表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第三部 漢の礎
123/126

劉襄

 上将軍・呂禄りょろくと相国・呂産りょさんは軍権と政権を掌握しており、高帝・劉邦りゅうほうとの約束を裏切っていることを自覚していたため、大臣や諸侯王に誅殺されるのではないかと恐れていた。


 そのため彼らは乱を起こす機会を探していた。しかし大臣の周勃しゅうぼつ灌嬰かいえいらを恐れてなかなか動けなかった。


 劉肥りゅうひの子・朱虛侯・劉章りゅうしょうと東牟侯・劉興居りゅうきょいは長安におり、劉章は呂禄の娘を娶って婦(妻)にしていた。そのため呂氏の陰謀を知った。


「ついに時が来た。正義を果たす時が」


 劉章は秘かに人を送り、兄の斉王・劉襄りゅうじょうに伝え、出兵をうながした。斉が兵を発したら、朱虚侯・劉章と東牟侯・劉興居が太尉・周勃、丞相・陳平ちんぺいと共に朝廷で内応し、呂氏を誅滅して斉王を帝に立てる計画を行うことを伝えた。


 斉王・劉襄はこれを受けて、郎中令・祝午しゅくご、中尉・魏勃ぎぼつと共に秘かに出兵を謀った。それを呂氏から送り込まれていた斉相・召平しょうへいが反対した。


 彼は呂氏と通じている駟鈞しきんと協力しようとしたが、


「これはどういうことだ」


 駟鈞の屋敷には誰もいなかった。


「くそ」


 そこに配下が報告した。


「斉王が我らを攻めようとしています」


「おのれぇ、仕方ない。自前の兵でなんとかせねば」


 召平は兵を発して王宮を包囲した。


「あの男は無用心な男ですので、私がなんとかしましょう」


 魏勃がそう言うと召平の元に行って言った。


「王は兵を発しようとしていますが、漢の虎符による験(証明。根拠)がございません。相君が王を包囲したのは正しいことです。私があなたのために兵を率いて王を包囲したいと思います」


 ここで魏勃の力を得られるならばと召平は彼の言葉を信じて兵権を与えた。ただこの頃には虎符は無く、別のものであったと思われる。


「無用心なことだ」


 その結果、魏勃は兵を指揮して召平のいる相府を包囲した。もはやこれまでと召平は自殺した。


 劉襄はこの功績を称えて、魏勃を将軍に、祝午を内史に任命して国中の兵を動員した。


 次に劉襄は安全に東進するために祝午を東に送り、琅邪王・劉沢りゅうたくに偽ってこう伝えた。


「呂氏が乱を為したため、斉王が兵を発して西に向かい、呂氏を誅殺しようとしています。しかし斉王はまだ年少であり、兵革の事(軍事)について知識がございません。国を挙げて大王(劉沢)に委ねることを願っています。大王は高帝の頃からの将です。幸いにも大王が臨菑(斉都)に足を運び、斉王に会って事を計ることを願います」


「斉王は礼儀を知っている」


 呂氏を滅ぼすために挙兵する勇気、そして、年長者への尊重を示す。その行為に対して劉沢は大いに関心したのである。


「よしわかった。斉王の劉氏への想い、しかと受け取った。力を貸しましょう」


 劉沢はこれを信じて急いで西に向かい、斉王と会見することにした。ここまでの間、田生でんせいは近くに控えていたが、何も言わなかった。


 斉にやってきた劉沢に対し、劉襄は彼をしっかりともてなさず、彼を国に留めたままその間に祝午を送って琅邪国の兵も全て合わせて指揮下に置いてしまった。


「騙したのか」


 別に彼は斉王の上に立とうなどという考えはなく、純粋に彼を助けようと思って動いたのである。それにも関わらず、この扱いは何か。詐術を用いるとはどういうことか。


「いっそのこと、ここにいる兵だけで斉王を討つか」


 そのような危険な考えを出し始めた劉沢に田生が言った。


「ここは大人しく、従いましょう。ただ斉王にこう申し上げてください」


 田生から言う言葉を聞いた劉沢はしぶい表情を浮かべた。


「それでは、斉王に利になるだけではないか?」


「いいえ、今は今は耐えるのです。仕返しをする時は必ずきますので」


 劉沢は田生の言葉に頷き、劉襄の元に行くと言った。


「大王(劉襄)は高皇帝の適長孫(「適」は「嫡」と同義。劉襄は劉肥の子で、劉肥は劉邦の長子であるため、劉襄は高帝の長孫になる)なので帝位に立つべきです。今、諸大臣は狐疑(狐のように疑うこと)して決断できていません。私は劉氏の中で最も長年です。諸大臣は私が計を決するのを待っているのです。今、大王は私をここに留めていますが、これでは何の役にも立ちません。私を関に入れて大事を計らせるべきではないでしょうか?」


 劉襄は納得して彼を入京させることにした。多数の車を準備して彼を送り出した。


「急ぎましょう、以前のように」


「わかった」


 劉襄は気付かなかった。この行為によって自分が皇帝になる最大の好機を失うきっかけになるとは……


 劉沢が出発してから、劉襄は兵を挙げて西の済南を攻めた。済南は元々斉に属していたが、後に呂国に入れられていた土地である。


 劉襄は諸侯王に呂氏の罪を告げて共に兵を挙げさせるため、書を送った。


「高帝は天下を平定して諸子弟を王に立てられ、我が父・悼恵王に斉を治めさせた。悼恵王が死ぬと、孝恵帝は留侯・良(張良ちょうりょう)を送って私を斉王に立てられた。孝恵が崩じると高后が政治を行うようになったが、高后は春秋が高く(老齢であり)、諸呂の意見を聞いて勝手に帝を廃したり改立した。しかも三趙王(隠王・劉如意りゅうにょい、幽王・劉友りゅうゆう、共王・劉恢りゅうかい)を連続して殺し、梁、趙、燕を滅ぼして諸呂を王に立て、斉を四つに分割した。忠臣が諫言を進めても上(高后)は惑乱して聞こうとはしなかった。今、高后が崩じたが、帝は春秋が富んでいるため(まだ幼いので)、天下を治めることができないだろう。本来ならば、大臣・諸侯に頼るべきだが、諸呂はまた勝手に自らの官を尊くし、兵を集めて威を厳しくし、列侯・忠臣を強制して矯制(偽の詔)によって天下に号令している。そのため宗廟は危機に陥っている。私は兵を率いて入京し、王であるべきではない者を誅殺せん」


 斉の動きを聞いた相国・呂産らは潁陰侯・灌嬰に兵を率いて迎撃させることにした。まだ陳平らが劉襄らと繋がっていることを知らないのである。


「別に呂氏の者が軍を率いて迎撃でもよかったのではないか?」


 周勃としては呂氏が兵を率いて迎撃に回っている間に長安で事を起こした方が動きやすいと考えたのである。


「いや、それは万が一がある。もう少し確実性を高めるためにも灌嬰殿には行ってもらいたい」


 灌嬰は軍を率いて、滎陽まで来るとこう宣言した。


「諸呂は関中で兵を擁しており、劉氏を危うくして自ら立とうとしている。今、私が斉を破り、朝廷に還って報告すれば、呂氏の資(資本。力)を増強させることになるであります」


 灌嬰は滎陽に駐屯し、劉襄に使者を送り、我が軍はこちらに従う旨を話した。そして、諸侯と連和して呂氏に変化が現れた時に、共に誅滅するように諭した。


 劉襄はそれを聞いて斉の西界まで兵を還し、機会を待つことにした。


 その間、灌嬰は斉軍の陣営を配下に調べさせた。そして、陣営の内容を知ると、


「ああ、かつての強い斉軍では無いでありますね」


 と判断した。


 劉肥、曹参そうしんがいた頃は斉軍は強かった。しかし、その二人がいなくなった後の斉軍は陣営を確認しただけでもわかるほどに弱くなっていた。


「陳平殿のお考えの通りであったであります」


 陳平が恐れていたのは呂氏の軍が斉軍と激突して、破るようなことがあったことである。ただでさえ呂氏を恐れて及び腰だった劉氏の勢力が一気に打開しかねない。たとえ長安を制圧したとしてもその後の乱が長引く可能性が高い。


 それともう一つ、陳平が灌嬰に頼んだのは斉軍がこれ以上、前進させないようにすることである。


 この後に起きることに対し、武力による介入をできる限り無い状態にしたいというのが陳平の考えである。


「さあ、後はどこまで綺麗にこの混乱を治めるかだ」


 呂氏の誅殺、及び漢王朝の未来を決める戦いが始まる。



少し悩んでいることがあります。この作品の後にそのまま光武帝に行くかどうかです。既に光武帝の性格はある程度できています。孟嘗君と陸賈をたして二で割った感じのやつ。明るくて暗いやつというのがコンセプト。さあ、どうしようかなあ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ