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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第一部 動乱再び

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城陽

 魏が破れ、斉の田栄でんえいが危機にあることを項梁こうりょうが知ったのは、兵を率いて亢父(地名)を攻めていた時である。因みにこの時、劉邦りゅうほうも項梁に従っている。


「田栄を助けなければならん」


 項梁はそう宣言を行うと司馬の龍且りゅうしょを先鋒とし、田栄を包囲している章邯しょうかんに奇襲を行った。


 この奇襲は上手くいった。章邯には油断があったと言って良いだろう。項梁の奇襲になすすべなく、大破された。

 

「感謝する」


 田栄は礼を言うと傷ついた兵を率いて東の斉に帰った。


「さあ、秦軍をもっと叩くことにしよう」


 項梁は勝利した興奮を抑えながら意気揚々と単独で敗走する秦兵を追撃し、甥の項羽こううと劉邦に城陽を攻撃させるよう指示した。


「よう、よろしくな」


 劉邦は組むことになった項羽に挨拶した。しかし、項羽は己の愛馬である騅を撫でるだけで彼の言葉を無視しそのまま自分の軍営に戻っていった。


「いやあ、最近の若者は暗いねぇ」


 項羽は容貌が整っているが影がある。若い割には大人しい印象を受ける。


「あれは無礼っていうんですよ兄貴」


 夏侯嬰かこうえいが憤りながらそう言った。


「まあいいじゃないか。気にすることはあるめぇ」


 劉邦はそんな彼をなだめながら劉邦も自分の軍営に戻った。二人の軍は城陽に向かい、包囲した。軍議が行われることになった。


「まあ取り敢えずは降伏を呼びかけようや」


 劉邦がそう発言すると項羽が反対した。


「本当に相手に降伏するつもりであるならば、我らが来ることを知った時にさっさと降伏するだろう。相手は我らと戦おうとしているのだ」


「まあまあ、待て待て、項羽殿。奴さんは秦軍が負けたことを知らない可能性がある。ここは使者を派遣し、その事実を伝えて降伏を呼びかけよう」


 項羽は劉邦の言葉を聞いて不機嫌そうに横を向いた。


(勝手にしろってか)


 困った若者だ、と思いながら劉邦は誰を使者にするかと思って配下たちを見ると、


「はいはい、呼ばれて飛び出て陸賈りくかだよ」


「いや、まだ呼んでねぇけど。まあ良いやお前で」


 陸賈が立ち上がったため彼を派遣することにした。


 少しして、陸賈が戻ってきた。


「駄目ですね。秦軍が破れたことを知っても降伏はしないとのことでした」


「そうか……まあ忠義心の厚い相手のようだ。項羽殿」


 劉邦がそう言うと項羽は彼を横目で見ながら、


「だから無意味であると言ったのだ」


 と言って立ち上がると全軍で城陽を攻め落とすことを決定した。


 項羽は軍議を終えるやいなや騅に飛び乗り、配下の諸将に指示を出すとそのまま城陽に向かって兵と共に突撃を仕掛けた。


「いきなり大将自ら突撃とは剛毅だなぁ」


 劉邦は笑いながらそう言ったが、戦場の様子が段々と変わると真顔になっていった。


「あれが項羽の戦か」


 凄まじいの一言では表現できない惨状が行われていた。項羽は城壁にはしごをかけさせるとそのはしごへ騅に乗ったまま飛び乗り、かけていき城壁の上に現れると敵兵を片っ端から切り捨てていった。


 矛が一回振るわれれば、豪風が吹き、敵兵が飛んでいく。そのような錯覚を覚えるような光景がそこにあった。


 項羽の旗下の軍は項羽のその姿に呼応するかの如き、戦を行い城門を打ち破った。そのままなだれ込んで行き、城陽の住民は皆、屠されていった(皆殺しにされていった)。


 その凄まじさに劉邦はただただ圧倒されるばかりであった。そのため劉邦旗下の軍は何も戦果を上げることができなかった。


 項羽が戻ってきた。


「あそこまでやる必要があったか?」


 劉邦が住民まで皆殺しにしたことを指摘すると項羽は何か間違えでも犯したかとばかりに劉邦を見た。


「秦に忠誠を誓い、我ら楚に従わないものなど、万死に値する罪だ。それだけのことだ。何も憂う必要があるのか」


「その先に何がある。そこまでやって何が残るというんだ項羽殿よ」


「何もできなかった者にも先は無いと思うぞ」


 そのまま項羽は劉邦の横を通り過ぎていった。


「だから僕は沛公の元に行くことにしたんだよ」


 いつの間にか劉邦の隣にいた陸賈がそう言った。


「豊城の人々を許したあなただからこそ、僕はあなたの元に行ったんだ。項羽ではなくね」


 彼は項羽への憤りの表情を一瞬、浮かべてから去った。


「あいつもああ言う顔ができるのか」


 劉邦はそう呟いた。


 その後、項羽と劉邦は西進して濮陽東に駐軍し、再び章邯と戦い破った。項梁の方に気を取られすぎていたのだろう。


 しかしながらこれ以上は崩れないのが章邯である。彼は改めて兵を集めて勢力を回復させ、河川を利用することにより濮陽の周りを営塁でめぐらした。


 項羽と劉邦はこれには攻め込むのは難しいと考え、兵を還して定陶を攻めた。


 







 八月、斉に戻った田栄は斉で王位に立った田假の地位を認めず、田假を攻めて駆逐した。田假は楚に亡命し、相・田角は趙に奔った。


 斉の将軍・田間(田閒。田角の弟)はこれ以前に趙に入って救援を求めていたが、田假が駆逐されたと聞き、帰国をあきらめた。


 その後、田栄は田儋の子・田巿を斉王に立てた。田栄が宰相になり、田横が将として斉地を平定していった。


 そんな斉の元に項梁から使者がやって来た。


 章邯は守りを固めて、兵を立て直していた。章邯のことを評価している項梁はしばしば斉と趙に使者を送って共に章邯を撃つように呼びかけたのである。


 項梁による援軍の要請を受けた田栄は、


「楚が田假を殺し、趙が田角と田間を殺せば出兵には異存は無い」


 とした。しかしながら項梁は、


「田假は與国(同盟国)の王となり、困窮して私に従った。殺すのは忍びない」


 と答えて要求を拒否した。趙も同じように田角と田間を殺さず、斉との取引を拒否した。


「おのれ、項梁め田假が王だと、正統なる斉の王は田市様だぞ。楚も趙も物事の道理がわからぬ」


 田栄は怒って出兵を拒否した。


 その後も項梁は出兵させようとした。今は皆で一丸になって秦と戦うべきであると考えるためである。元々項梁という人は人と人の調整が上手く、できる限りそうしようと行ってきた男であった。そのため楚、斉、趙で連携したいと考えていたのである。


 しかし、彼はそのことばかりに気を取られていたことにより、油断が生じ始めていた。


 



 

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