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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第三部 漢の礎
115/126

左遷

 紀元前187年


 政令は呂雉りょちから出していた。


 冬、皇帝に代わって政治を行っている呂雉は自分の権力を増す意味を含めて、諸呂(呂氏一族)を王に立てたいと思い、群臣と協議した。


 皆は沈黙した。正直、逆らって自分たちが処罰されることを恐れたというのが大きいが、同時に彼女が政治において失政が無いというのも反対することが難しいということもあった。


 暴君へ挑む勇気はあっても失政を行っていない名君に問題を突きつけることへの勇気は彼らにはなかった。


 呂雉が右丞相・王陵おうりょうに意見を求めた。彼は他の者たちとは違った。


「高帝(劉邦りゅうほう)は白馬を犠牲にして群臣と誓い合いました。『劉氏にあらずして王になる者がいれば、天下は共にこれを撃て』と、呂氏を王に立てるのは、盟約に背くことになります」


(こいつ……)


 王陵に反対された呂雉は機嫌を悪くした。


 彼女は自分が正しい政治を行っているという自信がある。そして、その運営を更に円滑にやりたいという思いと自分たち一族が漢王朝を支えているという自負もある。


 呂雉は次に左丞相・陳平ちんぺいと太尉・周勃しゅうぼつに問うた。すると二人はこう答えた。


「高帝は天下を定めて子弟を王としました。今は太后が称制(政治を行うこと)していますので、昆弟(兄弟)や呂氏を王にしても問題はありません」


 陳平とすれば派手な行動をしたくないという意識がある。だが、周勃の考えがわからない。


(確か彼は呂氏に恩義があったか……)


 そのためだろうか。だとすれば彼を味方につけるのは難しいことになる。


(まあ良い)


 自分のできることをやるだけである。


 ともかく呂雉は二人の発言に満足して喜んだ。


 朝議が終わって群臣が退くと、王陵が陳平と周勃を責めた。


「かつて高帝と血を啜って盟を結んだ時、諸君はいなかったのか。今、高帝が崩じて太后が女主となり、呂氏を王にしようとしている。諸君は太后の欲をほしいままにさせ、意におもねって盟約に背こうとしている。何の面目があって地下で高帝に会うつもりか」


 陳平と周勃は、


「今、朝廷において正面から諫争することにおいて、我々はあなたに及ばない。しかし社稷を全うして劉氏の後代を安定させるということにおいては、あなたは我々に及ばない」


 と返した。これに王陵は何も言えなかった。


 十一月、呂雉は王陵を右丞相から太傅に遷した。太傅は皇帝の教育を担当する高官であるが、実際は相国としての実権を奪うことが目的であった。


 王陵は病と称して職を辞し、封地に引きこもった。


 王陵が右丞相の職を解かれたため、左丞相・陳平が右丞相になった当時は右が左の上になる。


 辟陽侯・審食其しんいきが左丞相に任命された。しかし審食其は丞相としての職務を行わず、宮中の監督を担当して郎中令のような立場になった。


 審食其は呂雉に寵愛されていたため、常に太后の傍で政治に関与した。そのため公卿大臣は皆、審食其に政務の裁決を仰ぐようになった。


 王凌という頑固者を退けた呂雉は次に御史大夫・趙堯ちょうぎょう劉如意りゅうにょいの安全を謀って劉邦に進言したことを怨んでいた。


 そこで、趙堯の罪を探して罷免し、上党守・任敖じんごうを御史大夫に任命した。


 任敖が抜擢されたのは、かつて沛の獄吏だった時、呂雉に恩を施したことがあったためである。


 任敖は沛人で、若い頃、獄吏を勤めていた。劉邦がかつて官吏から逃れた時、官吏は呂雉を逮捕した。官吏が彼女に対して無礼をはたらいたため、以前から劉邦と仲が良かった任敖は怒って彼女を監視している官吏を殴り、怪我をさせた。


 劉邦が挙兵すると、任敖は客として従い、御史になった。豊を二年にわたって守った。


 劉邦が漢王に立って項羽こううを討伐した時、劉邦は任敖を上党守に遷した。


 陳豨が謀反した時も任敖は上党を堅守したため、広阿侯に封じらて食邑千八百戸を与えられた。


 今回、彼女によって御史大夫に任命されたが、元々頑固なところがあり、三年後に罷免されることになる。文帝ぶんていの元年に世を去ることになる。


 このようにして、自分の意見を通しやすくなった後、呂雉は父の臨泗侯・呂公を追尊(死者に尊号を加えること)して宣王とし、兄の周呂令武侯(周呂侯。令武は諡号)・呂澤を悼武王にした。既に死んだ父と兄を尊重して王号を与えたのは、生きている呂氏一族を封王するための準備である。


 このようにして漢王朝における呂氏の勢力は強まっていくことになる。




 

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