擁立
可笑しいなあ。ここまで項羽に主役オーラが全くない。どうしよう……劉邦も張良もあるのに、これが主役補正ってやつなのか。
劉邦が苦労して豊城を下した頃、項梁は甥の項羽に襄城を攻めさせていた。
しかしながら襄城は堅守したためなかなか下せなかった。やっと攻略した時、項羽は城民を全て阬(生埋め)にしてから戻って戦勝を報告した。
(凄まじい男がいる)
項梁の元にいる張良はこのことを聞き、戦慄した。
(一方、沛公の方は豊城を下したらしい。しかも豊城を守っていた雍歯は捕らえず、魏へ逃がし、人民は許した……これは大きい)
劉邦は人を活かそうとしている。しかし、項羽は逆らう者は許そうとしない。項梁はそんな甥を叱り、自ら襄城の元に向かい、慰撫するべきである。しかし、項梁は項羽を褒めるだけである。
(難しいものだ)
張良はそう思った。
さて、項梁は陳勝の死が間違いないと聞き、諸将を薛に集めて今後のことを話した。劉邦も参加した。
中々離しがまとまらない中、項梁の元に一人の老人が訪ねてきた。その老人の名は范増という。一目見て、尋常の人ではないと思った項梁は彼のために席を設けた。その態度が気に入った范増は言った。
「陳勝の失敗は当然のことであると言えます。秦が六国を滅ぼした時、楚が最も罪はありませんでした。楚の懐王が秦に入って還れなくなったことを楚人は今に至るまで憐れんでいます。だからこそ、楚の南公(南方の老人。または道士の名)はこう申したのです。『楚がたとえ三戸だけになろうとも、必ずや秦を亡ぼすのは必ず楚である』と、今回、陳勝が首事しましたが、楚の後代を立てずに自ら立ちました。そのためその勢力は長くなかったのです。今、あなたが江東で起きてから、楚で蠭起(蜂起)した将が皆争ってあなたに帰順しているのは、あなたが代々楚の将軍であり、再び楚の後代を立てることができると信じているからなのです」
項梁はその通りであると思い、同意した。
「しかしながら楚の後代となる方はどこにおられるのでしょうか?」
「既に居場所はわかっています」
「なんと、それは誠ですか?」
范増は頷くと言った。
「宋儀という人物がいます。その人物が楚が滅んだ後も楚の後代を守り続けていたのです」
「宋儀……ああそんな男が昔、おりましたな。なるほどその者が……では、彼を通じて、招くとしましょう」
こうして楚の懐王の孫に当たる心(羋心)を探し出した。この時、羋心は人のために牧羊をしており、老人と言って良い容貌であった。
項梁の使者が来たことを知ると彼は頷き、使者に従った。その使者の中に宋儀がおり、彼が擁立されることになったことを心より喜んだ。
六月、民望に従うため、羋心は祖父の諡号と同じ楚の懐王として擁立された・
陳嬰が上柱国として五県を封じられ、懐王と共に楚都・盱眙を建て、項梁は自ら武信君と号した。
(さて、私も動くか)
張良は項梁に言った。
「あなたは既に楚の後代を立てられました。韓の諸公子では横陽君・成(成は名)が最も賢人ですので、王に立てれば樹党を増やすことができましょう」
現在、楚以外に趙、魏、斉、燕と立っている。もしかすれば彼らは楚と同調しないかもしれない。少しでも味方が欲しい時に彼はこの進言を行ったのである。項梁は同意して、張良を韓成の元に行かせて、韓王に立てさせることにした。
(これで項梁から離れることができた)
張良は擁立した後、韓の司徒(申徒)となり、韓王・成と共に千余人を率いて西の韓地を攻略することになった。
韓王・成という人は気象は穏やかな人で、争いごとに向く人ではなかったため韓軍は数城を得たが、すぐ秦軍に奪取されてしまった。
その後、韓軍は潁川(旧韓の地)で游兵として活動することになる。
一方、秦の章邯は陳勝を破ってから兵を進めて魏に侵攻していた。
魏王・魏咎は周巿を派遣して斉と楚に救援を求めた。
「これ以上、秦の勢いを強めるわけにはいかない」
斉王・田儋と楚将・項它が兵を指揮して周巿に従い、魏を援けに行った。
それに対し、章邯は兵馬に枚(声を出さないため口に含む板)を銜えさせて夜間に奇襲し、斉・楚連合軍を臨済城下で大破した。
斉王・田儋と周巿は戦死した。
「なんということだ。豹を呼べ」
魏咎は弟の魏豹を呼んだ。
「弟よ。愚かな兄は秦を打ち倒すことができず、秦に敗北しようとしている。しかしながらここにいる民に罪は無い。よって降伏し、私は己の命を持って命を果たすことにする。しかし、魏の王族としてお前は生きなければならない。お前は城を脱出し、楚に逃げよ。楚ならばお前を助けてくれるはずだ」
そう言って彼は章邯に民を傷つけないことを条件に降伏する旨を伝え、それが了承されると降伏し、自らは焼身自殺した。
周市に擁立され、彼自身に発言力が無かったため彼自身の王としての性質は不明瞭であるが、最後の死に様に関しては美しさがあった。
「これでここは落ちた。しかし、また魏が蘇ることがあってはならない。人民は許しても弟の魏豹までは許すわけにはいかない。探して捕えよ」
章邯は兵を出して探させ、自らは田儋が戦死した後、彼の余兵を集め、東の東阿に走った田栄を追撃した。
またこの時、斉人は田儋が既に死んだと聞くや斉王・建の弟・假を王に立てた。田角が斉の相に、田角の弟・田間(「田閒」)が将になって諸侯と並立した。
捜索から逃れようとする魏豹に薄姫はテキパキと荷物をまとめていた。
「姉上、母上が」
薄昭が涙をこらえて母が自害したことを伝えてきた。
「そう……」
(荷物が減ったわね)
薄姫は自らの薄情さを笑いながら着替えることを伝え、部屋を出るように言った。そして、秦兵の格好になり、魏豹の元に行った。
「お前、その格好は」
「兄君が作った貴重な時間を無駄にしないためです。さあ不本意でしょうが着替えてください。早く逃げなければ殺されてしまいます」
魏豹は慌てて頷き、着替える。そこに秦兵がやって来る。
「薄昭、剣を抜きなさい。皆もそうよ。さあ」
彼女も剣を抜きやって行く秦兵に向かい、剣を振った。
(本来ならこんなところとは無縁だったのに……)
秦兵の剣が首に迫るのを防ぎ、剣を振るうが難なく防がれる。
(力が無いからね)
この状況で冷静にそう思うと剣を振るうのではなく、秦兵の首を突いた。
(首なら力が無くとも致命傷を与えられるでしょう)
秦兵の剣による横の一閃を屈んで避けるとその秦兵の足を剣で切って倒れたところで剣で突き刺す。
「奥方様、お見事」
魏兵たちがそう叫んだ。
(男ならば……)
母は私に魏の王族の血が流れていると言った。ならばこの乱世で男であれば、一旗掲げることもできたはずである。
「のう、似合っているか?」
魏豹が秦兵の格好を見せる。
(こんなやつではなく……)
薄姫はええ、そうですねと微笑みつつため息をつきながら 剣で秦兵の首を刺し貫く。彼女の顔に返り血が飛び散っていく。
「さあ、逃げますわ」
こうして魏豹らは秦の追っ手から脱出し、楚に亡命した。楚の懐王は魏豹に数千人を与えて再び魏地を攻略させることにした。
「ゆっくりで構いませんわ。また章邯の攻撃を受けては堪りませんから、章邯とは楚軍に戦ってもらいましょう」
「おお、わかったゆっくりとやるとしよう」
魏豹が頷いたのを見て、薄姫は笑った。
『お嬢さん。あなたは天子を産むでしょう』
黄色い服の老人の言葉が蘇る。
『あなた様が志という旗を掲げ続けるのであれば、会えるかもしれません』
陳平の言葉。
「いいわ」
彼女は小さく呟く。
「私はこの乱世を全力で生き残ってやろうじゃない」
彼女は再び微笑む。
「そして、最後に笑ってやる」
勝者として……




