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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第一部 動乱再び

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隠れる

「どう思う?」


 蕭何しょうか曹参そうしんにそう訪ねた。彼は蕭何にとって部下にあたる。


「どうとは?」


「劉邦へのあれについてだ」


「まあ県令の意趣返しでは?」


 曹参の言う。意趣返しとは、県令が呂雉りょちを妻にしたかったにも関わらず、劉邦の妻になったという件についてである。結婚を決めたのは呂公りょこうであるのだから彼へやるのが普通ではないかと思うが、流石に彼へやるのは憚って劉邦にやったのだろう。


「大人気ないことだ」


「まあ、劉邦への不満もあったでしょうがね」


 曹参は鼻で笑うように言った。彼もまた、劉邦への不満がある。


「だが、それで巻き込まれる者がいる」


 県令の怒りが劉邦個人だけに向けられるのであれば、ともかく巻き込まれる者たちがいる。


「それによって労働力が減るのは困るものだ」


 蕭何の脳裏にはここ沛における物資の流れ数量、人口の推移、労働力の度合いが常に更新されている。


「蕭何殿はなぜ、劉邦を官吏に推薦したのですか?」


「労働力の確保だ」


 つまり裏の社会で反社会的な行動をしている者たちを捕まえ、奴隷に落とし働かせることにより、ただでさえ秦の阿房宮建築などの労働力を取られているのをなんとかするそれが蕭何の考えである。そのために裏の社会に精通している劉邦が必要だった。それだけである。


「なるほど」


(この方の頭の中には計算ばかりしているということか)


 そんな二人の元に夏侯嬰かこうえいが駆け込んできた。


「た、大変です」


「どうした?」


「兄貴、いや劉邦の一団が消息を絶ちました」


 蕭何と曹参は顔を見合わせて、頷いた。県令の仕業であると。













 劉邦たちは酈山に向かっていたが、その途中で多くの者が逃走を図った。これは珍しいことではなく、大抵起こることである。そのため普通よりも人数を多めに連れて行くのが常識である。だが、今回は劉邦がなんとか集めたという程度しかない。


(さて、どうしたものか?)


 劉邦は豊西の沢に来た時、足を止めて酒を飲み始めた。そして、その酒を皆にも飲ませて、全ての徒衆を釈放することにした。


「お前たちは皆、去ると良い。私もこれから去る」


 このまま行ったところで処罰される。ならば、いっそのこと去ってしまったほうが良いだろう。


 劉邦の言葉はほとんどの者にとって喜ばしいことであった。盗賊扱いされることになろうとも逃げて生き残る方が良い。


 一人、また一人と立ち去っていき、徒衆の中で十余人が残った。


「兄貴、俺たちは兄貴に付いて行きますぜ」


 樊噲はんかいが言うと周勃しゅうぼつ曹無傷そうむしょうが頷く。


「そうそう、ろくでなしでも冥府への案内人にするには良いさ」


 紀信きしんはけらけらと笑った。


(死ぬならこの人とが良い)


 そんな恥ずかしいことは口に出せない紀信であった。


 彼らを眺めて劉邦は頷くと彼らの後ろで渋い表情をしている雍歯ようしを見て、


「なんだ。お前も残るのか?」


 と笑いながら言った。


「一人で逃げたって、生き残れるとは思えんからな」


 雍歯は横を向いてそう言った。


「まあ、いいさ」


 劉邦はぐっと酒を飲み、歩き出した。その後を皆がついていく。


 次第に劉邦が千鳥足になっていったため、安全に道を歩くためとして樊噲は一人、先行した。


 暫くして、彼は恐ろしいものを見たとして戻ってきた。


「兄貴、前方にとんでもねぇ、白い大蛇がいて道を塞いでいます。引き還しましょうぜ」


 既に酔いが回っていた劉邦はかっと目を見開いて、


「壮士が進もうとしているのだ。何を畏れるのか」


 と叫ぶやいなや、どんどん前に進み、大蛇を見ると剣を抜いて大蛇を斬った。蛇は真っ二つになったため、道が開かれた。


 その後も劉邦は数里進み、酔いが回って寝てしまった。事の顛末を見ていた樊噲は、


「流石だぜ、兄貴ぃ」


 と言ってそのまま進み、後の者もついて行った。


 その最後尾にいた周勃がたまたま振り返ると大蛇の死体が無くなり、夜中にも関わらず、一人の老嫗(老婆)が哀哭していた。


「なぜ、泣いているのだ?」


 不思議に思った周勃が問いかけると老嫗は答えた。


「人が我が子を殺したから哀哭しているのだ」


あなたの子はなぜ殺されたのか?」


 元々葬儀屋の周勃は哀れみを込めてそう言った。


 老嫗は泣きながら、


「我が子は白帝(西方の神。秦を象徴する)の子で、蛇に化けて道を塞いでいました。しかし赤帝の子に斬られてしまいました。だから哀哭しているのです」


 そう言って、そのまま老嫗は突然姿を消した。


 驚いた周勃は慌てて劉邦の元に駆け寄ると劉邦はやっと目を覚ました。そこで老嫗の事を報告したが、


「知らん」


 と言って、酔っていた時のことは覚えていないため、信じず、取り敢えずねぐらにする山を探すため歩き出した。










 劉邦が行方を晦ます。


 そのことは彼の妻である呂雉りょちに知らされた。彼女は泣いた。もしかすれば夫が犯罪者となり、処罰され、愛しい我が子まで殺されるのではないかと思ったためである。


 そんな彼女を蕭何が慰めた。


「奥さん。あやつはあれでも逃げ足の速い男でしてな。そうそう捕まることはないでしょう。あやつが派手な盗賊の真似事をしなければ、彼の捜索はほどほどに終わるはずです」


(だから劉邦、特に人を殺すなよ)


 蕭何としては殺人さえ犯さなければ、捜索の手を緩ませることはできる。


 彼だけでなく、盧綰ろわんも慰めに来てくれた。盧綰という人は劉邦と同じ日に産まれたという子で親同士も仲が良かったため、二人は親友であった。そんな彼に慰められた時、呂雉はふとあることを思った。


(なぜ、夫はこの人を連れてこなかったのかしら?)


 二人は親友として知られていた。その親友に劉邦はなぜ、彼に一緒に来るように誘わなかったのだろうか。親友だからこそ連れてこなかったのだろうか。


(親友であってもこの人の何かが誘うことを躊躇したのかしら?)


 彼女は知らないが劉邦は他者への評価の機銃に感動させてくれるかどうかというものがある。盧綰は親友であったが、彼の行動、言動に一度も感動したことが無い。


 さて、慰められてなんとか落ち着いた彼女の元に駆け込んできた男がいた。その男の名を審食其しんいきという。彼は劉邦に従っていたが、人数不足で捕らえられると思い、逃走した男である。


 彼は呂雉の前に行くと言った。


「私はご主人の元から来た者です。ご主人のいる場所を知っています。教えますので、匿ってもらいたい」


 これには半分、脅しも含んでいる。もし匿うことに同意しないなら、劉邦を売るという道を選んでも良いのである。


(さて、どうしたものでしょう……)


 正直、この劉家はあまり裕福ではない。夫の兄たちは働き者だが、義姉たちはそういうわけではない。義父は老年に近く、子供達はまだ幼い。匿うには厳しい。しかし、夫の居場所を知っているというのは嬉しい知らせである。


(人は追い詰められれば、何をしでかすかわからない)


 蕭何は殺人さえ犯さなければ、どうにかなると思っているが、追い込まれれば、本当に盗賊となり人を殺しかねない。


(子供達のためにも生きてもらわなければ)


「いいでしょう。あなたを匿いましょう。しかし、だからとって働かないことは許しません。いいですね」


「へい、承知しました」


 こうして審食其の案内の元、彼女は夫のいる芒山と碭山の間にある山沢へ向かった。


「あなた」


 呂雉は劉邦を見つけると駆け寄った。劉邦は飢えに苦しんでいた。ただでさえここには十余人の男たちがいる。しかも彼は民への盗賊を行為を許さなかったため飢えていた。


「お前、なんでここがわかった?」


 すると呂雉はこう答えた、


「あなたの居る場所の上には常に雲気がありますので、いつもあなたを見つけられるのですよ」


「ほう、そうかい」


 劉邦は笑った。そんなことは無いと思っているが、もし本当なら天は自分に生きろと言ってくれているのだと思った。


「さあ、あなた。少しですか食料になるものを持ってきましたよ」


「ああ、お前は良い女だ」


 呂雉は微笑みながら少し、耳元に口を近づけると、


「女は作っていませんよね?」


「あ、当たり前だろ」


 明らかに声の音程が低くなったことを感じながら劉邦はこくこくと頷く。


「それは良かった」


 呂雉は手を叩き、劉邦の元にいる男たちにも食料を分け与えた。


「さあ、さあ実家のものですから大丈夫ですよ。皆さん、食べてくださいね」


 こうして劉邦たちは彼女の密かな支援もあって盗賊紛いの行為をすることなく、隠れ続けることができた。やがて乱世の嵐に巻き込まれるその時まで……


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