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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第一部 動乱再び

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31/126

陳嬰

 広陵の人・召平しょうへい陳勝ちんしょうのために広陵を攻めていたが攻略できないでいた。


 そんな時、陳勝が敗走して秦の章邯しょうかんが迫っていると聞き、長江を渡った。そこで陳王の令を偽って勢力を拡大していた項梁こうりょうを楚の上柱国に任命し、こう命じた。


「江東は既に平定した。急いで兵を率いて西の秦を撃て」


 項梁はこれを好機と見て、八千人を率いて長江を渡り、西に進んだ。


 その頃、陳嬰ちんえいが東陽を平定していた。そこで項梁は使者を送って陳嬰と連合し、共に西進しようと誘った。


 陳嬰はかつて東陽の令史(令吏。または獄史)を勤めており、県内に住んでいた。信謹(誠信・慎重)な性格で長者と称されるほどに名声があった。


 陳勝の乱の影響により、東陽の若者が県令を殺して数千人の勢力を形成した。若者達は長を選ぼうとしたが、これはという相応しい人物がおらず、そこで陳嬰が長になるように求めた。


 陳嬰は能力がないと言って辞退したが、若者達は強制して長に立てた。その結果、県内で従う者は二万人に上った。


 人々は頭に青い頭巾を巻いて他の軍と区別し、陳嬰を王に立てようとした。


 しかしそのことを聞いて陳嬰の母(潘旌(地名)の人と言われている)が陳嬰にこう言った。


「私が汝の家に嫁いでから、汝の先祖で尊貴な地位にいた者がいたとは聞いたことがありません。今、突然大名を得たら不祥となります。他の誰かに所属なさい。そうすれば、事が成れば封侯を得られ、事が失敗しても世に指名されることはないので容易に逃れることができます」


 そこで陳嬰は敢えて王を称さず、軍吏にこう言った。


「項氏は代々将家(将軍の家系)であり楚で名が知られている。今、大事を挙げようとするならば、将となるのはこの人でなければならない。我々が名族に頼れば亡秦は必ず成功するだろう」


 東陽の衆はこれに従い、全兵を挙げて項梁に属した。


 英布えいふも秦軍を破って東に向かっていた。


 項梁が淮水を西に渡ったと聞き、英布と蒲将軍(蒲は姓氏。名は不明)も項梁に属した。項梁の衆は六、七万人に上り、下邳に駐軍した。


 この急速の勢力の拡大に警戒して楚王・景駒けいく秦嘉しんかは彭城東に駐軍して、項梁の進軍を妨げようとした。


(さて、どうするものか)


 項梁は彼らと対立するべきかどうかと悩んだが、


(彼らに従うようでは秦に勝てない)


 そう考えた項梁が軍吏に言った。


「陳勝が先に首事したが戦が不利になり、所在が分からなくなった。今、秦嘉は陳勝に背いて景駒を立てた。大逆無道ではないか」


 項梁は兵を進めて秦嘉の軍を攻めて、敗走させた。


 項梁は追撃して胡陵に至り、秦嘉は兵を還して一日中戦ったが、項梁の勢いに負けて戦死し、軍は降伏した。


 景駒も梁地(旧魏地)に奔り、死んだ。


 項梁は秦嘉の軍を吸収してから胡陵に駐軍した。軍を率いて西に向かおうとした。章邯の軍が栗(地名)に至ったため、項梁は別将・朱雞石と余樊君に交戦させた。ところが余樊君は戦死し、朱雞石の軍も敗れて胡陵に逃亡した。


(章邯の率いる秦軍は強い)


 項梁は今までの秦軍と違うと警戒を強めながら兵を率いて薛に入り、秦に降伏しようとしている朱雞石を誅殺した。












 さて、この状況を劉邦りゅうほうは豊を攻めきれない中で知った。


「いやあ一歩間違えれば、巻き込まれたかもしれん」


 劉邦は張良ちょうりょうにそう言うと項梁が薛にいると聞いて、騎兵百余を率いて会いに行った。豊城を攻略するための兵を借りるためである。


 だが、項梁らから兵を借りることができなかった。


「それどころか会うこともできん」


 劉邦はどうしたものかと張良に図った。


「私が行ってみましょう」


 張良は項梁に会った。


「おお、よくぞ参られた」


 項梁は気持ちよく彼を迎え入れた。


「あの張良殿とお会いできるとは光栄の限りでございます」


「私などは」


「ご謙遜を」


 項梁は大いに笑った。彼は張良を見て、


(なるほど噂通りの人だ。いやそれ以上の人だ)


 と思った。一方、張良は、


(対応に差がある)


 彼が最初から項梁への使者とならなかったのは相手の対応のあり方を知りたかったためである。


(何の勢力にもいなかった時に会っていれば、好感触を持っただろうが……)


 いや何も持たずに行ったら会ってくれるかなとも思った。


「あなたには弟の項伯こうはくが世話になったとお聞きしました。代わりに感謝致します」


「いいえ、あなた様の弟君には徳があった。それだけのことです」


 張良は項伯を頼らずに交渉を行っている。


「この度には項梁殿にお願いがあり、参上致しました」


「兵の件ですかな?」


「左様でございます」


 彼の言葉に項梁は目を細める。


「何故、あのような低い身分の方に張良殿は従っているのでしょうか?」


(沛公殿はこういう時に不利だ)


 張良はそう思いながらも言った。


「沛公は大度な方で、私の進言をよくお聞きになる方なのです。項梁殿にも良き助けになるかと思います」


「そうだろうか。彼にはあまり良い噂も聞かぬ故な……」


「大言壮語を吐くことが悪いことでしょうか。沛公は努力し、自らの大言壮語に近づこうとされている方です。世間の噂だけで測れる方ではないと思います」


 項梁は髭を撫でると言った。


「どうかね、張良殿。あなたには弟もお世話になった。私の元にいらっしゃってくれないだろうか?」


(話の主旨が違うことになる)


 よほど兵を貸したくないのだろうか。劉邦だから貸さないのだろうか。そう思いながら張良は、首を振る。


「そのようなことはできません」


「私の元には参れば、韓の再興がやりやすくなりませんかな?」


(なるほど私のことは項伯を通じて、調べ込んでいるようだ)


 以前ならこの言葉ですぐにも項梁の元に行ったかもしれない。しかし、


(私は沛公に会った)


 その事実は小さいかもしれない。しかし、人と人の出会いというものはそういうものである。出会う順番というものは決して変わることのない事実なのだ。


(だが、今の沛公には兵が必要だ)


「韓の再興は私の願いなるものの、沛公には義理がございます。その義理を果たさなければなりません」











 張良は劉邦の元に戻ってきた。


「兵を借りることができました。士卒五千人と五大夫将十人(五大夫に相当する将十人。十人の五大夫を将にしたという意味)です」


「おお、流石は張良殿」


 劉邦が喜びを顕すると張良は言った。


「しかしながらその代わりとはなんですが、あなた様から離れなければならなくなりました」


「どういうことか?」


 張良は項梁との話し合いの内容を話し、


「項梁殿は私をこちらに来るように誘われました」


 と言った。


「そこで私が参る前に沛公に兵を貸すように要求したのです」


「張良殿……」


 張良は自分への義理のために動いてくれたことが劉邦には嬉しかった。あの張良が義理で動いてくれるほどの信頼を自分は勝ち得ていたということなのである。


「正直に申し上げますが、私には韓の再興という志もございます。そのため項梁殿に従った方が良いという打算もございます」


(優しい方だ)


 自分が離れることが打算で動くなどそういう意識にあると気になさならないように、という思いが込められている。


「わかりました。張良殿の志が果たされることを心より願っております」


 劉邦は張良の手を取り、言った。


「沛公。あなたが志という旗を掲げようとも、そのことを嘲笑い、罵る者は多くいると思います。しかし、決してそれに屈してはいけません。旗を掲げ続けることこそが偉大なことなのです」


「張良殿……感謝致します」


 涙ぐむ劉邦に、張良は微笑む。


「この張良、沛公の危機あれば、天地の果てであろうとも駆けつけましょう」


「おお、張良殿。私も同じく天地の果てであろうとも駆けつけましょう」


 二人は笑うと手を離し、拝礼して離れた。


「張良殿」


 張良の元に項伯が近づいてきた。


「兄上の元にいることになられたとお聞きました。兄上はどうでしょうか?」


「素晴らしい方だと思います。人に対して丁寧な対応を心がけておられます。しかし……」


 張良は項伯を見て言った。


「私は沛公に会った。その後に項梁殿に会った。それだけのことです」


「そうですか……」


(積極的に兄に勧めるべきだったかどうか……」


 項伯は張良を見ながらそう思った。













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