田生
タコ旅が欲しい。でも金もスイッチも持っていないという悲しみ。
田生の元に営陵侯・劉沢からの金が届いた。その額は二百斤であった。書簡が送付されており、田生の寿を祝うと書かれていた。
「これほどの礼を尽くされた以上は報いなければのう」
彼は微笑みむと一旦、斉に戻ることにした。そのことに驚いた劉沢は田生に書簡を送った。
「私と交友するつもりがないのですか?」
その書簡を呼んで田生は笑いながら息子の元を訪ねた。
「おやおや、お父さん何ですか?」
「ちょっと長安に行くぞ」
「えっ」
有無を言わさず、田生は息子の首根っこを掴み、長安に連れて行った。そして、劉沢には会わないまま、大宅を買い取るとそこで息子に二つの書簡を息子に渡した。
「この二つを持って、大謁者。張子卿(張卿。張澤)の元に行け、良いな?」
「私が困惑していることはわかっているでしょう。お父さん」
「先ずはこの右の書簡を渡せ、私が営陵侯の配下で、お前を仕えさせたいと書かれている」
息子の言葉を無視して、田生は話しを進める。
「そして、証拠を見せろと言われたら、この左の書簡を見せよ」
彼が指さした書簡は、劉沢から斉に帰ってきていた時の書簡である。この書簡が寄越すと思っていたからこそ、斉に一旦、戻ったのである。
「お父さん、今、私が考えていることわかります?」
「くそ親父だろ?」
「では、いってきまーす」
息子は張澤の元でしばらく働き、数ヵ月後、息子を使って張澤を家に招かせた。張澤は同意した。
田生は帷帳を張って盛大な酒席を設けた。その様子は列侯に匹敵するほどだったため、張澤はとても驚いた。
「営陵侯に大変、尊重されておりましてな」
彼はそう言って彼を宴の席に座らせると酒をどんどんと勧めた。酒がまわった頃、田生は人払いをして張澤に言った。
「私は画家として、諸侯王の邸第(邸宅)百余を見てきましたが、全て高帝と同じ時代の功臣たちばかりでした。呂氏は今まで高帝を推轂(推して前に進めること)して天下を取らせ、その功績は至大であり、しかも太后の親戚という重みもございます」
そこで僅かに張澤は目を細めた。
(酒で酔っていても……それでこそだ)
田生がこれほど豪華な宴を行ったのは、これから始める話しが劉沢と呂雉の代理としての話しであるということを印象づけるためである。
「太后の春秋は既に長く(太后は既に老齢で)、諸呂は弱小と言えましょう。太后は呂産を呂王に立てて代を治めさせたいと思い、しかし太后がこれを実行するのは困難でございます」
「既に実行されている」
張澤がそう指摘されると田生はそうでしたと頭をかく。むっとした表情を浮かべる張澤の性格がわかったと思いながら彼は続けた。
「しかしながらそれを行うまで時間がかかりました。それは大臣が従わない恐れがあったためです。今、卿は呂太后から最も寵愛されており、大臣からも尊敬されています」
「何が言いたい?」
その反応に僅かに田生は笑う。イラつき始めた彼に言った。
「ならば、なぜ秘かに大臣を諭して太后に進言させないのでしょうか。そうすれば太后は必ずや喜びましょう。諸呂が王となるために働けば、あなたは万戸侯でも得ることができましょう。太后が心で欲しているにも関わらず、あなたが内臣としてすぐに行動しなければ、恐らく禍が身に及ぶことでしょう」
これには張澤の自尊心を刺激する意味がある。彼はここまでの会話で自尊心が強いことがわかっている。そのための発言と同時に彼の不安を煽った。
納得した張澤は呂雉の心意を婉曲に大臣達に語り回るようになった。それによりますます呂雉が朝廷に臨んで大臣達に意見を求めやすくなった。
この動きに対し、呂雉は張澤に金千斤を下賜した。
張澤は金の半分を田生に譲ろうとしたが、田生は受け取らずこう言った。
「あなたの行動によって呂氏が王になり安くなりました。しかしながら諸大臣が完全に服したわけではないことはご存じであると思います。今、営陵侯・沢様は諸劉(劉氏)に属し、高位に登っていますが、満足していません。あなた様が太后に進言し、十余県を割いて王にされれば、彼は王位を得て喜んで去るでしょう。諸呂の王位をますます固められることになります」
張澤は田生のおかげで、呂雉の寵愛を増していることを感じているため、入宮して呂雉に話した。
呂雉はあまり劉沢に悪印象がない。呂氏を妻としており、劉友とは違い、尊重している。また、薄姫から書簡が届いていた。それは劉沢が劉氏の中で呂氏に通じる少ない人物の一人であること、そして彼を琅邪に置くことで斉への備えにするのはどうかという内容の書簡が届いていた。
彼女は呂氏を王に封じているため、群臣たちの不安があることもわかっている。そこで張澤の言葉に納得して営陵侯・劉沢を琅邪王に封じることを決定した。
琅邪王・劉沢は田生と一緒に封国に行くことにした。
「ここはお急ぎよ」
田生は劉沢に急かして、出発するよう勧めた。
劉沢が関を出た時、呂雉が使者を送って引き留めようとしました。あまりにも流れが出来すぎていると予感を覚えたためである。しかしながら既に劉沢が既に去っていたため使者はあきらめて還った。
この劉沢と田生の逸話は『史記』の中でも中々に問題がある話の一つである。
それに的確に指摘しているのが『資治通鑑』の注釈を行った胡三省の言葉である。
「『史記‧世家』と『漢書‧列伝』は田生が張澤を使って呂産を呂王に立てるように大臣を諭し、その後、劉沢を王に立てさせたとしている。しかし太后は既に呂王・嘉が驕恣だったために廃して呂産を呂王に代えている(紀元前182年)。今になって始めて呂に封じたのではない。また、諸呂が王になって久しいのに、なぜ田生の謀が必要なのか。よってこの話は『資治通鑑』では採用しない」
というものである。確かに彼の指摘のように話しの時期が遅すぎるように感じる。明らかに年代に問題がありすぎる。
指摘の箇所も含め、『史記』の中で劉沢と田生の他の話しも動揺に矛盾がある箇所がある。
急いで馬を走らす劉沢一行を眺める黄色い服の男が眺めている。
「天の意思でも把握できない異物か……ふふ、人というものは面白いものだ」
男はすっと影の中に消えていった。