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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第一部 動乱再び
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天下の動静

遅くなりました。

 大梁(魏都)の人・張耳ちょうじ陳余ちんよは刎頸の交りを結ぶほど仲がよく、名士として慕われていた。そのため秦は魏を滅ぼしてから、二人に重賞を懸けて求めた。


 二人は姓名を変えて陳に入り、里の監門(門の守衛。卑賎な衛卒)になって生活して、秦から逃れることにした。


 その際、里吏が陳余の過失を責めて笞打ったことがあった。陳余は怒って殺そうとしたが、張耳が陳余の脚を踏んで合図を送って、そのまま笞を受けさせた。


 里吏が去ってから張耳が陳余を桑の下に連れて来て戒めた。


「かつて私とあなたはどういう話をしてきたのか。今、小辱を受けただけで一吏を殺し、自らも死のうというのか」


 陳余はそのとおりだと思い、張耳に謝った。


 その後、陳勝ちんしょうが陳に入ると張耳と陳余はついに秦を討つ好機が来たと思い、門を訪ねて謁見を求めた。


 陳勝は農民として働いてきた時から二人の名声を聞いていたため大喜びして、彼らを迎え入れた。


 その後、陳の豪桀父老が陳勝に楚王を名乗るよう求めた。


「将軍は堅(甲)を身につけて鋭(武器)を持ち、無道なる秦を討伐せんとしております。そして、再び楚の社稷を立られました。その功によって王に立つべきです」


 陳勝はこれを受けて、王号について張耳と陳余に意見を求めるた。すると二人はこう答えた。


「秦は無道で人の社稷を滅ぼし、百姓に暴虐を行って参りました。将軍が万死の計を出したのは、天下のために残(害)を除くためです。今、陳に至ったばかりにも関わらず、王を称してしまえば、天下に自らの私欲を示すことになってしまいます。将軍は王を称さず、急いで兵を率いて西に進んでください。人を派遣して六国の後代を立て、自然に党(味方)を樹立して秦の敵を増やすべきなのです。秦の敵が多ければ秦は力を分散しなければならず、我々が衆と一緒になれば我々の兵は強くなります。こうして六国が協力するようにすれば、私たちが兵を西進させても妨害する者はいません。諸県が秦に背いて六国に属すため、秦のために城を守る者はいなくなり、秦を誅して咸陽を占拠し、諸侯に号令を出すことができます。諸侯は一度亡んだにも関わらず、再起させてくださったために徳(恩)を感じて服すでしょう。そうなれば帝業が完成できます。今、陳だけが王を称してしまえば、恐らく天下が離れてしまいましょう」


(張耳と陳余とはこの程度のものたちか)


 陳勝はそう思った。そもそも六国の後代を立てさせるというのが気に入らない。そのようなことは回りくどい行為であり、また、自分は一介の農民に過ぎない。その立場をもって六国の後代を立てるのは厳しく。そのような者たちを立てれば、身分に笠を来て自分を脅かしていくだろう。


(私は王となって貴族どもとは違う国を作るのだ)


 彼は二人の言を聴かず、自立して王を名乗り、「張楚」と号した。「張楚」というのは「楚を大きくする」という意味がある。


 更に彼は四方八方に兵を出して勢力を広げることにした。


「陳勝という方は王者の器ではない」


 張耳はそう呟くと陳余は頷いた。


 二人の言葉に正言がなかったわけではない。確かに六国の後代を立てるというのは回りくどいが、王を称しては私欲をあからさまにしてしまうというというのと秦への西進に集中するべきというのは正言である。


 陳勝はあくまで秦の暴政への抵抗としての挙兵である以上、その正義を掲げて西進するべきである。それにも関わらず、王を称して自分の勢力保持に動けば、私欲の行為と天下は見るだろう。


「陳余よ。できる限り早く陳勝から離れた方が良いかもしれん」


「そうだな」


 二人は陳勝から離れるための方法を考えた。


 陳勝の元に集まって失望する者は少なくなかった。周章しゅうしょうもそうである。彼はかつて項燕こうえんの元で副将を務めたことがある人物である。


 陳勝と呉広ごこうが決起した際、二人は扶蘇ふそと項燕を名乗って決起した。項燕が生きていたと思い、周章はやってきたがそこには似てもにつかない連中ばかりである。


(だが、秦を討つというのは良い)


 見たところ兵を率いたこともない者たちばかりである。その中でも自分の経験は良いはずである。そう思い仕えることにしたが、


(王を称したか)


 楚に仕えていた人間からすると複雑な思いがある。


(まあ良い。兵権を握り秦を滅ぼした後に楚の後代を探して、陳勝を討てば良いだろう)


 周章はそう考えた。


 この時、もう一人陳勝の元に行っていた者がいた。駟鈞しきんである。


 彼は盗跖とうせきの元を離れ、彼の追ってを巻くためにちょうど決起していた陳勝の元に密かに逃れていた。


(さて、どうなるかな。これは……)


 陳勝の行為を見ていると勢いに反してその中身に実が無いと考えた。


(引き時を見極めてから動くとしよう)


 彼は大人しく陳勝の元にいることにした。


 一方、遠くから陳勝は失敗するだろうと思っていた者がいる范増はんぞうである。


(陳勝は失敗する)


 特に王を称したのが致命的である。王を称するまでは陳勝には正義という旗を掲げているように見えた。しかし、王を称したことにより、己の我欲を天下に表明してしまった。


(天下に立つなら正義があるべきだ)


 范増はそう考えている。そしてその正義の証明は六国の後代を立てることにある。


「やっと見つけた」


 いずれ秦は傾くそう信じていた范増はある人物を探し回っていた。その人物の居場所を知っている者をやっと見つけた。


宋儀そうぎ。やつが楚の王族を守り続けていたとはな」


 彼を通して楚王を立てさせて秦を他す。陳勝にはできない。これを活用してくれる英雄はどこにいるのか。次にその英雄を探さなければならない。


(本当に項燕のような男が現れれば良いのだが……)


 范増はそう思いながら天下の動静を眺めることにした。


 また同じ頃、天下の動静を見ている者がいた。黄色い服を着ているその老人、黄石こうせきは陳勝をきっかけに蠢く英傑たちの様子を眺めていた。


「天下動乱の中、英傑たちはまさに躍動せんとするか……」


 しかしながらまだ歴史の主役というべき者は動いていない。そう思いながら彼は家族に連れられて歩く男装の女性を見た。


「お嬢さん。あなたはやがて天子を産むことになりましょう」


 女性の母らしき者が喜ぶ一方、天子を産むと言われた女性は怪訝な表情を黄石に向けて、家族にさっさと目の前の老人から離れるべきと言って、移動させた。その様子を眺めた後、黄石は姿を消した。


 一方、女性はため息をつく。


「天子を産む。そんなことより、くだらないこの状況をなんとかしてもらいたいわ」


 この男装の女性は後世において薄姫はくきと呼ばれる。後に漢王朝最大の名君と讃えられることになる漢の文帝ぶんていの母となる女性である。




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