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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第一部 動乱再び

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38/126

旗は折れず

 長い雨が続いている。


 項羽こうう劉邦りゅうほうは外黄を攻めていたが攻略できず、そこで兵を還して陳留を攻めたが、その陳留も堅守したため落とせなかった。


「項羽の城陽での戦いの様が堅守を呼び込んでいるのでしょう」


 陸賈りくかが劉邦にそう言った。彼の項羽への嫌悪感は凄まじいものがある。


(誰でも仲良くできそうなやつなんだがなぁ)


 劉邦がそう思っていると雨の中、こちらの陣営に向かってくる三人の男たちの影があった。男たちが陣営に近づくと息も耐えたえで言った。


「ここに項羽将軍がおられるか?」


 対応したのは曹参そうしんである。


「ここは沛公の陣営だ。項羽将軍の陣営は向こうにある」


 曹参が指さした方向を男が見ると後ろにいた男二人に言った。


「わしは項羽将軍の元に行く。二人は沛公の元へ」


「いえ、私も羽の元へ同行しましょう范増はんぞう殿」


 項伯こうはくの言葉に范増は頷いた。


「では、汝は沛公の元へ。では、失礼する」


 范増と項伯は項羽の陣営に向かい、一人がこの場に残った。男の容貌はよく整っていると言っていい男であった。


張良ちょうりょう殿に匹敵する)


 それほどの美男子であった。


「何かあったのですか?」


 曹参がそう問いかけると男……陳平ちんぺいは答えた。


「武信君が定陶で戦死されました」


「なんと、それは……さあ沛公の元にご案内します」


 二人は急いで劉邦の元に向かった。


「武信君が……」


 劉邦は報告を受けて、驚いた。


「はい、敵将・章邯しょうかんの奇襲により、戦死されました」


 陳平は淡々と述べていく。


「項羽殿と話し合う必要があるな」


 劉邦はそう呟くと項羽の陣に向かった。


 獣のような慟哭があたりに響き渡っていた。


 陣幕の中に入ると項羽が項梁の死を知り、慟哭している姿があった。


(あれも人の子だよな)


 化物じみた戦をする項羽も人の死を悲しむのだと劉邦はそう思った。


 項羽の周りには項伯、范増、龍且りゅうしょ項荘こうそうがいた。そんな中を劉邦は歩いていく。


「項羽殿よ」


 慟哭する項羽に劉邦は言った。


「男ってのは涙を無闇に見せるもんじゃない。悲しい時、苦しい時ほど、男ってのは胸を張って立ち上がらなければならねぇ」


 劉邦の言葉を聞き、項羽はきっと劉邦を見た。


「そんな目ができるなら、大丈夫だろうさ。さあどうする項羽殿?」


 煽るような劉邦に項羽は、


「今は叔父上の軍が破れたばかりで、士卒が恐れて動揺しているだろう」


「なら、呂臣りょしん殿と共に退きましょうや」


 こうして二人は呂臣と共に兵を率いて東に向かった。


 項梁の死は楚の懐王かいおうのもとにも届いた。


「遷都する」


 懐王は項梁殿の死を知るや否や、盱眙から遷して彭城に都を構えた。


「楚王は臆病だ」


 項羽はそのことを知ってむすっとした。さっさと兵力を回復させて叔父である項梁の敵を討ちに行きたいのである。


「今は防備を固める方が重要であろう」


 范増がそう言ったため、項羽は従った。范増は項梁が天が与えてくれた人物であると項羽に伝えており、項羽は范増を尊重して父に亜ぐ者として、范増のことを「亜父」と呼んでいる。


 呂臣は彭城の東に、項羽は彭城の西に、劉邦は碭に駐軍した。













 項梁の死は魏の領地を取り戻そうとしていた魏豹ぎひょうの元にも伝えられた。


「このままでは秦軍がこっちに来てしまう」


 魏豹は秦軍を恐れて、懐王の元に退却しようと思ったが、それを薄姫はくきが止めた。


「既に魏の二十余城を攻略されました。そう簡単に秦軍に全て落とされることも無いでしょう。ここは防備を固めて沈黙なさるべきです」


 彼女の言葉に従うと懐王の元から使者がやって来て、正式に魏豹を魏王とすると伝えてきた。


「おお、楚王は私を尊重なさってくださったぞ」


 彼は喜んだ、それを微笑みながら見る薄姫であったが、内心では、


(まあ、尊重したわけではないでしょうけどね)


 と思っていた。


 魏豹の沈黙により、もしかすれば楚から離れるのではないかと思い、魏王の地位を与えたのである。


(あとは魏王の地位を与えて、調子に乗ってくれれば、秦軍がこちらに来るという考えも楚の上層部は考えているのではないかしら)


「秦軍はこっちに来るだろうか?」


 魏豹が尋ねると薄姫は首を振った。


「来ないと思われます」


(ここは年の功というものかしらね)


 老人である楚王の姿を思い浮かべながら、薄姫はそう思った。











 一方、章邯は項梁軍を破ってから楚を憂慮する必要はないと判断し、黄河を渡って北の趙を攻撃することにした。


 懐王が遷都した彭城は交通の便が良いものの、守りが薄いという弱点のある城であった。


「楚はいつでも落とせる」


 そう考えた章邯は趙軍を大破して邯鄲に至り、民を全て河内に移して城郭を破壊した。趙王・歇と相・張耳、将・陳余は鉅鹿に走った。


 章邯のもとに王離おうりと渉閒(渉が姓、名が閒)が合流した。


「此度の戦いは私に任せてもらおう」


 王離が偉そうに言うと章邯は頷いた。


「では、お任せします」


(祖父、父とはあまりにも劣る方だ)


 王翦おうせんの元で副将を努め、王賁おうほんと共に戦場を駆けたことのある章邯はそう思いながら、同意を示し、自分は鉅鹿南の棘原に駐軍し、甬道を築いて王離に食糧を送ることにした。


 甬道というのは壁や屋根に守られた道のことである。


 この事態に、趙王・歇と張耳は鉅鹿城内に留まり、陳余は北に向かって常山の兵を集め、数万人を得た。そのまま鉅鹿城北に駐軍した。後世において、これを河北の軍という。


 そして、趙は頻繁に使者を送って楚に援軍を求めた。


 その使者が来たのは懐王は人事において呂臣、項羽の軍を併せて自ら将になり、劉邦を碭郡長(郡守)とし、武安侯に封じて碭郡の兵を指揮させるようにした。そして、項羽を長安侯に封じて魯公と号させ、呂臣を司徒に、その父・呂青りょせいを令尹に任命した。


「さて、動くとするか」


 懐王は使者に会って、秦打倒のために軍を自ら動かそうとした。彼はこうなることを予想していた。遷都したのは秦の油断を誘うための遷都であり、彼は防御を取るのではなく、軍を大きく動かすために彭城へ遷都したのであった。


 今まで羊飼いとして暮らしていた男とは思えない勇気に示し方と行っていいかも知れない。しかし、彼を止めた男がいた。宋儀そうぎである。


 彼は羊飼いを演じさせて、懐王を守り続けた人物であり、誰よりも懐王のために動いている男である。そんな彼からすると自ら兵を率いて秦と戦うなど、断固道断の行為であった。


(王は老年である。戦場に耐え切れないだろう)


 彼はそう思いながら懐王を説得し、自ら戦場に望むことをやめさせた。


 しかし、秦打倒を諦めないのが懐王であった。なんとしても秦を倒す。その意思が彼にはあった。陳勝ちんしょうとは違うのがこの点であった。


「諸将は全員、集めよ」


 彼は秦打倒のために派遣する将軍を決めるために諸将を集めることにした。


「わかりました。諸将全員を集めます」


 宋儀が拝礼し、準備を始めた。最大の功労者・項梁の死を受けても秦打倒の旗を掲げ続ける懐王の勇気と諸将の前で懐王が行った約束により、時代は大きく加速することになる。





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