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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第三部 漢の礎
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訃報は続く

 劉肥りゅうひが死んだため、息子の劉襄りゅうじょうがあとを継ぐことになった。


「母上はどこにおられる?」


 劉章りゅうしょうが探すが、虞姫ぐきはどこにもいなかった。


 その彼女は黄色い服の男、黄石こうせきの元にいた。


「わざわざ来てどうした?」


「あなたを嘲笑いに来たのよ」


 彼女は見下しながらいう。


「歴史を変えることができなかったことか?」


「いいえ、人の選択の強さよ」


 黄石は目を細める。


「あなたが思っているように、天の意思だけでなく、人の意思が歴史を作ることがある。その証明をあいつはやったのよ」


 虞姫は笑う。


「天を見返したのよ」


 彼女は背を向けて去っていこうとする。


「それだけをあなたに言いたかったの」


「そうか……天を見返したか」


 黄石は僅かに笑った。












 劉肥の死からあまり経たないうちに、漢王朝には訃報が届いた。


 張良ちょうりょうが死んだというのである。


 彼が始皇帝しこうていに放った鉄槌から戦乱の狼煙が上がったともいえ、劉邦りゅうほうを勝利に導いいた手腕を含め、多くの人々が彼の死を悲しんだ。


 陳平ちんぺいもその一人であった。張良は誰よりも早く自分の才覚を認めた人である。その人の死を誰よりも惜しんだ。


「張辟彊殿」


 張良の息子が話しかけてきた。


「父の葬儀に参っていただき感謝感激でございます」


 この張辟彊という男はあまり父親に似ていないところがある。


「父が死にましたが、どうも喪に服すことになりましたので、しばらくお会いできないので今お会えてできましてよかったです」


「ええ、そうですな」


「それではこれで……」


 張辟彊は他の葬儀の参加者の方へと行く。張辟彊が次に話しかけたのは、劉沢りゅうたくである。劉邦りゅうほうの従兄弟にあたる人で、元々劉氏の本家筋にあたる家系の人である。だが、傲慢なところの無い人で、欠点は少し勝気なところがあるぐらいである。それ以外は比較的に温和な人である。



「ふむ……」


 陳平はそれを見た後、立ち去った。後にこの劉沢が漢の後継に関わることになる人物になることは思わないまま。


 立て続けに訃報が続いた。樊噲はんかいが世を去ったのである。


 武勇に優れ、沛県の挙兵時に彼が先鋒を受け持ったことで最初の段階から一定の力を持った軍としていられたのは彼である。また、素朴な感動を与える人であり、呂氏一派の一人と見られなければもっと後世の評判もよかった人出会ったはずである。


 劉肥、張良、樊噲と楚漢戦争を経験してきた者たちが死んでいくことに呂雉りょちは僅かに安堵した。今後の政治運営がしやすくなったというのが大きい。やはり夫・劉邦と共に戦場を駆け抜けたというだけでもやはり彼らは特別なのである。


(これからを考えれば、そんな特別な連中はいらない)


 特別な連中は厄介なだけである。


 だが、そんな彼女が膝から崩れ落ちる事態となった。


 紀元前188年


 八月、息子の恵帝けいていが崩御したのである。享年は二十二という若さである。


「そんな、そんな」


 呂雉は悲しみに暮れる。だが、息子を失った悲しみよりも後継者を考えなければならない。


 彼女は恵帝に魯元公主の娘を娶らせて皇后に立てさせていた。しかしながら子ができていなかった。


(夫はぽんぽん産ませるのだけどね……)


 そう考えていると彼女の元に薄姫はくきから書簡が届いた。内容は恵帝の血を引いた子ならば養子にすればいいというものである。


 呂雉はそれに従い、恵帝が死ぬ前に張皇后に命じて別の女性が産んだ子を養わせた。張皇后は妊娠したふりをして後宮の美人が産んだ子を自分の子とした。ここで呂雉の異常なまでの用心深かさというべきか実母を殺して養子を太子に立てさせた。


 恵帝の埋葬が終わると、太子が皇帝の位に即き、高廟(高祖廟)を拝謁した。


 しかし新帝はまだ年少だったため、呂雉が朝廷に臨んで天子の政務を行うものとした。


 恵帝の喪が発表された時、呂雉哭しても涙を出さなかった。


 張辟彊はこの時十五歳であったが既に侍中として宮中にいることができたため、喪を服すのをやめて、陳平に会いに行った。


「喪には服さないのか?」


「私が父に教わったのは非常事態を前にして、静かに喪に服していることではなく、行動することですから」


 彼はそう言うと続けてこう言った。


「太后には先帝しかいませんでしたが、今崩御したにも関わらず、哭しても悲しんでいません(泣いていません)。それはなぜかお考えになったでしょうか?」


 陳平とすれば、呂雉の責任感の強さ故であると考えていた。


「どうしてだろうか?」


 張辟彊が言った。


「帝には壮子(壮年の子)がなく、太后はあなた方を畏れているのです。そこで、呂台、呂産、呂禄を将にして南北軍の兵を指揮させるように請うようにするべきです。諸呂(呂氏一族)が全て入宮して朝廷内で政治を行うようになれば、太后の心が安らぎ、あなた方も禍から逃れられることでしょう


(なるほど)


 呂雉は息子の死を悲しんでいるのは事実であろう。そういう人である。だが、それ以上に彼女は国を背負っているという責任感の強さも同時に持っている人である。


(これが張良殿の最後の策か?)


 ふとそんなことを思いながら、結局は自分はあの人を越えることは無いのだろうと思った。そして、張辟彊の計に従うことにした。


 安心して喜んだ呂雉は哭礼に哀痛がこもるようになった。


「ところで、今後誰が皇帝の座に着くと思いますか?」


 張辟彊がそんなことを聞いてきた。


 その時、薄姫の言葉が蘇った。


『それは……まあ確かに言われたことは本当ですよ。でも……あんな言葉に何の意味がありましょう。所詮は戯言に過ぎません』


「それは天意を受けし者であろう」


「天意ですか。功績ではなくて?」


 張辟彊の問いは劉肥のことを知っているということである。


「ああ、功績による即位は開祖だけだ。あとは長幼か天意かだ」


 陳平は目を細める。


(だが、天意ならば私が余計なことをしなくても問題は無いはずだ。あとは何がきっかけになるかだが……)


 この王朝の未来を見据えながら陳平は自分の立場の難しさを痛感した。

















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