再会
三月、劉邦は酈商率いる陳留の兵と共に開封を攻めましたが攻略できなかった。その後、西に向かって秦将・楊熊と白馬(地名)で戦い、また曲遇東で戦って大破した。
楊熊は滎陽に走ったが、敗戦を知った胡亥が使者を送って斬首し、見せしめにした。
四月、劉邦は南の潁川(潁川郡。陽翟が治所。「潁川」ではなく「潁陽」)を攻めた。
「おお、張良殿」
そこには韓の領域を取り戻すために韓王・成と共に行動していた張良と再開を果たした。
「沛公、お久しぶりでございます」
張良が拝礼すると劉邦は彼の手を取り言った。
「ここまで来れたのはあなたのおかげだ」
すると張良は頭を振った。
「いいえ、沛公ご自身のお力でございます」
決して彼は恩を着せるような言動を取らない人だと思いながら劉邦を頷いた。
「あなたが沛公ですな」
そう言ったのは韓王・成である。彼は王族ではあるものの、王族として劉邦を見下すことはなく、温和であり礼儀正しい人であった。
「張良殿はあなたにお貸しします。私よりも張良殿をお使えになられましょう」
「感謝致します」
劉邦は張良と共にいられることを喜んだ。
「沛公。今、趙の司馬卬が黄河を渡って函谷関に入ろうとしています。彼の侵入を止めるべきです」
「わかった」
劉邦は北上して平陰を攻め、河津(黄河の渡し場)から南の交通を遮断した。
その後、南下して洛陽東で秦軍と戦ったが、不利になったため南の轘轅(険路)を経由して陽城に還った。そこで軍中で使う騎馬を集めてから韓王・成を陽翟に留めて守らせ、張良と共に南に向かった。
「張良殿が合流したことが本当に嬉しそうだ」
劉肥はそう思っているとふと視界にある影が見えた。
「はて、なんだろう。張良殿の元に向かった感じがするけど……それに……どこかで見たような、気のせいかな?」
彼は首を傾げながら自分の持ち場に戻った。
「おい、聞いてないぞ劉邦と合流するなんて」
「わかっています。あなたは彼の元へ行くことです」
「だがな。俺はあの人が苦手なんだ」
「それでも彼は決してあなたを無下にしないでしょう。それともこのままいて沛公に斬られますか?」
「くっ脅しやがって」
「脅してはいませんが、そのうちあなたのことはどうにかしますので」
「わかった。行くよ。行けばいいんだろう」
男は張良の元を去っていった。
六月、劉邦は秦の南陽守・齮(姓氏不明)と犨東(「陽城郭東」)で戦って破り、南陽郡の攻略に向かった。
しかしながら南陽守は宛城(南陽郡治所)に還って守りを固めた。守りがあまりにも硬いため、劉邦は宛攻略をあきらめて西に向かおうとした。だが、張良が諫めた。
「沛公は急いで入関しようとされていますが、秦兵はまだ多数おり、険阻な地形で我々を拒んでいます。今、宛を落とさなければ、宛は後ろから我々を攻撃し、強秦が前を塞ぐことになります。これは危道というものです」
張良の言うことを無下にはしない劉邦はこれに従い、夜の間に兵を率いて他の道から戻り、旗幟を倒した。引き返してきたことを悟られないための行為である。翌朝、空が明るくなる前に宛城は三重に包囲されていた。
それを見た南陽守はもはやここまでと思い、自剄しようとしたが、それを舍人の陳恢が、
「死ぬには早すぎます」
と言って止めた。
陳恢は城壁を越えて劉邦に会いに行き、こう言った。
「私はあなた様が先に咸陽に入った者が王になる約束をしたとお聞きしました。今、あなた様は宛に留まって包囲されていますが、宛は大郡の都なので、郡県は数十もの城を連ねており、人民は多く、食糧も大量に蓄えられています。しかも吏人(吏民)は降ったら必ず殺されると思っておりますので、皆、城壁に登って堅守しています。今、あなた様が一日中ここに留まって攻撃されれば、士卒の死傷は必ず多くなります。しかし兵を率いて宛から去れば、宛は必ずあなた様の後を追うことでしょう。その結果、あなた様は前においては咸陽の約(約束)を失い、後においては強宛の患を受けることになるのです。あなた様のために計るなら、投降した守(郡守)を封じて今まで通り郡の守備に命じることを約束し、郡の甲卒を率いて共に西に向かうべきです。こうすれば、諸城でまだ投降していない者も、噂を聞いて争って門を開き、あなた様の到来を待つようになることでしょう。そうなればあなた様の通行を妨げる者はいません」
利があると見た劉邦は同意を示し、七月、南陽守・齮は投降して殷侯に封じられた。陳恢には千戸が封じられることになる。
劉邦が兵を率いて西に進むと、人々は次々に投降し、丹水(弘農郡の県名)に至った時、高武侯・鰓と襄侯(もしくは「穰侯」)・王陵が降った。
そのまま兵を還して胡陽を攻め、番君・呉芮の別将・梅鋗に会った。
劉邦は梅鋗と共に析と酈を攻めて降し、彼の軍が通った場所では略奪をしなかったため、秦民に喜ばれた。
張良と再会し、人々の信頼を勝ち得ていく劉邦の西進が行われていく中、項羽と章邯の戦いが決着しようとしていた。




