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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第一部 動乱再び

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趙高

 ある日のこと。趙高ちょうこうは二世皇帝・胡亥こがいに鹿を献上して馬と言った。


 胡亥は左右の者に、


「これは鹿ではないか」


 と問うたが、左右の者は皆、


「馬です」


 と答えた。趙高の権力の大きさを恐れてのものである。


 驚いた胡亥は自分が惑乱していると思い、太卜を招いて卜わせた。太卜が言った。


「陛下は春秋に郊祀を行って宗廟の鬼神を奉じておられますが、斎戒が不明で敬虔ではないため、こうなってしまったのです。盛徳によって斎戒を明らかにするべきです」


 胡亥はこれに従い、上林苑に入って斎戒した。


 ある日、胡亥が上林苑で狩猟をして遊んでいると、ある者が上林に入って来た。胡亥は自ら矢を射てその者を殺してしまった。


 趙高は自分の女婿(娘婿)である咸陽令・閻楽を使い、


「誰かが人を害した」


 と弾劾させ、死体を上林に運ばせた。そして、趙高は胡亥を諫めて言った。


「天子が不辜(無罪)の人を理由もなく賊殺することは、上帝が禁忌としていることですので、鬼神が祭祀を受けなくなり、天が殃(禍)を降すことになるでしょう。遠く皇宮を離れて禍を祓うべきです」


 胡亥は望夷の宮に住むようになった。


 この頃、胡亥はある夢を見ました。白虎が左驂馬(馬車の左の馬)に噛みついて殺してしまうという夢である。


 目がさめた胡亥は心中不快になり、不思議に思って占夢の者に問うた。占夢の者は卜の結果、こう答えた。


「涇水が祟を為しています」


 胡亥は望夷宮で斎戒してから四頭の白馬を沈めて涇水を祀ろうとした。


 同時に趙高に使者を派遣して盗賊の事を譴責し始めた。


 趙高はこれを受けて秘かに壻(婿)の咸陽令・閻楽と弟の趙成と謀った。


「陛下は諫言を聴かず、事が急してから禍を私に帰そうとしている。陛下を置き換えて子嬰しえいを立てようと思うのだが、子嬰は仁倹(仁愛倹約)で、百姓がその言に従っていると聞いている。。どうだろうか?」


 実際は子嬰は呆けたような生活を送っており、趙高はそのことを知っていた。


 その後、趙高は郎中令である趙成を内応とし、大賊がいると偽って閻楽に官吏を招集させ、士卒を発して大賊を討伐するように命じた。同時に閻楽の母を捕まえて趙高の舍(府中)に置いた。裏切らせないためである。


 閻楽は吏卒千余人を率いて望夷宮の殿門に至り、衛令僕射(衛士の次官)を縛って言った。


「賊がここに入った。なぜ止めなかったか?」


 衛令(衛士の長)が答えた。


「周廬(皇宮周辺に設けられた衛兵の部屋)には士卒が厳重に配置されております。どうして賊が入宮できましょうか」


 閻楽はふっと笑うとその衛令を斬り、吏卒を率いて突入した。進みながら郎(郎官)や宦者を射殺していく。


 郎も宦者も大いに驚き、ある者は逃走し、ある者は抵抗して殺された。死者は数十人に上った。


 趙成と閻楽が一緒に宮中に入って皇帝が座る幄幃(帷幕)を射た。


 胡亥が怒って左右の者を呼んだが、左右の者は皆、恐慌して戦おうとせず、逃げていった。


 傍に一人の宦者だけが仕えて去ろうとしなかった。


 胡亥が室内に入って宦者に言った。


「汝はなぜ早く私に報告せず、こうなるまで何も言わなかったのか」


 宦者はこう答えた。


「私は敢えて言わなかったため、命を全うできたのです。私が早く言っていたら、既に誅されて今に至ることはなかったことでしょう」


 閻楽が乗り込んできた。彼は胡亥の前まで来て、譴責した。


「あなた様が驕恣(驕慢放恣)で、誅殺無道を行ったため、天下が共に秦に反した。あなた様は自ら計を為すべきです」


 胡亥は恐怖し、


「丞相に会うことができないか?」


 と藁に掴むような思いで言うと閻楽は首を振った。


「だめだ」


「私は一郡を得て王になりたい」


「だめだ」


「万戸侯になりたい」


「だめだ」


「諸公子と同じように、妻子と一緒に黔首(平民)になりたい」


(往生際が悪い)


「私は丞相の命を受けて天下のためにあなた様を誅しに来たのだ。あなた様が多くを語ろうとも、私が報告することはない」


 閻楽が兵に指示して前に進めた。胡亥は恐怖しながら剣を持ち、


「ああ、なんということか」


 と言って自殺した。


 閻楽が帰って趙高に報告した。


 趙高は諸大臣や公子を全て集めて二世皇帝誅殺の状況を告げ、こう言った。


「秦はかつて王国であったが、始皇帝しこうてい陛下が天下に君臨して帝を称された。今、六国が再び自立し、秦の地はますます小さくなっている。空名によって帝を称すべきではない。以前のように王と称すことこそふさわしいだろう」


 趙高は子嬰を招き、秦王に立てることを決定し、胡亥は黔首(民)の礼で杜南の宜春苑内に埋葬された。


「ついに来たか」


 惚けているという噂の子嬰はしっかりとした態度で、せんに言った。


「ええ、しかし安易に動いてはいけません。いいですね」


「ああ、わかっている。趙高は曲者であるからな」


「それでは私は趙高の手足となっている者をどうにかしますので、あとは事前の準備のように」


「承知した」


 旋は子嬰の元を去ると、どこぞの場所へ走っていく、数人の男たちが見えた。


「さて、案内してもらおうか」


 彼らの後を追った。


 男たちが入ってきたのは趙高の屋敷の近くにある森であった。


「やはり旋が子嬰の元にいたのか」


 男たちの報告を聞き、盗跖とうせき(七代目)が呟いた。


「趙高へ報告しなければな。子嬰は危ないと」


「そうはいかぬ」


 盗跖に向かって旋は小剣を投げた。


「ちっ」


 舌打ちした盗跖は配下の頭を掴み盾にし、蹴飛ばして跳躍し、距離を取る。


「逃がさぬ」


 立ちはだかろうとする盗跖の配下を切り捨てていきながら、旋は追いかける。


「なぜ、趙高に従うのか。利益にならんと思うがね」


「秦に母を殺されましたからね。壊したいんですよ。この秦を、そしてこの天下というやつを」


 旋の剣を盗跖は受け止めながら答える。


「なるほど、先代とは親子関係だったなあ。なら、殺したのは私だ」


「知っている。だから」


 盗跖は剣を突き出し、それがよけられると足払いし、転ばせ、


「あなたを誰よりも早く殺したかったのさ」


 倒れた旋に剣を突き立てた。


 しかし、旋は身体をひねり、それを避けるとそのまま盗跖の身体を差し貫いた。


「がっあぁ」


 盗跖の口から血が噴き出し、刺されたところから血が溢れていく。


「これでおしまいだ」


「いいや、盗跖は死なない。盗跖は不滅なのだ」


 そう言って、盗跖は事切れた。


「さて、これで子嬰様と私の関係を知らせる者はいなくなった。あとは趙高か……」


 剣から血を拭き取りながら旋は歩き出した。











 趙高は子嬰に斎戒させ、宗廟を参拝して玉璽を受け取るように指示した。玉璽は卞和の玉を使って作られた伝国の璽である。


 斎戒して五日目、子嬰は二人の子と謀って言った。


「趙高は二世皇帝を望夷宮で殺したから、群臣に誅されるのを恐れて義を偽って私を立てた。趙高は楚と約を結んでおり、秦の宗室を滅ぼしてから関中を分けて王を称するつもりであるとも聞いている。今、私に斎戒と廟の参拝をさせたが、これを機に廟内で私を殺すつもりだろう。私が病と称して行かなければ、趙高は必ず自ら来る。来たところを殺すぞ」


 趙高が人を送って何回も子嬰を招いたが、子嬰は動かなかった。


「盗跖の見張りはなんと言っている」


 趙高がそういうと配下の一人が言った。


「何も問題はないようです」


「そうか、では自ら行くとするか」


 趙高は自ら子嬰に会いに行くことにした。


「さあ仕上げだ」


 配下の一人に変装していた旋は呟いた。


 趙高は斎宮に行くと、


「宗廟の参拝は重事です。王はなぜ行かないのでしょうか」


 と問うた。それでも答えがないため、中に入ると扉は閉められ、兵が彼を囲んだ。そして、子嬰が趙高を指し貫こうとした時、旋が現れ止めた。


「おお、旋よ。この裏切り者め。何しに来たのか」


 趙高は叫んだ。


「趙高……なぜ、お前は始皇帝しこうてい陛下の意思に背いたのか」


 旋の言葉に趙高は笑った。


「はっははは、背いた。背いたと言われるか。この私に」


 狂ったように趙高は笑う。


「貴様は誰よりも、始皇帝陛下に愛されていたにも関わらず、それにも関わらずぅ」


 趙高は旋に向かって飛びかかろうとした。その瞬間、子嬰の兵たちが槍を突き出し、趙高を差し貫いた。


「わ、私は……殉じ…‥る……勇気が……な、なかっ……た……」


 趙高は事切れた。


(趙高……)


 誰よりも始皇帝の死を悲しんだのは彼だったのかもしれない。彼は始皇帝が死ぬのを間近に見た。そして、始皇帝に殉じようとした。しかし、それを行うことができなかったのではないか。そして、彼は殉じる勇気を得るため、秦国全体による集団自殺を行おうとしたのではないのか。


(皆で死ねば怖くないか……)


「君は真面目過ぎたのだ。始皇帝陛下への敬愛に……そして、己の悲しみに……」


 その後、子嬰は趙高の三族を滅ぼし、見せしめにした。




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