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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第一部 動乱再び

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冷徹な父

 劉肥りゅうひの前に黄色の服を着た老人が突然現れた。化物かと思いそう言うと彼は違うと言い、自分の名前を問いかけてきた。


 自分の名前を答えると老人は目を細めて自分を見た。


「何故、こちらの方に行こうとしているのか」


「なぜ、あなたにそれを伝えなければならないのでしょうか?」


 劉肥は剣に手をかける。


「答えずとも答えは知っているがね。あなたの母上についてであろう?」


「なぜ、それを知っている」


 劉肥が父・劉邦りゅうほうの元に向かっていたのは母の死を知らせるためである。


「それで会ってどうなさるつもりかな」


「そのことまで伝える必要性を感じないな」


 剣を素早く抜き、老人を横一閃しようとした。しかし、老人の身体に触れた瞬間、人を切ったような感触ではなく、布が剣に巻きつくだけであった。


「やれやれ、血の気の多いことだ」


 老人の声が後ろから聞こえ、思わず劉肥は前に飛び跳ね、距離を取る。


「全く、どういう教育を……ああ愛されずに来たのだったな」


「くそ爺」


 劉肥は再び、剣を老人に向かって突き出すが老人とは思えない軽やかさでそれを躱される。


「そのままでは、合わせるわけにはいかないなあ」


 老人は揶揄うようにそう言った。


「どういう意味だ」


 老人は指さした。


「君は歴史において重要な役割を果たす。それは天命のためであり、君の父のためにもなる」


 ますますわけがわからないという表情を浮かべる劉肥に対し、老人は続けて言った。


「だからこそ、君は父への憎しみを忘れることだ。さすれば、君の名は不朽のものとなるだろう」


 その瞬間、老人の姿が劉肥の目の前に迫った。そして、老人は劉肥の額に指差し、突いた。


「まあ良い。汝の目で今後の未来を見通すということにしようか」


 突いた瞬間、劉肥は天地がひっくり返ったように思えた。実際に彼の身体は地面に倒れていた。起き上がると老人の姿はなかった。


「一体、なんだったのだ……」


 劉肥の目は僅かに黄色くなっていたのに彼は気づかずに……











 劉肥は父の軍の元にたどり着いた。


「なんだてめぇ」


 そこで最初に会ったのは樊噲はんかいであった。


「父に会いに来ました。母のために」


「おめぇみたいな餓鬼がいるやつなんて……」


 するとそこに盧綰ろわんがやって来た。


「樊噲。どうした?」


「いや変な餓鬼がな」


 盧綰は劉肥の姿を見ると驚いた。


「兄貴の……いや沛公の息子か」


 親友の盧綰は劉邦と曹氏そうしとの間の子であることを流石に知っていた。他に知っているのは蕭何しょうか夏侯嬰かこうえい辺である。


 さて、盧綰は劉肥から来た理由を聞き、困った。このまま会わせて良いかと思ったためである。そこで曹参そうしんの元に劉肥を連れてきた。


「曹氏の子……」


 曹参の曹氏とは遠い親戚である。その彼に盧綰は劉肥の扱いについて相談した。


「お前は母の死を伝えた後どうする?」


 劉肥は次にどのような行動をするのか。それが問題である。


「わかりません」


 彼は正直に答えた。その答えに曹参は、


「ならば、しばらくは我々と行動せよ。少なくとも一人で生きるよりもマシであろう」


 曹参は劉肥を連れて劉邦に会わせた。


「母が死にました」


 劉肥は緊張して劉邦にそう言った。どんな言葉を言うのだろうか。


「そうか……」


 劉邦はそれだけ言った。


(それだけか)


 思わず、劉肥はそう問いかけそうになった。劉邦という人はわかりづらい人で、人にやけに親しい表情を浮かべる時と人を遠ざける表情が極端な形で示す時がある。


(騙されてもあなたを愛し続けた人ですよ)


 死ぬ時も憎まれ口を叩くことなく死んでいった。そのことを思うと劉肥は悔しかった。


「肥よ」


 劉邦は劉肥に言った。


「お前は曹参の元にいろ。戦に出たくないというのであれば、沛県に戻れ」


 そう言って曹参に劉肥を預けることを伝え、劉邦は劉肥から離れていった。


「肥よ。しばらくお前のことは私が預かることになった。どうする。このままいるか?」


 曹参が問いかけたが、劉肥は首を振った。


「いえ、このままお世話になります」


 父の傍で父がこれからすることを見ようと思う。母を騙して捨てたあの人がこれから何をするのかを見るためにこうして劉肥は劉邦の軍に加わることになった。


 彼は母を騙して捨ててでもやりたいことに対して、意味が欲しいと思ったのかもしれない。













 劉邦は張良ちょうりょうと共に景駒けいくに会った。そして、張良が交渉して、豊を攻めるために兵を請うた。


「その前に秦軍と戦うために協力しろ。話はそれからだ」


 現在、秦の章邯しょうかんによる陳勝ちんしょうの勢力の生き残りを駆逐ために追撃を行い、別将を北進させて楚地を平定しようとしていた。そして現在、相県(沛郡の治所)を屠(皆殺し)して碭に至っていた。


 東陽の甯君ねいくんと劉邦は合流し、兵を率いて西に向かい、蕭県西で秦軍と戦った。しかし、勝利を収めず、兵を収めて留(地名)に引いた。


「今までの秦軍よりも強い」


 劉邦はそう呟いた。そこでやり方を変え、秦軍の後方に周り、碭を攻めて三日で攻略した。そのまま碭の兵を集めて五、六千人を得て、今までの兵と併せて九千人とした。


「これだけ集まれば、豊を落とせるだろう」


 劉邦は下邑を攻めて攻略した後、兵を還して豊を攻めたが下すことができなかった。


「中々に落ちない」


 劉邦は豊城をきっと睨みつけた。


 その頃、東南から大きな勢力となって現れようとしている者たちがいた。




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