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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第三部 漢の礎

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人彘

 劉邦りゅうほうが死に、息子の恵帝けいてい劉盈りゅうえいが跡を継いだが、その実権は母である呂雉りょちが握っていた。彼女は後処理を終えるや否や直様、行動に移した。


 夫が死んだことで庇う者がいないというべき、戚夫人せきふじんとその息子である趙王・劉如意りゅうにょいに牙を剥き始めたのである。


 彼女は戚夫人を永巷に入れた。永巷とは後宮で罪を犯した女官を幽禁する場所である。


 髠鉗(髪を剃って首枷をすること)に処し、赭衣(赤い服。囚人服)を着せ、舂(米をつく労働)をさせることにした。


 劉邦が生きていた頃の絶頂から一気に突き落とされた彼女を庇う者は宮中にいなかった。呂雉を恐れたというのも大いにあるだろうが、実際のところは彼女の人望の無さを物語っていた。


 捕えられた戚夫人は米をつきながらこう歌った。


「子が王となり、母は虜となり、朝から夜まで米をつき、いつも死と共にいる。三千里も離れているにも関わらず、誰が汝に伝えれようか」


 それを聞いた呂雉は激怒した。


「汝は汝の子に頼るつもりか」


 激情を表しているが、内心では嘲笑っている。趙王に助けて欲しいという歌を歌い、子供に頼りきっている姿、そしてその厚かましさが滑稽に映ったのである。


(母は子に守られるのではないの。守るものよ)


 彼女は使者を送って趙王・劉如意を招いた。


 しかしながらすぐに招くことができなかった。彼女の使者が三回も往復したが、趙相・建平侯・周昌しゅうしょうがその度、使者に対して、


「せ、先帝は私に趙王を委ねました。お、王は年少です。わ、私は太后が戚夫人を怨んでおり、趙王を召して一緒に誅殺すつもりだとお、お聞きしております。そ、それでは私は臣下として王を送り出すことができません。それに王は病を患っております。そ、そのため詔を奉じることができないのです」


 と言って拒否していたためである。


 怒った呂雉はまず人を送って周昌を招くことにした。周昌はこれには応じ、彼が長安に来てから呂雉はまた使者を送って劉如意を招いた。趙には周昌のような剛毅な臣下は他にはいなかった。


 そのため劉如意は長安に向かった。だが、そこでも呂雉は彼に手を出せなかった。


 慈仁な性格の恵帝は母の怒りを知り、弟を助けるために自ら霸上まで迎えに行き、常に弟と一緒に入宮し、一緒に起居飲食するようになったためである。


(あの子には困ったものだわ)


 相手は自分の地位を奪うかもしれない者なのである。そんな相手に優しさを示すなど、無意味な行為でしかない。しかしながらこれでは手を出すことができない。


 そうこうして年が変わり、紀元前194年。


 ある日、呂雉の元に荷物が届けられた。届け人は代王・劉恒りゅうこうの母・薄姫はくきである。


 呂雉の元には絶えず、彼女から書簡が届いており、何気ない会話を続けていた。


 さて、荷物の中身を見ると入っていたのは眠り薬であった。書簡には呂雉の体を気遣い、安眠のためと書かれていた。


 しばしその眠り薬を眺めていると呂雉はにやりと笑った。


 十二月、恵帝が早朝に狩りに行くことにした。その狩りに弟も連れて行こうとしていたが、眠ったまま起きようとしない弟を見て、流石に無理に起こすのも悪いだろうと思い、そのまま狩りに行った。


「そう、離れたのやって」


 呂雉は恵帝が一人になったと聞くや人を送って酖という毒を飲ませた。黎明、恵帝が還った時には、劉如意は既に死んでいた。


「母がやったのだ」


 恵帝は涙を流し、弟の死を悼んだ。


 劉如意に敢えて救いがあるとすれば、深い眠りによって苦しまずに死ねたこと、この後の母の死に様を見ずに済んだことであろうか。彼の諡号は隠王という。


 劉如意の死は各地に伝わった。斉王・劉肥りゅうひは静かに目を閉じ、悲しんだ。


 代王・劉恒は喪服に着替え、本格的に悲しみの姿を見せようとしたが、それを薄姫が必死に止めた。


「兄弟の死を悲しむことも許されないのですか」


 母に対して、反抗したこともなかった劉恒の言葉に薄姫は驚きと悲しみを覚えつつも頷く。


「それは……」


 その時の自分に向けた息子の目は悲しみと怒りが込められており、一生忘れることはないだろうと薄姫は思った。しかし、ここで下手なことをすれば、痛い目を見る。そのことがわかりきっているため、許すわけにはいかなかった。


 劉如意を始末した呂雉は彼の母である戚夫人の手足を斬り、眼(目)をえぐり、耳を薬草で燻って聞こえなくし(煇耳)、瘖薬(声が出なくなる薬)を飲ませて、厠に住ませた。そして、板を取り付け、「人彘」と名づけた。「彘」は「豚」の意味である。


 数日後、呂雉は恵帝を招いて人彘を見せた。


 恵帝はそれが戚夫人だと知るや大哭し、病を患って一年以上も起き上がれなくなった。


 実は戚夫人を置いた場所については別説があり、「厠」ではなく「鞠域」、または「鞠室」とされている。「鞠域」「鞠室」とも蹴鞠をする場所である。


 理由としては厠には住むことができず、恵帝が視に行けるはずもないため、「鞠域」「鞠室」が正しいとされている。


 正直、この時点で死んでいると思うのだが、どうだろうか?


 寝込んでしまった恵帝は人を送って母にこう伝えた。


「あのようなことは人が為す行為とは思えません。私は母の子として、もう天下を治めることはできません」


 母の非情さとその息子であるという血筋に彼は絶叫したと言って良いだろう。


 恵帝はこの日から酒に溺れて淫楽し、政治を行わなくなった。そのため彼の健康はますます害されていった。


 これに辛い評価を与えている者がいる。『資治通鑑』の編者・司馬光しばこうである。


「高祖の業を守って天下の主になりながら、母の残酷な行為に忍びず、国家を棄てて顧ることがなくなって酒色に溺れ、己の体を損なうべきではない。恵帝のような者は、小仁に固執し、大誼(大義)を理解できなかったと言うべきであろう」


 評価は正しいと言えるが、情に欠けている。




 

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