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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第一部 動乱再び

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諸国乱立

 陳勝ちんしょうの挙兵をきっかけに志という旗を掲げる者たちは多かった。


 狄県の人・田儋もその一人である。彼は斉の王族で、田儋の従弟・田栄と田栄の弟・田横も豪健宗強(勢力が強大で家族も強盛)で、人心を得ていた。


 陳勝配下の周巿が領地を拡大するため、狄県に至った時、狄県の人々は城の守りを固めた。狄令は秦に対して忠義心を持った人であったようである。


「狄令は秦の忠臣であるからもしれないが、才覚の無い人だ。ここを守るためには彼を排除するべきだ」


 田儋はそう考え、自分の奴僕を捕らえたふりをして縛り、若者を連れて廷(狄の県廷)に行った。狄令に謁見して奴僕を死刑にする許可を求めた。


 当時、奴婢を処刑する際に、官(政府)への報告する必要がある。奴隷だから好き勝手殺して良いわけではないのである。


 狄令に会った田儋はその機を利用して狄令を撃殺した。


 その後、豪吏子弟を集めて言った。


「諸侯が皆、反秦のために自立している。斉は古に国が建てられた国家である。私は田氏であり、王になるべきであると思わないか」


「そのとおりです」


 人々の支持を受けて田儋は自立して斉王になった。


 田儋は兵を発して周巿を迎撃し、周巿の軍は撤退した。そのまま田儋は兵を率いて東方を攻略し、斉地を平定して、己の勢力を確定させた。











 その頃、趙将・韓広が兵を率いて北の燕を平定していた。


 旧燕国の貴人・豪傑たちは韓広を燕王に立てようとしてこう言った。


「楚が既に王を立て、趙も既に王を立った。燕は小さいとはいえ、万乗の国でございます。将軍が燕王に立つことを願います」


 しかし韓広は、


「私の母は趙にいるため同意できない」


 と言って断った。しかし燕人は、


「今の趙は、西は秦を憂い、南は楚を憂いているので、我々を禁じる力はありません。それに楚の強さがあっても趙王・武臣ぶしんが独立した時に趙王・将相の家を害することはできませんでした。どうして趙だけが将軍の家を害すことができましょうか」


 こうして韓広は自立して燕王を称した。


 数か月後、趙は燕王の母とその家属を韓広に送った。だが、武臣と張耳ちょうじ陳余ちんよは北方に領土を拡げるため燕を攻めた。


 その際、武臣が秘かに外出した時、燕軍に捕えられてしまった。燕は趙王を囚禁して領地の割譲を要求しようとした。


 この状況に趙の使者が趙王・武臣の釈放を求めるため燕に行ったが、燕は全て殺していった。


(やれやれこれでは帰れんぞ)


 そう思った男がいた。趙軍の廝養卒(炊事をする兵卒)を勤めていた駟鈞しきんである。彼は流れで陳勝の元から趙に行くことになってしまったため趙軍にいた。


(なんとかしますかね)


 彼は盗賊としての経験を元に燕の城壁を登ると燕将を見つけて言った。


「あなたは張耳と陳余が何を欲しているか知っておられましょうか?」


「王を得たいのであろう」


 燕将の言葉に彼は笑って言った。


「あなたはあの両人が欲していることをまだ知らないのですね。武臣、張耳、陳余は馬箠(馬鞭)を持って趙の数十城を下し、それぞれが南面して王を称したいと思っているのです。将相のまま生涯を終えたいと思ってはいないでしょう。しかし形勢が定まったばかりなので三分して王になるわけにはいかず、また少長(長幼の序列)があるため、武臣を王に立てて趙の民心を安定させようとしているのです。今、趙の地が既に服していますので、両人も趙を分けて王になりたいと思っているもののその時がまだ来ていませんでした。ところがあなたは武臣を捕らえてしまった。両人は趙王を求めるという名目を使っておりますが、実際は燕に殺してほしいのです。両人は趙を分けて自立するつもりなのです。一つの趙でも燕を軽んじていたにも関わらず、二人の賢王が左右で手を取りあい、王を殺した罪を譴責すれば、燕は容易に滅ぼされることにならないでしょうか?」


 彼の言葉に納得した燕将は武臣を帰国させることにした。


 その際、駟鈞が武臣を御して帰還した。


(そろそろ潮時かね)


 彼は趙から離れることを考えた。


 







 田儋に撃退された周巿は狄から還って魏の地に至り、周巿は魏の地を平定した。その際、人々は皆、周巿を魏王に立てようとした。


 しかし、周市はそれを受け入れず、


「天下が昏乱した時、忠臣が現れるものである。今、天下が共に秦に叛した。義によって魏王の後代を立てようではないか」


 かつて魏の公子だった寧陵君・魏咎ぎきゅうを王に立てようとした。


 魏咎は魏の公子で、寧陵君に封じられていた。しかし秦が魏を滅ぼしてから魏咎は家人(庶人)に遷されることになった。だが、陳勝が挙兵して王を称すと、魏咎は陳に赴いて従った。


 こうして魏咎が陳から招かれることになった。


 使者が五回往復してから、陳勝はやっと魏咎を送り出した。魏咎が魏王に即位し、周巿は魏の宰相になった。


 そんな魏に向かう者たちがいた。


 その中で奇っ怪な格好をしている女性がいる。薄姫はくきである。彼女は男の格好をして、母と弟・薄昭はくしょうと共に魏に向かっていた。


 男装しているのは別に彼女の趣味というわけではなく、母に対する無言の抗議の意味が強い。


(魏の王族の血を引いている……くだらない)


 それは母の妄想であると薄姫は思っている。


(母は私を連れて、魏王の女にしようとしている)


 元々魏の王族の血を引いているから無下に扱われないだろうという理由であったが、その道中で母は考えを変えた。


(あの忌々しい黄色い服を着た老人の言葉を聞いて……)


 薄姫はこめかみを押さえながらあの老人の言葉を思い出す。


『お嬢さん。あなたは天子を産むでしょう』


(何が天子を産むか……)


 天子を産むということは、秦の皇帝かその他の王が秦を打倒さなければできないことである。


(非現実的だわ)


 だが、あの老人の言葉に母は信じてしまった。しかも母は許負きょふがそれを言ったと言いふらし始めた。


 許負は当時の人相見の達人である。しかし、自分のような低い身分の者を見ることはないのに母は言いふらした。


(全く、困ったことだわ)


 そう考えて、魏の都にたどり着き、魏咎に謁見することになった。その際に薄姫たちの元に男が案内のためやって来た。その男は顔付きは凛々しい美男子であった。


陳平ちんぺいと申します」


 彼はそう述べると自分たちを魏咎の元に連れて行った。母と魏咎が言葉を交わし始めた。その時、感じたことは、


(母の言うことは本当だった……)


 母と魏咎は面識があり、魏の王族であったということは本当だったらしい。しかしながら魏咎は母の娘が天子を産むということは信用しなかった。


(まあ、そうよね)


 魏咎は薄姫の男装の姿を見て、奇っ怪な格好をしている女として不快な気持ちであったことも理由であろうと思った。


(思ったとおりだわ)


 だが、少し離れたところから熱心に薄姫を見ている目があったことにこの時、薄姫は気づいていなかった。


 謁見は終わった。


 少しして部屋に陳平が訪ねた。


「魏王の弟君が薄姫様をお呼びです」


 母はとびっきりの笑顔を見せ、薄姫は驚愕する。因みに魏咎の弟は魏豹ぎひょうという。


「なぜ、私を?」


 呼ばれ、連れて行かれることになった薄姫は陳平に訪ねた。


「さあ、そこまではただ……」


 陳平は薄姫の格好を見て、


「変わった者が好きという方はいるものでございます」


 その言葉に薄姫は愕然とした。


(しまった。男装しているのが仇になるなんて……)


 嫌われるための姿が性癖を刺激させてしまうとは、


(つくづく男というのは……)


 薄姫は頭を抱える。


「天子を産まれるかもしれないのに、そこまで困惑致しますか?」


 陳平が揶揄うように言うと薄姫はきっと彼を見据えて、


「あれは母の嘘です。私は許負などという方に見て言われた言葉ではありませんわ」


 すると陳平は目を細めて、


「それでは、言は本物ということでしょうか?」


 と言った。言った者の真偽はともかく言われたことが事実というのは奇妙なものである。


「それは……まあ確かに言われたことは本当ですよ。でも……あんな言葉に何の意味がありましょう。所詮は戯言に過ぎません」


 すると陳平は苦笑した。


「何を笑っているのですか?」


 不快な表情で薄姫がそう言うと陳平は言った。


「いえ、私にはその言葉を戯言と言いながら……」


 陳平は更に目を細めて言う。


「その言葉に拘っているのはあなた様自身に思えるのです」


 薄姫は驚き、言葉を失う。


「ここから先は魏豹様の女官が案内致します。では、私はここで……」


 陳平はそう言って去っていった。その背を薄姫は見えなくなるまで見た後、床を見つめそして、顔を上げて魏豹の部屋に向かっていった。











薄姫伝で書けなかったことをやるんだあ

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