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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第三部 漢の礎
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綻び

 紀元前184年


 呂雉りょちによる勢力拡大は止まらない。


 二月、恵帝の子と称す劉太を昌平侯に封じ、四月には妹・呂須りょすを臨光侯(または「林光侯」)に封じた。


 その他に呂他りょち(または「呂它」)を俞侯に封じた。呂他の父を呂嬰りょえいといい、劉邦りゅうほうに従って功を立てた人物である。


 呂忿りょふんを呂城侯に封じた。呂勝りょしょうも贅其侯に封じた。二人共呂雉の兄弟の子である。


 これ以外にも諸侯の丞相五人を封侯した。呂相・朱通を中邑侯に、梁相・王恬開を山都侯に、常山丞相・徐厲を松茲侯に、楚相・呂更始を滕侯に、長沙相・越(姓氏不明)を醴陵侯に封じた。


 このように勢力を強めていく彼女に厳しい目を向ける者がいた。


 前少帝である。彼は成長して自分が皇后の子ではないと知るようになっていた。呂氏に従わない誰かが吹き込んだのかもしれない。


 またそれにより、実母が殺されていたことも知った彼は、


「后(張皇后)は我が母を殺して私を実子と偽ってきた。どうしてそのような事ができるのか。私はまだ幼いが、成長したら変事を為してみせよう」


 と言うようになった。


 子供の発想にしては過激である。明らかに誰かによる吹き込みであると呂雉は判断した。直様、対処を行うことにした。


 前少帝を後宮の永巷に幽閉し、


「帝が病になった」


 と宣言して誰も謁見できなくしたのである。


 呂雉は群臣を集めて述べた。


「天下を有し、万民を治める者は、天のように全てを覆い、地のように全てを包容するもの。皇帝は懽心(歓心。驩心)をもって百姓を安んじさせ、百姓は欣然として喜び、皇帝に仕え、懽欣(歓心と欣然)が交わり通じて天下が治まるのです。今、皇帝の病は久しく治らず、失惑昏乱しているため(正気を失っているため)、継嗣して(帝位を継いで)宗廟祭祀を奉じることができないでいる。これでは天下を委ねるべきではありません。代わりを立てることを議しなさい」


 群臣は皆、頓首して答えた。


「皇太后は天下斉民(平民)のために計を立てており、それによって宗廟と社稷を安んじること甚だ深いため、群臣は頓首して詔を奉じております」


 こうして前少帝は廃されることになり、後に幽殺された。


 五月、恒山王・劉義が帝に立てられた。劉弘に改名した。これを後少帝という。但し、今まで通り呂雉が天下を治めたため、改元はしなかった。


 軹侯・劉朝が劉義(劉弘)に代わって恒山王に立てられた。


 あとの問題は誰が前少帝に吹き込んだのかであるが、彼女が次に行ったのは平陽侯・曹窋(曹参の子)を御史大夫にしたことであった。


 呂雉は徹底的に捜索を行うつもりであったが、ここで下手な粛清の真似事を行って群臣たちを不安にさせるよりも新たな皇帝を即位させたことへの動揺を抑える人事を行うことを彼女は優先したのである。


 紀元前183年


 呂雉が政治の混乱を治めるようにしている中、彼女の頭を悩ます事態となった。


 この頃、漢の有司(官員)が南越との関市(漢は辺境の関で異民族と交易をしていた。そのため「関市」という)における交易で、鉄器の売買を禁止するように請うていた。


 それを知った南越王・趙佗ちょうたは、


「高帝は私を王に立てて使者と物資を通じさせた。しかしながら高后は讒臣の意見を聞いて我々を蛮夷と同等とみなし、器物を隔絶させようとしている。これは長沙王の計に違いない。長沙王は中国(中原の勢力)に頼って南越を撃滅し、長沙と南越を併せて統治して己の功とするつもりなのだ」


 趙佗は自らを南越武帝と自称し、長沙を攻撃して数県を破ってから兵を還した。


 すぐに南越討伐を行いたくあったが、ただでさえ後少帝が即位したばかりである。下手に軍を動かしたくはなかった。


 その辺も考慮して趙佗は反乱を起こしたのである。食えない人である。


 紀元前182年


 南越の反乱という頭を抱えかねない状況の次は身内の不祥事が起きた。


 呂王・呂嘉りょかの生活が驕恣(驕慢で好き勝手に振る舞うこと)であり、度々問題を起こしていたのである。


 呂嘉は呂粛王・呂台りょだいの子で呂台の父は悼武王・呂澤で、呂雉の兄に当たる。


 ここで彼女は素早い判断を下し、呂嘉を廃して、粛王・呂台の弟・呂産りょさんを呂王にした。


 ここで陳平ちんぺいが推薦を行った。


 朱虚侯・劉章りゅうしょうの弟・劉興居りゅうきょいを東牟侯に封じさせ、劉章と共に宿衛を命じさせたのである。


 身内の問題を片付けた途端に、匈奴が狄道を侵して阿陽を攻めた。


 娘婿であった宣平侯・張敖もこの年亡くなっており、呂雉の周りで問題ばかり起き続けて、それへの対応に追われ続けた。


 ここまで政治では無難な状況を維持していた彼女の政治にほころびが出始めていた。彼女自身の器量では対応しきれない状況になりつつあったのである。


「政治を行うことがこれほど大変だとは思わなかったわ」


 するとそこに陸賈りくかが進言を行った。


「私は南越の長とは面識があり、親しくもしました。匈奴への対応もありますし、私が南越の説得を行わせてください。少なくとも動きを制限したくございます」


「わかりました。お任せします」


 こうして陸賈は南越へ向かった。


「まあ、しばらくは都を離れて様子を見ていこうねぇ」


 彼は気楽に馬車で横になりながら南越に向かった。



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