周勃
重苦しい空気が流れている。
片方に座るのは周勃、そのもう一方には陳平が座っている。
互いに互いを見てはいるがその表情にはにこやかさとはかけ離れているものが浮かべられている。彼らは互いに互いをこう思っている。
(決して好きになれるような男ではないだろう)
と、
(まさに険悪という言葉に相応しい場だね)
陸賈は内心、会わせたのは間違えだったかなあと思いながらその場を眺める。
陳平は陸賈の勧めに従い、五百金を準備して周勃の寿を祝うための盛大な宴に周勃を招いて親交を深めようとしたのである。
しかしながらこの場で流れている空気はそのようなものではない。
周勃と共にきた夏侯嬰や灌嬰も互いに顔を見合わせる。
「此度は来てもらい感謝する」
陳平が口を開くと周勃は腕を組みながら彼を睨みつける。
「前口上は良い、要件を早く話せ」
周勃の言葉に陳平は不快な表情を浮かべる。
(うわあ、ここまで仲が悪かったんだあ)
陸賈は遠い目をする。
「今回、あなたを呼んだのは他でもない。今後の漢王朝のことだ」
周勃は目を細め、酒杯を持つ。
「今、漢王朝は呂氏の専断に合い、劉氏は危機的状況にある。群臣は斉王の弟君・朱虚侯の元、一致団結しようとしているが……」
陳平がそこまで言った瞬間、周勃は酒杯を叩きつけるように置いた。
「くどい、お前はいつも回りくどいのだ」
彼の言葉に陳平は、
「聞く気がないのならば帰ってもらっても構わん」
帰るように手を払った。
(あちゃあ、これは難しいなあ)
陸賈は頭を抱える。予想以上に二人の相性が悪すぎる。
「陳平よ。私はお前のことが嫌いだ」
(これは関係修復さえもできなくなりそう)
陸賈が諦めた表情を浮かべる中、周勃は続けて言った。
「何をなすにしても回りくどく、口先はご立派だ」
陳平は彼を睨みつける。
「だが、お前は高帝と共に戦場を駆けた戦友でもある」
周勃の表情に硬さが取れる。
「そんなお前は我らにこう申せば良いのだ。漢の礎のために協力しろとな」
彼は酒杯を持って立ち上がり、陳平に近づき彼の前に座る。そして手の酒杯を突き出す。
「お前がやろうとしていることは漢の礎のためになる。そうだろ?」
「ああ、そうだ」
陳平は静かに頷く。
「ならば、狡兎を追う、良狗となろう」
「それって、最後煮られるやつ、ぐえぇ」
陸賈が笑うのを夏侯嬰が肘で突く。
「お前は誰が帝位に着くべきだと考えている?」
「陳平、お前が考えるやつでいい。お前は漢の礎のためになると言うのであるならば、反対せんよ」
「そうか」
陳平は突き出された酒杯を手に取る。
「漢の礎のために、力を貸してくれ」
「応」
互いに酒を飲んだ。これを機に互いに答礼として宴を開くようにすることで、呂氏の監視から逃れ、親睦を深めるようになった。
「陸賈、あなたには未だ進退の行方が不明な群臣の中を遊説してもらいたい」
「わかったよ」
陳平は奴婢百人、車馬五十乗、銭五百万を飲食費として彼に送り、陸賈はこれらを使って漢廷の公卿の間で遊説し、ますます名声を高めた。
準備が着々と進み始めた中、陳平にとって拙い事態となりかねない状況となった。
呂雉が代王・劉恒に使者を送って趙王に遷そうとしたのである。
(薄姫様ならば、これを許すはずがない)
それも上手く躱す形を行えるはずである。
劉恒は書簡を送り、代の辺境を守ることを願い、趙への国替えを辞退した。
陳平はこの隙を突いて、劉敬を通して、太傅・呂産を動かして共に上奏した。
武信侯・呂禄(劉恒の兄・呂釋之の子。胡陵侯。)が諸侯の上にいて位次(功績の序列)も第一であるため、趙王に立てるように請うた。
呂雉はこれに同意して呂禄を趙王に封じた。
また、呂禄の父・呂釋之は建成康侯(建成侯。康侯は諡号)だったところを追尊して趙の昭王とした。
九月、燕王・劉建(霊王。劉邦の子)が死んだ。
燕王の美人(妾の一人)に子がいたが、呂雉は人を送って王子を殺し、燕国を廃した。
すると南越が長沙を侵略した。
漢朝廷は隆慮侯・周竈に兵を率いて南越を攻撃させた。しかし、南越は逃げ足がはやくさっさと逃走してしまった。
「南越はこの後も侵略を続けるだろうか?」
陳平が陸賈に訪ねた。
「続けるみたい。ただ、漢王朝に新たな皇帝が立てば、頭を下げようと言っていたよ」
「なるほど、それは食えないことだ」
南越王・趙佗は食えない男であると言っていいだろう。つまり彼は呂氏の政権が長続きするとは思っておらず、自分の地位の保証を新たに即位する皇帝に頭を垂れることで許されようとしている。
また、それによって新たに即位した皇帝の徳を示す働きもある。
漢王朝にも彼にも得がある行動であると言っていいだろう。
「少しずつ準備は出来始めた。あとは太后だな」
彼女が生きてる限りは勝つのは難しい。だが、その命の限界は近いことだろう。
「その時が勝負だ」
陳平は空を睨みながらそうつぶやいた。