表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第一部 動乱再び
14/126

扶蘇

 趙高ちょうこう李斯りしは上手く始皇帝しこうていの死を隠しながら移動を続け、その間に始皇帝の書を偽造して扶蘇ふそに送った。


 書の内容は以下のようなものである。


「私(始皇帝)は天下を巡行し、寿命を延ばすために名山諸神を祷祠(祈祷祭祀)した。今、扶蘇と将軍・蒙恬もうてんは数十万の兵を率いて辺境に駐屯して十余年になるにも関わらず、前に進めず、士卒の多くを消耗し、尺寸の功も立てていない。そのうえ逆に度々上書して私が為すことを直言誹謗し、罷帰(任務を解いて帰ること)して太子になれないため日夜怨望している。扶蘇は人の子として不孝である。よって下賜した剣で自裁せよ。また、蒙恬は扶蘇と共に外に居ながら匡正しなかった。その謀を知っていたはずであり、臣下として不忠である。よって死を賜り、兵は裨将(副将)・王離おうりに属すことにする」


 書には皇帝の璽が押され、胡亥こがいの門客が上郡の扶蘇に届けた。


「本当に自害するだろうか?」


 李斯は趙高にそう言った。最悪なのは蒙恬と共に軍を率いて攻めてくることである。


「必ず死にますよ。あの方はね」


 趙高は不敵な笑みでそう答えた。


 届けられた偽書を開いて読んだ扶蘇は泣いて内舍に入り、自殺しようとした。


 それを蒙恬が止めた。


「今、陛下は外におり、まだ太子を立てていません。私に三十万の衆を率いて辺境を守らせ、公子を監(監軍)にしました。これは天下の重任というべきもの。今、一人の使者が来ただけですぐに自殺してしまったら、詐(詐術。偽り)があるのかないのか判断することはできません。復請(返事を送って赦しを請うこと)してから死んでも遅くはないでしょう」


 彼は偽書ではないかと疑っている。


「なりません。これは陛下の命です」


 しかし趙高の使者が何回も自殺するように催促した。


 扶蘇が蒙恬に言った。


「父が子に死を賜ったのである。どうして復請できようか」


 扶蘇はそのまま自殺してしまった。


 あまりにも呆気ない死である。この呆気なさは春秋時代の申生しんせいの自害と同じように感じる人が多いだろう。しかしながら始皇帝と扶蘇の親子関係は晋の献公けんこうと申生の親子関係とは違うように思える。


 始皇帝は扶蘇を嫌っていたというよりは儒教被れである彼に現実を見せるという意味で匈奴との前線に送ったのではないか。本当に嫌っていれば、南方の方が苦しむ度合いは大きいはずである。


 そのため始皇帝と扶蘇の親子関係は後の漢の宣帝せんてい元帝げんていの親子関係の方が近いのではないだろうか。


 扶蘇は死んだが、蒙恬は死のうとしなかった。そこで使者は蒙恬を官吏にあずけて陽周(上郡陽周県)に繋げさせた。また、蒙恬の代わりに李斯の舍人を護軍(護軍都尉)にして諸将を統率させ、帰って報告させた。


 胡亥、李斯、趙高は扶蘇の死を聞くと大喜びした。


「扶蘇が死んだ以上、蒙恬は釈放しても良いのではないか?」


 胡亥は扶蘇が既に死んだと聞いて安心したのか蒙恬を釈放しようとした。


 この時、始皇帝のために山川で祈祷をしていた蒙毅もうきが合流しようとしていた。


 趙高が胡亥に言った。


「先帝(始皇帝)は以前から賢を挙げてあなた様を太子に立てようと思っていましたが、蒙毅が諫めて反対していたのです。誅殺するべきです」


 激怒した胡亥は蒙毅を捕らえて代郡に繋いだ。


 胡亥一行は井陘を経由して九原に至った。


 ちょうど酷暑にあい轀車が臭いを放ち始めた。そこで従官に詔を発し、車に一石の鮑魚(干した魚)を積ませて臭いを隠した。


 直道を通って咸陽に入ってからやっと喪を発し、太子・胡亥が即位した。これを秦の二世皇帝にせいこうていというのだが、胡亥とした方がわかりやすいため胡亥とする。


 九月、始皇帝を驪山(酈山)に埋葬した。


 始皇帝は秦王に即位した時から驪山を穿って陵墓の建設を始めていた。天下を統一してからは、天下の徒(囚人)七十余万人を驪山に集めた。


 地を深く掘って三泉(地下水)に至ると、溶かした銅を流して塞ぎ、椁(棺)を中に運び、宮観の模型や百官の像および奇器珍怪といった府庫の宝物で墓穴を埋めさせた。


 工匠に機弩を造らせ、陵墓を穿って近づこうとした者は全て射殺できるようにし、機械で水銀を流し、百川、江河、大海を造った。


 墓穴の上(天井)には天文(天体図)が、下(地面)には地理(地図・模型)が設けられた。


 人魚の膏(脂)で蝋燭を作った。これは永い間火が消えないためとされているが、この人魚というのは何かということになると「なまずに似た魚で四脚がある」、「鯢魚さんしょううお」、「人の形をしていて長さは一尺余あり、食べられず、皮は鮫魚より硬く鋸も入らない」、「首の上に小さい孔があり、そこから気(息)が出る」と色々と説があるが実際はどのような魚かは不明である。


 始皇帝を埋葬した時、胡亥は、


「先帝の後宮(宮女)で子がいない者は、皇宮から出すのも相応しくないだろう」


 胡亥は後宮の女性で子がいない者全てに殉死を命じた。これによって多くの女性が命を落とすことになった。


 更に始皇帝の埋葬が終わってから、ある人がこう言った。


「工匠は自分で機藏(盗掘を防ぐ装置)を造ったためその仕組みを全て知っています。もし新たに機藏を造ってしまうと、秘密が漏れてしまうことでしょう」


 これにより葬儀が終わると胡亥は工匠達を羨(墓の中の道)に入れて、外側の羨門(墓門)を下した。工匠は全て閉じ込められ、外に出られた者はいなかった。


 その後、陵墓に草木を植えて山のように見せた。


 葬儀が終わってから趙高は胡亥に蒙氏の復権を恐れて日夜讒言した。


 それに対して、胡亥の兄の子にあたる子嬰しえいが諫めた。


「趙王・遷は李牧を殺して顔聚を用い、斉王・建は故世(先代)の忠臣を殺して后勝を用いたため、どちらも国を亡ぼしました。蒙氏は秦の大臣であり謀士でもあった功臣です。それにも関わらず、陛下は一旦にして棄て去ろうとしています。忠臣を誅殺して節行の無い人を立てれば、内は群臣の信用を失い、外は闘士の意を離散させることになります」


 しかし胡亥はこの諫言を聴かず、蒙毅と内史・蒙恬に死を命じた。


 蒙恬が死ぬ前に言った。


「私は先人から子孫に至るまで、秦で三世に渡って功信を積んできた。今、私は兵三十余万を指揮しており、この身は捕えられているが、勢力は倍畔(反叛)に足りる。しかし私は必ずや死ぬと分かっていても義を守る。先人の敎えを辱めて先帝を忘れるわけにはいかないためである」


 蒙恬は毒薬を飲んで死んだ。蒙毅も胡亥が送った使者に殺された。


 自分の即位を邪魔する可能性のあるものたちを処分した胡亥は次に身内へ目を向け始めた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ