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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第一部 動乱再び

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鉅鹿の戦い

 章邯しょうかんが築いた甬道を河(漳水)に繋げ、王離おうりに食糧を送り続けた。


 王離は食糧が豊富であるため、鉅鹿を攻めに攻めた。


 鉅鹿城内では食糧が尽き、兵も少ないため、張耳ちょうじは頻繁に人を送って鉅鹿の北に駐軍している陳余ちんよに援軍を乞うた。


 しかし陳余は自分の兵が少なく秦に敵わないと考えたため、援けに行こうとはしなかった。


 それによって張耳は激怒して陳余を怨み始めた。そこで張黶と陳沢を派遣して陳余を譴責させた。


 張耳の言葉が陳余にこう伝えられた。


「かつて私はあなたと刎頸の交りを結んだ。しかし今、王と私が旦暮に死のうとしているにも関わらず、あなたは数万の兵を擁していながら救いに来ようとしない。命をかけて助け合おうというつもりはないのか。もし信を守ろうというのなら、なぜ秦軍に立ち向かって共に死のうとしないのか。あなたがそうすれば十中に一二でも助かる可能性があるかもしれないではないか」


 一方、陳余はこう答えた。


「私は前進しても趙を救えず、いたずらに軍を全滅させることになると判断している。それに、私が共に死なないのは、趙王とあなたのために秦に報復したいからだ。今必ず共に死のうというのは、肉を餓虎に委ねるようなものではないか。何の益があるというのか」


 今は耐える時なのだ。あの時、自分を止めたのも同じことではないか。彼はそう言いたかった。しかしながら張黶と陳沢は共に討ち死にすることを望んだ。そこで陳余は張黶と陳沢に五千人を与え、試しに秦軍を攻撃させた。


 二人は秦軍と衝突して全滅した。


 陳余はここで断固として自分の意思を固辞し、動くべきではなかったのではないだろうか。このように中途半端なことをするぐらいならば動くべきであった。


 この時、田都でんと率いる斉軍と臧荼ぞうと率いる燕軍も趙を援けに来ていた。


 張敖(張耳の子)も北で代兵を集めて一万余人を指揮しており、救援に駆けつけていた。しかし皆、陳余の近くに営塁を築くだけで秦軍と戦おうとしなかった


 そんな中、項羽こううは鉅鹿を助けるため、英布えいふと蒲将軍に兵卒二万を率いて河(漳水)を渡らせた。


 英布と蒲将軍は小さな勝利を挙げて進軍し、章邯が築いた甬道を絶つことに成功した。それによって王離軍の食糧が欠乏し始めた。


 楚軍の勢いを知った陳余が改めて援軍を求めたため、項羽は全ての兵を率いて河を渡った。


「やれ」


 項羽は渡河が終わると船を沈めて釜甑(食器)を破壊し、廬舍(宿営)を焼き払い、三日間の食糧だけを携帯させた。


「この一戦に勝利すること。それが我々の生きる方法である」


 彼は士卒に必死(決死)の覚悟を抱かせ、将兵は撤退の心を棄てた。


「行くぞぉ」


 項羽が掛けるとその後に将兵たちが続き、瞬く間に鉅鹿へ到着してすぐに王離を包囲した。そして、秦軍と九回、突撃を仕掛けた。


「邪魔だ」


 項羽が矛を振れば、兵たちがはじけ飛ぶ。その後を我こそもばかりに秦兵に襲いかかる。二本の矛を振るうのは、季布きふである。


「まさに武神とは項羽殿のことを申すのだろう」


 項羽の凄まじい武勇を眺めながらそう思う。


「ああ、そうだとも項羽殿が次代を築くお方なのだ」


 そう言ったのは鍾離眜しょうりばつである。


「そして我らはその道を切り開く矛を」


「うむ、そうだな」


 二人は更に秦兵を屠っていく。その結果、秦軍は大破した。


 章邯は王離のこの状況をどうにかしようとしたが、楚軍の勢いを目にして、諸侯の援軍がやっと軍を進めて秦軍を攻撃し始めたため、救援を断念。章邯は兵を率いて退却した。


 楚軍は蘇角を殺して王離を捕虜にした。渉閒は降伏せず自ら焼死した。


「お見事でございます。これで敵を打ったも同然でございましょう」


 王離は楚を滅ぼした秦の将軍・王翦おうせんの孫である。そして。項羽は項燕こうえんの孫である。


「まだだ」


 しかし、項羽は嬉しそうな顔をしなかった。


「我が敵は秦だ。秦を滅ぼさずして敵を打ったことにはならん」


 そう言った項羽は諸侯たちの元に行った。諸侯(諸将)は轅門(軍門)の前まで来ると、皆膝をついて前に歩き、項羽を直視できなかった。


 鉅鹿を援けに来た諸侯の軍は十余の営塁を築いていたが、誰も兵を進めようとせず、楚軍が秦軍を攻撃した時も諸侯は皆、営壁に登って様子を伺っているだけであった。


 項羽が秦軍を攻撃すると、楚の戦士は全て一人で十人の敵に当たり、呼声が天地を動かすようであった。それを見た諸侯の軍で恐れない者はいなかったのである。


 項羽はここで諸侯の上将軍となり、諸侯の兵が指揮下に属すことになった。


 趙王・歇と張耳が鉅鹿城から出て諸侯に謝意を述べました。


 張耳は陳余に会うと援けに来なかったことを譴責し、更に張黶と陳沢がどこに行ったかを問うた。張耳は二人が陳余に殺されたと疑い、しつこく問い正していった。


 この様に陳余は怒って言った。


「あなたがこれほど深く私を怨んでいるとは思わなかった。私が将印を捨てることを惜しむと思っているのか」


 陳余は印綬をとって張耳に押し付けた。張耳は驚いて受け取ろうとしなかった。


 陳余が立ち上がって厠に行くと、一人の客(賓客。門客)が張耳に言った。


「私は『天が与えた物を受け取らなければ、逆に咎を受けるものだ』と聞いています。今、陳将軍はあなたに印を渡しました。あなたが受け取らなければ、天に逆らうことになるので不祥ではないでしょうか。すぐ受け取るべきです」


 張耳は陳余の印を身に着けて兵を指揮下に入れた。


 厠から戻った陳余は張耳が将印を譲らなかったことを怨み、早歩きで出て行った。


「あれほどの人も権力に溺れるのだ」


 特に親しい麾下(部下)数百人だけを連れて陳余は河上の沢で漁猟(漁業や狩猟)を始めた。


 戦が終わった後、韓信かんしんは爪を噛みながら呟いた。


「あんなもの戦でもなんでもない」


 もっと簡単に章邯を破る策はあった。もっと効率的な策があった。それにも関わらず、項羽はあんな非効率的な戦を行い、勝利を収めた。


「くそが」


 どれほど頭の中で考えても項羽のやり方では、勝利などできるはずがない。


 韓信は自分の思い描く戦こそが絶対的なものであると思っている。そのため項羽のような自分の考え以上の結果を出す戦を認めない。


 また、韓信は人間性においては芸術家肌である。戦場を一瞬の画布と捉え、兵を絵の具と捉えて、絵を描き出すという人である。このように戦場を己の芸術の表現の場と考える人は歴史上に中々にいない。


 しかもこの人は芸術と言っても他者に理解されるようなものではなく、自己満足に近いものである。更に不思議なことであるが、その自己満足が確かな形になればなるほど彼の戦は凄まじいものに変貌する。


 項羽が己の名を不朽にする中、劉邦りゅうほうは西に向かって進んでいた。



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