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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第一部 動乱再び
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武臣

 当時、山東諸郡県の若者達は秦の法に苦しんでいた。


 そのため陳勝ちんしょう呉広ごこうの乱が起こると争って長吏(郡の守・尉や県の令・丞)を殺し、呼応した。それぞれの勢力が秦討伐を名目にして協力し、西に向かった。挙兵した者は数え切れないほどいたという。


 この事態に秦の謁者が東方から咸陽に帰って二世皇帝・胡亥こがいに報告した。しかしながら自分が善政を敷いていると本気で思っている胡亥は怒って謁者を司法の官吏に渡し、審問させた。


 この後、咸陽に還った使者に二世皇帝が各地の状況を尋ねても、


「群盗は鼠竊狗偸(鼠や犬のようにこそこそ盗むこと)と同じで、郡守や尉が逐捕(駆逐逮捕)しました。今は全て捕獲したため憂いる必要はありません」


 と言った。そのため胡亥は満足して喜んだ。この危機感の無さは何なのだろうか?


 この事態に秦に仕えている儒者たちが進言を行った。


「陛下。今や天下は騒乱となっており、各地では謀反が起きております。直ぐにでも大規模な鎮圧を行うべきです。決して許すべきではありません。どうかご決断願います」


 しかし、胡亥は怪訝な表情を彼らに向けて怒鳴った。


「私の治世は善政である。そのようなことが起きようか」


 この時、進み出て言葉を発した男がいた。名は叔孫通しゅくそんつうという。


「儒者たち彼らは間違っております。そもそも秦は天下を一つとされ、郡県の城壁を壊して、武器を潰し二度と用いられないようにされました。その上、明君が上におられ、法令は下に行き届き、役人や人々はそれに従い、職に努め四方から民が集まり、帰服することは車の輻が轂に集まるかの如きです。どこに謀反人がいましょうか。報告にあった者たちなどは、群盗などの類に過ぎません。歯牙にかける必要などございません。郡の守や尉が今にも捕らえ、誅殺を加えることでしょう。少しも心配はいりません」


 この言葉に胡亥は気に入り、


「そのとおりである。汝は頭が良い」


 そして、再び儒者たちに反乱について話を聞き、未だに反乱であると言っている者たちは捕らえて殺した。


 叔孫通には褒美を与え、更に黄金も渡して彼を主席博士に任命した。これを受け取った叔孫通が宿舎に戻ろうとすると、処罰されなかった者たちが彼に詰め寄った。


「何故、あなたはあのような媚びへつらうのか」


 すると彼は言った。


「あなた方は理解できていないのか。私どもはあともう少しで虎口の中に飛び込むところだったのですぞ」


 この言葉に誰も言い返さず、彼を睨みつけながら去っていった。


(私とて、このようなことにために学問をしてきたのではない)


 叔孫通はそう思いながら首を振った。













 陳勝は呉広を假王とし、諸将を監督して西の滎陽を攻撃させた。すると張耳ちょうじ陳余ちんよが再び陳勝を説得し、奇兵で北の趙地を攻略するように勧めた。


 陳勝は以前から仲がいい陳人の武臣ぶしんを将軍に任命し、邵騷しょうそうを護軍にした。張耳と陳余を左右の校尉とし、兵卒三千人を与えて趙の故地を攻略させることにした。


「これで陳勝から離れることができた」


 張耳はそう呟くと陳余は頷いた。


 続けて陳勝は汝陰の人・鄧宗とうそうにも九江郡の攻略を命じた。更に広陵の人・召平しょうへいも広陵を攻略させた。


 これ以前に葛嬰が東城に至るまで侵攻していたが、襄彊という者を楚王に立てた。しかし陳勝が王位に立ったと聞くや、襄彊を殺してから帰還して報告してきた。


「それで許されるものか」


 陳勝は還ってきた葛嬰を誅殺した。


 更に陳勝は魏人の周巿しゅうしに命じて北の魏地を攻略させることにした。しかしながらその一方で栄陽を包囲している呉広が、秦の李由りゆう李斯りしの子)が三川守として栄陽を守っており、攻略できないでいた。


 これを受けて陳勝は国の豪傑を集めて計を謀り、上蔡人の房君・蔡賜さいようを上柱国にする一方で兵法にも通じていると評判の周章しゅうしょうに将軍の印を与えて西の秦を撃たせることにした。また、銍(地名)の人・宋留そうりゅうを派遣して南陽を平定させて、武関に向けさせた。


 以下のは陳勝が派遣した各軍の侵攻先である。


 西


 假王・呉広は滎陽攻撃。


 宋留は南陽から武関を目指す。


 周章は秦都・咸陽を衝くため侵攻。


 東


 鄧宗が九江郡攻略。


 召平が広陵攻略。


 北


 武臣が旧趙国の地を攻略。張耳・陳余が従う。


 周市が旧魏国の地を攻略。


 武臣らは白馬(地名。白馬津)から黄河を渡って諸県に至り、豪桀を説得してまわった。豪桀は皆、武臣に呼応し始め、武臣は行軍しながら兵を集めて数万人を得た。武臣は自らを「武信君」と号した。


 その後、武臣が趙の十余城を攻略したが、残りの城は全て固守した。そのため武臣は兵を率いて東北に向かい、范陽を攻めた。


 この范陽の地に後に歴史の煌きを放つ人物がいた。その人物を蒯徹かいてつ(史書では漢の武帝ぶていの諱を避けて名が通と表記される)である。


 彼は武臣を説得して言った。


「あなたは戦に勝ってから領地を攻略し、進攻して優勢になってから城を下すべきだと思っておられるようですが、私が見るにこれは誤りです。私の計を聴くのであれば、攻撃しなくても城を降し、戦わなくても領地を攻略し、檄を伝えるだけで千里を定められます。如何でしょうか?」


「どういう意味か?」


 武臣が尋ねると蒯徹は答えた。


「范陽令の徐公じょこうは死を畏れているにも関わらず、貪欲であるために天下に先んじて降ろうとしています。あなたがもし徐公を秦が置いた吏とみなして以前の十城と同じように誅殺すれば、辺地の城が全て金城湯池(堅固な城)と化すので攻撃できなくなりましょう。あなたが私に侯印を渡して范陽令に授けさせ、彼を朱輪華轂(豪華な車)に乗せて燕・趙の郊を駆けさせれば、燕・趙の城は戦わずに降ることでしょう」


 武臣は彼の言葉に頷くと、車百乗、騎馬二百と侯印を準備し、徐公を迎えた。


 燕と趙の三十余城がそれを聞いて戦わずに投降した。


 まさに見事としか言いようのない弁舌である。後にこの弁舌によって彼は後に歴史に混沌をもたらそうとするのである。


 




次回、あの男が将軍として復帰。

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