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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第一部 動乱再び
13/126

陰謀

大変遅れました。途中でデータが消えてしまいまして。

 始皇帝しこうていが死んだ。そのことを真っ先に知ったのは趙高ちょうこうであった。


「ああ陛下」


 彼は始皇帝の死を嘆きに嘆いた。しかし、始皇帝の残した扶蘇ふそへの璽書を見て、


「陛下は私を苦しめようとしている」


 と呟いた。


 扶蘇は儒教被れで、趙高のような男を嫌っており、彼は今はあの蒙恬もうてんの元にいる。更にその蒙恬の弟である蒙毅もうきとは仲が悪い。


 かつて趙高が罪を犯したことがあった。始皇帝は蒙毅に命じて裁かせた。


 蒙毅は法に則って趙高を死刑にするべきだと主張したが、始皇帝は趙高は聡明であるからと赦して官位を回復させたということがあった。


 扶蘇を擁立し、左右を二人がなるのであれば必ず自分を処罰することになるだろう。


(虐められるのは嫌ではないが、殺されるのは勘弁だ)


 趙高は胡亥こがいの元に向かった。胡亥にとって趙高は教育係であった。そのため彼が慌てて訪れたことに驚きながらも自分の馬車に載せた。趙高は言った。


「先ほど陛下が崩じた。しかしながら諸子を王に封ずる詔はなく、ただ長子(扶蘇)だけに書を賜りました。長子が来れば、即位して皇帝になりますが、あなたには尺寸の地もありません。どうするつもりでしょうかな?」


 胡亥は冷や汗をかきながら、


「同然なことだ。私は『明君は臣を知り、明父は子を知る』と聞いている。父が捐命(命を失うこと)して諸子を封じなくとも君父の決定に対して何も言うことはない」


 と言った。すると趙高は笑って言った。


「それは違います。今、天下の権と存亡はあなた様と私、そして丞相にあります。あなた様はよくお考えてください。人を臣にするのと人の臣にされるのとでは、また人を制するのと人に制されるのとでは、同日に語ることはできないのです」


 今まで胡亥はわがままに贅沢三昧に生きてきた。その生活はあくまで始皇帝の寵愛の元で行われたものであり、その父が死んだ以上、自分を守ってくれるものは無くなったのである。守るには攻めなければならない。


 胡亥は、


「兄を廃して弟を立てるのは不義であり、父の詔を奉じず死を畏れるのは不孝である。能が薄く材が譾(浅薄)にも関わらず、人に頼って強引に功を為そうというのは不能である。三者が徳に逆らえば、天下は服さず、身は傾危(危険)に遭い、社稷は血食(祭祀)を受けられなくなるだろう」


 と言うと趙高はなおも迫り、


「商の湯王も周の武王もその主を殺しましたが、天下は義と称して不忠とすることはありませんでした。衛君はその父を殺しましたが、衛はその徳を記録し、孔子もそれを著して不孝としませんでした」


 趙高が挙げた衛での事件の話はいつの事件を指すのか分からないが、そのような話で一番徳があったとすると衛の武公であろうか?。


「大事を行う時は小事に拘らず、徳を盛んにする時は辞讓しないものです。郷曲(郷里)にはそれぞれ相応な決まりがあり、百官の功(功績、功労。または勤務の方法)も異なります。よって小を顧みて大を忘れたら後に必ず害を招くことになるのです。狐疑(疑い深くなること)猶豫(躊躇)すれば、後に必ず悔いることになります。決断して敢行すれば鬼神も避け、栄光を得ることができるのです。あなた様が私の計画に従うことを願うばかりです」


 胡亥が嘆息し、


「大行(大喪)はまだ発しておらず、喪礼も終わっていない。このような事で丞相を煩わせるわけにはいかないだろう」


 彼の発言に変化が見られた。丞相である李斯りしの動向によるとしたのである。


 趙高はそのことににやりと笑うと、


「時とはとても短いため、謀を及ぼす暇もありません。我々は贏粮躍馬(食糧が豊富で馬も元気なこと。戦いの準備が整っていること)な状態でございます。ただ時を失うのを恐れるだけです」


 今、この場にいる二人の手には天命が握られている。その天命を離してしまえば、もう二度と掴むことはないだろう。


「わかった」


 胡亥はついに趙高の言に同意した。


「丞相と謀らなければ恐く事は成せません。私があなた様のために丞相と謀ることをお許しください」


「許す」


 こうして趙高が丞相・李斯に会いに行った。


 趙高は李斯に言った。


「陛下が崩じて長子に書が賜われました。咸陽で喪に参加させて嗣(後嗣)に立てるつもりです。しかし書はまだ届けられず、陛下が崩じたことを知る者は誰もいません。長子に賜る書と符璽は全て胡亥様の所にあります。太子を定めるのはあなたと私の口しだいと言えます。この事をどうなさるつもりでございましょう?」


 李斯は激怒して言った。


「亡国の言を語ることができようか。これは人臣が議すべきことではない」


 しかし、ここで負ければ、身の破滅しかないと考える趙高は、


「あなたは自ら蒙恬と較べてどちらに能があると思っていましょうか。蒙恬と較べてどちらの功が高いと思いましょうか。蒙恬と較べてどちらが遠謀で失敗することがないでしょうか。蒙恬と較べてどちらが民に好かれていましょうか。蒙恬と較べてどちらが長子にとって旧(関係が長くて深いこと)であり、信があると思いましょうか?」


 と言った。李斯はその指摘に、


「その五者について私は全て蒙恬に及ばない。しかしながら君はなぜこのように深く私を責めるのか?」


 と答えた。李斯という人は始皇帝が思う描く永遠の国家を作るための枠組み、法体制を作っただけに決して無能ではない。しかしながら彼には精神的に脆い。


 趙高としてはこの精神的に脆い男に決断を迫らなければならない。この点、趙高には度胸がある。


「私は元々内官の厮役(奴僕)に過ぎませんでしたが、幸いにも刀筆の文によって秦宮に進められ二十余年にわたって事を管理する役割を与えられました。その間、秦によって免罷(罷免)された丞相・功臣で、封を受けて二世(子孫の代)に及ぼした者は見たことがなく、皆、誅亡してきました。皇帝には二十余子がおり、あなたも知っています。長子は剛毅で武勇があり、人を信じて士を奮わせることができますが、彼が即位したら必ずや蒙恬を用いて丞相にすることでしょう。あなたが通侯の印を懐にしまい、郷里に帰ることができなくなるのは明らかと言えます。私は胡亥を教習するように詔を受け、法事を学ばせて数年になりますが、未だ過失を見たことがございません。胡亥は慈仁篤厚な人物で、財を軽んじて士を重んじ、心は聡明ですが口は巧みでなく、礼を尽くして士を敬い、秦の諸子で及ぶ者はいません。彼こそ嗣に立てるべきなのです。あなたはよく考えて決断してください」


 李斯は、


「汝は自分の職務に戻ることだ。私は陛下の詔を奉じ、天の命を聴くだけである。考慮して決定することなどない」


 と言った。それでも引かない趙高は、


「安全は危険となり、危険は安全となるというのに、安危を定められなくて貴聖(尊貴で聡明)と言えましょうか?」


 と言う。しかし、まだ李斯は煮え切らない。


「私は上蔡の閭巷に住む布衣に過ぎなかったが、幸いにも陛下に抜擢されて丞相になり、通侯に封じられ、子孫も皆、尊位重禄に至ることができた。だからこそ陛下は存亡安危を私に任せたのだ。どうして裏切ることができようか。そもそも忠臣とは死を避けないから成り立つのである。孝子とは勤労でなければ危難に遭うものだ。人臣はそれぞれが自分の職を守っていればいい。君はこれ以上この話をして私に罪を得させようとするな」


 李斯の言葉は儒教の思想が通っている。しかし、儒教を弾圧したくせに儒教的な臣下の形を模倣しようなど片腹痛いと思う趙高は、


「聖人とは遷徒無常(常道がなく自在に変化すること)であり、変化に応じて時に従い、末を見て本を知り、指(動向)を見て帰趨を予知することができるとあなたも聞いたことがありましょう。物(事象)とは元々そういうものであり、常法など存在しないのです。今、天下の権命(権力と命運)は胡亥に懸かっており、私は志を得ることができます。外から中を制すことを惑(乱)といい、下から上を制すことを賊といいます」


 少しわかりづらいが、外と下とは李斯のことで中は趙高、上は胡亥であろう。


「秋霜が降れば、草花が落ち、氷が融ければ、春が来るもの。万物が作られるのは必然の效(結果)なのです。あなたはなぜそれらを見るのが晩いのでしょうか?」


 李斯は動揺した。同時に趙高という男はこれほど舌の回る男であったかと思った。


「晋は太子であった申生を換えて三世が不安になり、斉の小白と糾の兄弟は位を争って身が殺戮され、紂は親戚であった比干を殺して諫言を聴かなかったために、国が丘墟となって社稷を危うくした。三者は天に逆らったからこそ、宗廟が血食(祭祀)を受けられなくなったのだ。人である以上は天に従わなければならないから陰謀には参加できない」


「上下が合同(協力)すれば長久を得られます。中外が一つになれば事に表裏がなくなるのです。あなたが私の計を聴けば長く封侯となり、世世(代々)孤(封侯の自称)と称し、必ず喬松(王子喬と赤松子。仙人)の寿と孔墨(孔子と墨子)の智を得られることでしょう。今、この機会を放棄して従わなければ、禍は子孫に及び、心を寒くさせるに足りることでしょう。善者は禍を福とするべきです。あなたはどう対処すなさるおつもりでしょうか?」


 結局、李斯は将来、国を危うくした臣下であったと言われたくないだけなのである。それにも関わらず、この場で趙高を斬るという勇気を持てない。


 彼は才能にあふれた人ではある。しかしあまりにも心が弱い。


 李斯は天を仰いで嘆き、涙を流して嘆息してから言った。


「ああ、乱世に遭ってしまったために死んで忠を尽くすこともできない。どこに命を託せば良いのか?」


 ついに李斯は趙高の陰謀に同意した。


 趙高が胡亥に報告した。


「私が太子(胡亥)の明命を奉じて丞相に知らせました。丞相が令を奉じないはずがありません」


 こうして三人は共謀し、始皇帝が丞相に与えた詔を偽造して胡亥を太子に立てる準備を始めた。『史記』において書かれた。もっとも時代を変動させることになった陰謀が始まったのであった。

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