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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第三部 漢の礎
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匈奴からの書簡

 紀元前192年


 ある日、漢王朝の元に匈奴の冒頓ぼくとつ単于から書簡が届いた。その一通の書簡に漢王朝の朝廷は、激情に包まれた。


 書簡の宛先は呂雉りょちであり、そこにはこう書かれていた。


「孤僨(孤独)の君(冒頓を指す)は沮沢(沼沢)の中で生まれ、平野牛馬の域で育ちました。しばしば辺境に至って中国で遊ぶことを願い、陛下(呂雉)も独立され(夫に先立たれ)、孤僨独居されておられる(寂しく一人で暮らして)おられることでしょうか。両主(匈奴と漢の主。冒頓と呂雉)、共に楽しむことなく、娯楽とすることもありません。そこで、お互いが所有しているものをお互いが所有していないものと交換することを願います」


 ぱっと見よくわからない内容のものである。この書簡はこう言いたいのである。


 冒頓単于には妻がなく、呂雉も夫・劉邦りゅうほうに先立たれている。お互いに寂しい思いをしている。であるから呂雉が冒頓の妻となり、冒頓が呂雉の夫になれば両主とも楽しめるだろうということである。


『史記』はこの内容を「妄言」とし、『資治通鑑』は「褻嫚(猥褻傲慢)」としている。


 それほどに嫌悪感を後世の歴史家が示すほどであったが、実際のところは異民族への偏見の方が強く、当時のこの書簡が出されたことの驚きと漢王朝の動揺を記しきれていないのではないか。


 この状況はかつて楚の荘王そうおうの「鼎の軽重を問う」た時と同じように冒頓単于による鼎の軽重を問うたという意味の方が強いのではないか。


 そのためこの書簡に対する返答に漢王朝の朝廷は紛糾したのである。


 まず最初に朝廷の議題となったのはこの失礼過ぎる書簡を届けた匈奴の使者を斬って出征するかどうかである。


 集められた諸将の中で、樊噲はんかいが進み出て、出兵を支持した。


「私に十万の衆をお与えとなり、匈奴の中を横行することを願います」


 この勇ましい意見に諸将も同意していく。だが、面白いことに呂雉は冷静であった。彼女は中郎将(漢には五官・左・右中郎の三将がおり、秩二千石を有した。郎中令に属して中郎を指揮した)・季布きふに意見を求めた。


 季布は劉邦に許されてからは一切、疑われることなくここまで来た稀有な人の一人である。劉邦よりも冷酷さと徹底さを有する呂雉に彼には一定の敬意を持っている。


 発言を求められた季布はこう言った。


「樊噲は斬るべきです。以前、匈奴が先帝を平城で包囲した時、漢兵は三十二万もおり、樊噲が上将軍になっておりましたが、包囲を解けませんでした。天下はその様子を歌にして、『平城の下は誠に苦しい。七日も食事がなく、弩を牽くことさえできない』と歌い、今でもその歌吟の声が絶えません。傷夷者(負傷者)もやっと立ち上がったばかりなのです。しかし樊噲は天下を震動させて十万の衆で匈奴を横行すると妄言しております。これは面謾(欺瞞。面前で嘘をつくこと)というものです。そもそも夷狄は禽獣と同じでございます。彼等から善言を得たとしても喜ぶに足らず、悪言を得たとしても怒る必要などございません」


 一つの書簡のために軍を動かして負けでもした時こそ天下の笑いものとなるだろう。そういった意味を込めての発言である。


(『民だけは敵に回すな』)


 呂雉は夫の言葉を思い出すと「善し」と言って大謁者(謁者の長・宦官)・張釋(または「張澤」「張釋卿」「張擇」)に返書を届けさせた。宦官を行かしたのは遠まわしの意趣返しであろう。


 その内容は以下のようなものである。


「単于は我が国を忘れることなく、書を賜りました。婚姻を要求されたため、我が国は恐懼しています。私が朝廷から退いて自ら図る上で、私は年老いて気が衰え、髪も歯も抜け落ち、歩くのも安定しておりません。単于は誤った情報を聴いたのでしょう。自らを汚す必要はございません。我が国には罪がないため、赦しが得られるべきだと思っています。私には御車二乗、馬二駟(八頭)がありますので、普段使う車駕としてお贈りします」


 呂雉が深く謙遜して謝罪の言葉を送ってきたことに意外そうに見た冒頓は再び使者を送って謝罪した。


「中国の礼義を聞いたことがありませんでした。幸いにも陛下の赦しを得ることができましたことに感謝申しあげます」


 と伝えて馬を献上した。


 こうして漢と匈奴が和親(異国に宗室の女性を嫁がせて婚姻関係を結ぶこと)した。恵帝けいていは宗室の女を公主として匈奴の冒頓単于に嫁がせることになった。


 これによりしばらく匈奴との関係は落ち着くことになる。


 この匈奴からの書簡は漢王朝側からすれば相当な屈辱的なものであったものの、現在の漢王朝は楚漢戦争時代の傷跡、匈奴との戦いでの敗戦などで傷ついていたことは確かであるため、匈奴との戦争を避けたかったのは事実であった。


 それがわかっていた冒頓単于は敢えてあのような書簡を送ったのであろう。だが、予想外だったのは漢王朝側があまりにも穏やかな返答を送ってきたことであった。


 彼はできれば、開戦となって攻め込んでくるのを期待していただけにこの穏やかな返答は予想外であった。流石の彼もこっちから攻め込むのは危険過ぎるためやりたくはなかった。


 もう一つそれができない原因は遊牧民族として、部族の意思統一が難しいというものもあった。


 一見、匈奴の強さに漢王朝が弱腰外交をしたようにも見えるが、戦での被害を考えれば、下手な戦をしたくはなかったというものであり、そこに重点を置かれた外交であった。また、後世の歴史家は匈奴からの書簡を妄言などとしていたが、匈奴側が力ではなく、そのようなやり方で煽ってきたことに匈奴が国としての成長をしているということへの見方に欠けていたと言わざ負えない、


 一種の外交戦を繰り広げられており、重要な場面にも関わらず、後世の歴史家が異民族への偏見の言葉のみで、匈奴の意図などへの考察に欠けているのは残念なことである。





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