も近づけようとせず、宮室を封鎖し、軍を霸上に還して将軍を待ち望んでおりました。将を派遣して関を守らせましたのは、他の盗賊の出入りや非常事態に備えるためであり、このように労苦し、功も高いにも関わらず、封爵の賞を与えることなく、逆に細人(小人)の説(話)を聞いて功がある人を誅殺しようとされております。これは亡秦を継続させるのと同じであり、将軍にはそのようなことができないと思っています」
こうやって思うと彼は頭こそ単純な人であるが、それ故に言葉を飾ることはなく純朴な言葉を吐くことができる人である。
項羽はこれには答えず、
「坐れ」
と命じた。樊噲は張良に従って坐った。
樊噲が坐って暫くして、劉邦は立ち上がって厠に行くと告げた。そして、樊噲を呼び出して陣幕を出た。張良もそれに従う。
すぐに戻ってこなかったため、項羽は都尉・陳平を送って劉邦を呼び戻そうとした。
陣幕を出た劉邦は樊噲に言った。
「今、酒席から出て来たが、別れの辞を述べていない。どうすれば良いだろうか?」
樊噲はこう答えた。
「大事を行う時は細謹(小事)を顧みないものです。今は人方(相手)が刀俎(包丁)であり、我方(我々)は魚肉と同じようなもの。何の辞が必要でしょうか?」
(いやあ面白いことを言う)
下手に飾らない言葉故に面白みのある言葉と思いながら、劉邦は頷き、楚営を出ることにした。
「あとは張良殿に任せて、帰るとするか。全速でな」
張良が問うた。
「沛公は何を持ってきましたか?」
「ああ、蕭何が白璧一双と玉斗一双を持たしてくれたよ」
「沛公がさっさと出発致しましたので、蕭何様は大慌てでこれらを投げてきましたであります。なんとか受け止めることができましたので、傷が無くて良かったであります」
灌嬰はそれらを持ってきて、そう言った。
「取り敢えず、この白璧一双は項羽に、玉斗一双は范増に献上するとしよう。張良殿、任せてよろしいか?」
「謹んでお受けします」
鴻門から霸上まで四十里あり、劉邦は指示を出して、灌嬰を含めた車騎を鴻門に残し、自分は馬に乗って樊噲、夏侯嬰、靳彊、紀信の四人だけを連れて、駆けた。
四人は剣と盾を持って走り、驪山の下から芷陽を通り、間道に沿って霸上に向かった。
「さて、そろそろですね」
張良は密かに距離と時間を測ってから、陣幕に戻ろうとした。すると綺麗な顔をした無表情の男とその後ろに見覚えのある顔の男がいた。
「雍歯殿がおられるということは、あなたが陳平殿ですか?」
陳平は頷いた。
「お気遣い感謝します。項羽に言われてこの場にいるのでしょう?」
「今から告げても構いませんが?」
「あなたはそれをしない。そういう人だ。でしょう?」
張良の言葉に陳平は目をそらすとどこかへと歩いていく。
「今後も陳平殿の元に」
「ああ、わかっているがよう。なああの人はさ。なんか民を思いやれる人みたいだぜ」
雍歯はそう言うと、陳平の後を追った。
「そうですか。そういう人ですか……それならば大いに結構なことです」
張良は宴席に入り、謝辞を伝えて言った。
「沛公は桮杓(酒器)に勝てず(酒に弱いため)、挨拶ができませんでした。謹んで臣・良を派遣し、白璧一双を奉じて将軍足下に再拝献上し、玉斗一双を亜父足下に再拝奉上させました」
項羽が問うた。
「沛公はどこだ?」
「将軍に督過(譴責)の意思があるとお聞きし、身を脱して一人で去りました。既に軍中に入っていることでしょう」
「そうか……」
項羽は特に怒らず、璧を受け取って席の上に置いた。するとその時、割れる音が聞こえた。
范増が玉斗を地面に置き、剣を抜いて打ち砕いたのである。
「ああ、豎子(愚かな若者)とは謀るに足らないものだ。将軍の天下を奪うのは沛公に違いない。我々は今すぐ彼の虜となるだろう」
この慟哭はあまりに深く、最大の好機を失ったことを范増は誰よりも嘆いた。誰よりもそのことを知るが故の悲しみであった。
その悲しみと豎子とまで言われたにも関わらず、項羽は特に何も言わなかった。
(私にはこの項羽という人がわからぬよ)
張良は范増の慟哭に反応しない項羽を見ながらそう思った。




