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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第三部 漢の礎
113/126

劉肥

 紀元前189年


 駟鈞しきんが手勢を率いて劉肥りゅうひの部屋に向かっていた。


(あの餓鬼を始末して、皇太后の元でこの王朝を荒らし続けることにしよう)


 このあとを考えながら、宮中を密かに進んでいる。そして、少し開けた廊下に至った時、周りに篝火が上がった。


「駟鈞、ここに何をしている?」


 劉肥が篝火が上がっている中、前に進み出る。


「これはこれは、王様こそなぜここにおられるのですかな?」


「お前に聞いているんだ。答えろ」


 魏勃ぎぼつが叫ぶ。そんな彼を駟鈞は鼻で笑うという。


「賊を殺せと命じられていてなあ、斉王をな」


 そう言った瞬間、魏勃が指示を出して、斉兵たちが駟鈞に襲いかかる。その瞬間、駟鈞は目の前にいる斉兵に対して、隣の兵の首を切り裂き、血を飛ばす。それにより前の斉兵の目がくらんだ瞬間に、さっと逃げ始める。


「追いかけろ」


 劉肥も剣を抜き、駟鈞を追いかける。廊下の縁を乗り越えて、駟鈞は逃げていく。


「待て」


 前に斉兵が回り込むが、駟鈞は彼らを一刀によって切り捨てた。


(一刀でか……)


 駟鈞は中々に剣術に優れている。それにも関わらず、ここでの彼の動きは手下を切り捨て、逃げの一択である。


(全く生存意欲の高いことだ)


 だからこそここで始末するのだと思いながら劉肥は魏勃に指示を出す。


「兵に逃げ道を塞ぐように指示を出せ」


「既に指示を出しています」


「よし、このまま追い込むぞ」


「はっ」


 劉肥は駟鈞を追いかけていく。


「ちっしつこいなあ、王様よお」


「お前もな」


 軽やかに屋根に飛び上がり、屋根を伝って逃げていく。


「あの男、だいぶ年いっているはずだろう。化物か」


 魏勃は舌打ちする。屋根を伝って逃げ、下に降りたと見れば、いつの間にか屋根に登るなどしている。とても年寄りの動きとは思えなかった。


「やれやれ、しつこい男は嫌われるぞ」


 剣を軽やかに振るい、斉兵を斬っていく駟鈞は嘲笑うようにいう。


「黙れ、害虫」


 魏勃は彼に向かって剣を突き出す。それを一瞬でよけると駟鈞は魏勃の剣を絡みとり、飛ばして更に一歩、彼の懐に入り、剣を上に向かって、突き上げる。


 それを劉肥が魏勃の首根っこをつかみ、後ろに引いたことで、僅かに顎に傷ができるぐらいで済む。


「お前、案外剣が使えるんだな」


「はっ舐めてると殺すぞ餓鬼」


 駟鈞は逃走を図る。


「煽る割には逃げるな」


 劉肥は魏勃を置いて、駟鈞を追いかける。


「王、無茶をしないでください」


 魏勃の声が聞こえるのを無視しながら劉肥は駟鈞を追う。ここで彼を逃しては、何の意味もないのである。


(ここで殺す)


 そのためにここまで準備をしてきたのだ。


 広場に近い場所にまでいったが、そこには駟鈞の姿が無い。


「見失ったか?」


 左右を見ても姿が無い。だが、


「上か」


 劉肥の上から駟鈞が剣で突き刺そうと降ってくるのを横っ飛びでよける。


「どうした、真正面からじゃ殺せないのか?」


「王様に対して、恐れ多くてね」


 互いに互いを罵り合う中、駟鈞は複数の小剣を劉肥に向かって、投げる。それを剣で弾いていくが、一本だけ彼の頬をかすった。それを見て、駟鈞はにやりと笑う。


 そのまま駟鈞は再び、逃走した。


(また、逃走……)


 駟鈞がいずれ自分に牙を向くだろうとは思っていたが、しかし彼は失敗したと見れば、逃げる男でもあるというのも今までの言動、行動からもわかる。だからこそ、呂雉りょちと手を結ばせるように仕向けた。彼女からの要請で自分を殺害するとなれば、要請通りにこなすために逃走する確立が低くなると考えたからである。


 しかし、彼はここまでほとんど逃走するばかりである。


(おかしいものだ……だが、今は追いかけることが先決)


 劉肥は彼を追いかける。だが、彼との距離が縮まらない。それどころか段々と距離が伸びていく。そして、次第に足が重くなっていく感覚を覚える。


(なんだ……)


 手を挙げるのを辛くなり始め、体全体に広がる謎のだるさが広がっていく。


(そうか……あの時……)


 頬を掠めた小剣を思い出す。あれに毒が付けられていたのである。


 その時、彼の前に小剣が飛び込んできた。驚きながらもそれを瞬時に弾く。だが、


「甘いねぇ、王様」


 劉肥の顔に駟鈞が蹴りつける。それにより、壁に激突し劉肥は倒れ込んだ。なんとかして立ち上がろうとしたが、力が入らず、立ち上がらない。


「ざまぁないなあ王様ぁ」


 駟鈞は彼を嘲笑う。


「随分、卑怯な真似をするじゃないか」


「俺様は勝てる勝負しかしないのさ」


(くそ、目が霞んできた……)


 力も更に入らなくなっている。


『どうした。そこまでか?』


 声が聞こえた。聞き覚えのある声である。誰であろうかと僅かに顔を挙げる。そこには凛々しい顔の大男が立っている。その男のことを劉肥はよく知っている。


「ああ、そうだ……」


 駟鈞は驚く。もはや体が動かせないであるにも関わらず、劉肥が立ち上がったためである。


(毒は確かに聞いている。なのにたちあがれたのはなぜだ?)


 動揺する駟鈞に対し、劉肥は彼を見据える。


「どうした。怖いか?」


 劉肥は笑いながら剣を構える。


「お前にこのまま負けたら、あの人にも申し訳が立たないのさ。項羽こううと斬り合って、生き残った者としてはな」


「はっ、そんな震えた状態で何ができる」


 駟鈞が剣を振るう。それを劉肥は受け止めていく。


「どうした。どうした。体が震え、目も霞んでいる男一人殺せないのか?」


 劉肥は彼を嘲笑いながら逆に彼へ攻勢をかける。


「くっ」


 鋭い剣裁きになんとか裁くのに精一杯な駟鈞に冷や汗が見え始める。


(どうする。いやこいつを殺さないと、あの皇后に殺されるだけだ)


 会っているだけにわかるあの女は敵に回してはいけない。そうあの時のせんのように……


 その時、劉肥の剣が左上から右上へ振り下ろされそうになる。剣で防ごうとするが間に合わない。駟鈞は左腕をそのまま剣に合わせるように振った。左腕は剣によって切られ、宙を舞う。だが、同時に劉肥の剣は左腕とぶつかった衝撃で駟鈞への体に届くまでの速さが鈍った。


(自分の左腕をこの状況で投げ出せるとは……)


 駟鈞の恐ろしさは底知れぬ悪意のほかに、異常なまでの生存意欲であろう。その生存意欲が自らの左腕を指す出すという最大の選択をここでしてみせた。


 彼はそのまま体をひねり、剣を劉肥の胸に向かって突き刺した。


(もらった)


 勝ちを確信する。もはや劉肥によけるための体力も力もない。だが、体をひねりなんとか胸ではなく、右肩に刺される箇所を変えることに成功した。同時に右腕に持っていた剣を落としてしまう。


 駟鈞は劉肥の左肩に刺さる剣から手を離す。そして、瞬時にまだ隠し持っていた小剣を持ち、劉肥の腹を指す。何度も、何度も。


 劉肥は苦痛の声を挙げる。右腕は肩を刺し貫かれたことにより、動かない。そのため左拳を駟鈞の頬を思いっきり、殴りつけその隙に距離を取る。


 しかしながら毒が体中を周り、立つことはもはや困難であるといってよく、彼は壁に背を付け、ずるずると座り込む。


「無様だなあ王様ぁ」


 斬られた左腕の止血を行いながら駟鈞は劉肥に近づく。劉肥はなんとか壁を背にしながら立ち上がる。


「おうおう、立ち上がれるとはねぇ、化けもんだあ」


 けらけら笑いながら駟鈞は劉肥の肩に刺さる剣を掴み更に押し込む。それにより、壁にまで剣が刺さる。


「はっもはやこの血の量では死ぬしかねぇなあ」


 夥しい血が劉肥の体が流れ出ていく、しまいには吐血までし始めた。


「これで依頼も完了したしずらかるかあ」


 そう言って、彼が背を向けた瞬間、


「おい、臆病者」


 劉肥が彼に向かって、そう言った。それに答える形で駟鈞は振り向く。


「お前は項羽といい、私といい、皇太后といい、いろんなやつにしっぽを振る臆病者だ」


 駟鈞の顔に青筋が見え始める。


「お前の剣術は一流だ。毒を扱うことでの確実性や、念入りね準備をする冷静さ。中々の男だ。だが、お前はそれほどの能力を有しながらも逃げの一択ばかり。怖いんだろう。自分の足だけで立てないってことを」


 劉肥は嘲笑う。


「お前は項羽になれない。いや歴史上の英雄にもなれはしない」


「この俺様が項羽に劣ると?」


「ああ、そうだ。項羽に唯一対等だったのはわが父だけだ」


 劉肥はその後も駟鈞を嘲笑うような言葉を並べていく。


「全く、何者にもなれないまま、死んでいくんだろうなあ。お前みたいな」


 彼は笑う。


「臆病者は、俺のことも怖いんだろう?」


「お前に怖さなど感じない」


 ここで駟鈞は劉肥に近づいた。止めを刺して、口を封じようというのである。


「それを待っていた」


 ある程度、近づいた時点で劉肥の目が輝き、素早く左腕を伸ばし、左手で駟鈞の首を握った。


「が、あっ……離せ……」


「お前なら来てくれると思っていたよ」


 駟鈞は致命的な失敗をしたといっていいだろう。毒に犯された劉肥をそのままにして離れれば、彼の勝利は確実であった。最後の最後で油断をしてしまった。


「もう二度と離さん。こんないい男の言葉を聞けるなんて、悪くないだろう?」


 劉肥はにやりと笑いながら駟鈞の首を締め上げる。


「は、な……せ」


 駟鈞は劉肥の腕に小剣を突き立てる。


「無駄だ……」


 もはや驚異の精神力で劉肥は自分の意識を、体を保っている。


「くそ、こ、こんなところで……」


 小気味のいい音が響いいた。その音は駟鈞の首が折れる音であった。


「王」


 そこに魏勃を始め、劉襄りゅうじょう劉章りゅうしょうらも集まる。


「駟鈞は殺した。だが……」


 目が霞んで、周りの者たちがわからない。


「父上、早く治療を早く」


 子供たちの声が聞こえる。


「お前たち、駟鈞が死んだことを伏せろ。良いな」


「承知しました。王、これ以上喋らず」


「子供たちよ」


「はい」


 劉肥の子供たちが集まう。


「先君は私にこう申された。『劉氏にあらざるものが王となれば、天下ともにこれを撃て』と。我々は漢王朝のための正義の刃でなければならない」


 言葉が回らない。


「皇帝……陛下の……恩顧を思い、最後まで尽くすのだ」


 もはや限界が近づいている。


(私は……良き臣下であったでしょうか)


 目を細めながら思う。


(私は良き兄であったでしょうか?)


 弟たちの姿を思い浮かべながら思う。


(私は……良き息子であったでしょうか……)


 その時、父・劉邦りゅうほうの姿が見えた。そして、劉邦は優しく頷く。


(ああ、よかった……)


「あとは皆に頼む」


 その言葉を最後に劉肥は事切れた。











 斉王・劉肥の死は真っ先に長安に届いた。


「よくやったわ駟鈞」


 呂雉は喜ぶ、一方、陳平ちんぺいの元にも知らせがきた。ただし彼の元にはもっと詳細な報告がされた。


「なるほど、これが策か……」


(これにより、呂氏一門の元に駟鈞の名を使って、反呂氏の者を紛れ込めることができる)


「斉王、あなたも漢の礎を築く人であったか」


 陳平は劉肥の惜しんだ。





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