表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第一部 動乱再び

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/126

李斯

 東の反乱軍を討伐するため、関中では絶えず士卒が徴集されていた。


 右丞相・馮去疾、左丞相・李斯、将軍・馮劫が諫言した。


「関東で群盗が並起してから、秦は兵を発して誅撃し、多数の者を殺亡致しましたが、未だに収まりません。盗が多いのは全て戍(徴兵)、漕(水運)、転(陸運)、作(労役)の事を苦としているため、そのうえ賦税が重すぎるからです。暫く阿房宮建設のための作(労役)を停止し、四辺の戍、転を減らすべきです」


 二世皇帝・胡亥こがいは言った。


「私は韓非子かんぴしがこう申したと聞いた。『堯・舜は采椽(采は木の名。椽は屋根を支える横木)を削らず(加工せず)、茅茨(屋根の茅草)を切らず(そろえず)、食事は土塯(土の碗)を使い、水を飲むには土形(瓦の器)を使い、監門の士卒に供給する物でもこれほど倹素なる様はなかった。禹は龍門を穿って大夏(并州晋陽から汾、絳等の州)に水路を通し、河を開いて水を平らにし、海に放った。自ら築臿(土木の道具)を持ち、脛には毛がなくなり(両脚をいつも泥水に浸けて労働したため)、臣虜(賎臣奴虜)の労でもこれほどのものはなかった』と、そもそも尊貴な地位を得て天下を有した者は意をほしいままにして欲を極めるべきなのだ。主が明法を重んじれば、下は非を行わなくなり、海内を制御できるようになる。堯、舜、禹は、天子という尊貴な地位にありながら、自ら窮苦の実に身を置いて百姓のために尽くした。このようなことでどうやって法を行えるというのか。私は万乗の尊位にありながらその実を得ていない。私は千乗の駕(車)を造り、万乗の属(従者)を置いて我が号名を充たすつもりである。そもそも、先帝は諸侯として身を起こしながら天下を兼併し、天下が既に安定してからは、外で四夷を駆逐して辺境を安んじさせた。宮室を造るのは意を得たことを明らかにするためであった。君等も先帝の功業に緒(開始と発展)があることを見てきたはずにも関わらず、私が即位して二年の間に群盗が並起したが、汝らはそれを禁じることができず、また先帝が為そうとしたことを廃止しようとしている。これは上に対しては先帝に報いることにならず、次には私に対して忠力していることにならない。それにも関わらず、なぜ今の位にいるのだろうか」


 歴史上において君主と呼ばれる地位にいた者が堯、舜、禹の聖天子をここまで非難し、尊重しなかった人も珍しい。どんな暗君であっても彼らには少なくとも形だけの敬意を見せるぐらいはしている。


 胡亥は三人を法官に渡して様々な罪を譴責させた。


 馮去疾と馮劫は、


「将相とは辱めを受けないものである」


 と言って自殺した。


 胡亥は李斯に関しては趙高ちょうこうに与えて裁かせることにした。趙高は李斯と子の李由による謀反を調査し、宗族、賓客を全て逮捕させた。


 趙高が笞で李斯を千余回打つと、李斯は痛みに堪えられなくなり、謀反の罪を認めた。しかしながら李斯がここまで自殺しなかったのは自分の弁才を自負しており、功績もあったためである。謀反の心を抱いたことが無いことを上書して胡亥に伝えようとした。


 ここに来て、胡亥が誤りを悟って釈放することを期待しているのだから李斯も人の良いところがある。


 李斯が獄中で書いた内容は以下のようなものである。


「私が丞相として民を治めて三十余年になります。かつて陿隘な秦地が及ぶ地は千里に過ぎず、兵も数十万しかおりませんでしたが、私は薄材を尽くし、秘かに謀臣を派遣し、金玉を資本にして諸侯を遊説させました。同時に陰で甲兵を修め、政敎を整え、闘士を抜擢し、功臣を尊んで参りました。そのおかげで韓を脅かし、魏を弱くさせ、燕・趙を破り、斉・楚を平定し、ついに六国を兼併し、王を虜にして秦を天子に立てることができたのです。また、北は胡・貉を駆逐し、南は百越を平定し、秦の強盛を顕示致しました。その上、度量衡や文字を統一して、天下に公布し、秦の名(威名)を樹立したのです。これらが全て私の罪だと申されるのであれば、私は死に値して久しくなります。しかし幸いにも陛下が私に能力を尽くさせたので、今に至ることができました。陛下の明察を願います」


 李斯の書が届けられたが胡亥が見る前に趙高がそれを見た。そして、官吏に命じて破棄させ、


「囚人がどうして上書できようか」


 と言った。


「全く、死に急ぎよって……」


 趙高は自分の門客十余人に御史、謁者、侍中のふりをさせ、順番に李斯を尋問させた。李斯は真実だけを答えたが、彼らはいつも笞で打って拷問し、罪を認めるように強制した。


 後に胡亥が人を送って李斯を尋問させた。李斯は今までのように趙高が派遣した者だと思い、拷問を恐れて罪を認めた。


 供述が胡亥に提出されると、彼は喜んでこう言った。


「趙高がいなければ、私は丞相に売られるところだった」


 また、この時、胡亥は三川守・李由を調査するために人を派遣していた。三川に到着した時、李由は既に楚兵に撃殺されていたため、証拠は掴めなかったが、使者が戻った時には李斯が司法に下されていた。趙高は李由の謀反に関する報告を捏造し、李斯の罪と併せて五刑に相当するという判決を下したのである。


 李斯は咸陽で腰斬に処されることになった。


 秦の法において、三族を滅ぼされる者はまず黥(刺青の刑)、劓(鼻を削ぐ刑)に処され、左右の足を斬ってから笞で打ち殺され、首は曝されて骨肉は砕いて市に置く。


 政府を誹謗した者は死刑の前に舌を切られた。このうち、黥、劓、足の切断、舌の切断と死体を晒す刑が五刑である。


 中国の死生観において斬られるという行為はもっとも残酷な死刑方法であるとされている。なぜならば、親から譲られた身体を斬られるということは不孝を意味するからである。


 李斯が獄から出た時、中子と一緒に連れて行かれた。


 李斯が中子を見て言った。


「私は汝と一緒にまた黄犬を連れて、上蔡の東門を出て狡兔を追いたいと思っていたが、できなくなってしまったなあ」


 父子二人は向かい合って哀哭した。李斯の三族は皆殺しにされた。


 胡亥は趙高を丞相に任命し、事の大小に関わらず全ての決定をさせることにした。ますます趙高の権力は絶大のものになったと言っていいだろう。


「全く、李斯め。皆で死ねば良いのに……死ぬ時は皆で……そうすれば何も怖くはない……」


 趙高はそう静かに呟いた。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ