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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第三部 漢の礎
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余波

「秦王・せいは天下統一という偉業を成して、始皇帝しこうていとなった。項羽こううは常人を超えて神話の人となって西楚の覇王となった。劉邦りゅうほうは人を謳歌し、漢の高祖となった」


 黄石こうせきは劉邦の死を感じながら空を見上げる。


「英雄無き時代において、時代を作るのは天意か。人の意思なのか……」


 彼は目を細める。


「私はそれを知りたい……」


 劉邦が世を去ったのは四月甲辰(二十五日)である。


 彼の死を知った群臣たちは皆、悲しみに暮れたが、呂雉りょちはてきぱきと葬儀などの指示を出していった。


 王陵おうりょう蕭何しょうかに非情な人であると言うと蕭何は首を振った。


「昔から気丈な方なのだ。それをわかってもらいたい」


(陛下……いや劉邦……私よりも先に行くとはな……)


 蕭何は目を伏せる。沛県の飲んだくれが、皇帝にまで上り、一官吏に過ぎなかった自分は相国にまでなった。その不思議さを改めて感じる。


「さあ、準備をするぞ」


 蕭何はそう言って、指示を出し始めた。


 準備が進められ、皇太子・劉盈りゅうえいと群臣が太上皇廟に行った。


 群臣たちが言った。


「帝は細微(庶民)から身を起こし、乱世を治めて正道を還し、天下を平定して漢の太祖になりました。その功は最も高いものでございます」


 こうして劉邦に高皇帝の尊号が贈られることになった。そのため劉邦は高祖と呼ばれる。


 その後、劉盈が正式に皇帝の位を継いだ。これを漢の恵帝けいていという。そして皇后・呂雉は皇太后になった。


 劉邦の死は各地に伝えられた。


「そんな……兄貴が……」


 盧綰ろわんと数千人は辺境の要塞で様子を伺っていた。劉邦の病が良くなってから自ら上京して謝罪するつもりで、幼馴染の好で理解してもらえると信じていたのである。


 しかし劉邦は死んでしまった。


「こうなっては匈奴に亡命するしかない」


 盧綰は結局、匈奴に亡命した。


「やあやあ、ようこそ」


 冒頓ぼくとつ単于は盧綰を快く迎え入れた。


「まあ、ゆっくりしてくださいな」


 彼は盧綰に優しく声をかけ、休むように伝えて、寝床へ部下に案内させた。


「漢の皇帝は死んだか……楽しみが減ったなあ」


 そう言って彼は目を閉じた。


 盧綰を始め反乱を起こした燕の鎮圧にあたっていた陳平ちんぺい周勃しゅうぼつの元にも劉邦の死が伝えられた。ここで首を傾げるのは本来、鎮圧を命じられていたのは樊噲はんかいではなかったのかということである。


 実は劉邦の病がひどくなった時、ある人が樊噲を讒言した。


「樊噲は呂氏と与しており、陛下が晏駕(崩御)されれば、兵を発して趙王・如意にょいの属(党)を殺そうとしております」


 これに激怒した劉邦は陳平に相談を持ちかけ、計を用い、絳侯・周勃を召して病床の下で詔を受け取らせた。二人に劉邦は言った。


「陳平は急いで周勃を伝(駅車)に乗せて走り、樊噲と将を代わらせよ。陳平が軍中に至れば、すぐに樊噲の首を斬れ」


 二人は詔を受けてからすぐに伝馬を走らせたが、樊噲の軍に至る前に道中で相談した。


「樊噲将軍は帝の故人(旧知)で功も多く、それに呂后の妹・呂嬃りょす様の夫でもあられる。皇族と親しくて尊貴な地位にいるのです。帝は忿怒によって斬ろうとされておりますが、恐らく後悔されることでしょう。彼を捕えて陛下に献上し、御自身で誅してもらいましょう」


 陳平の意見に周勃は頷いた。


 二人は樊噲の軍に入る前に壇を築き、符節で樊噲を招いた。樊噲は詔を受けると両手を後ろで縛って出頭した。


「俺は何もやってない」


「ええ、わかっています。そのことを陛下に直接おっしゃっていただきたい」


 陳平は樊噲を檻車に乗せて長安に帰ることにし、周勃は代わりに将となって燕の背いた県を平定することになった。そのように決まった時に劉邦の死が伝えられた。


 初めに知ったのは陳平である。


「陛下が……」


 彼は予定よりも早く帰還の準備を行い、それから周勃に劉邦の死んだことを伝えた。そのまま伝馬を持って、長安に急ぐことにした。


 劉邦の死が伝えられた周勃は陳平が既に長安に向かったと聞き、


「あのようなところが好かんのだ」


 とつぶやいた。


 陳平が急ぐのは、呂嬃が呂雉の前で讒言することを恐れたためである。その途中で朝廷の使者に遇った。使者は詔によって陳平と灌嬰かいえいに滎陽の守備を命じることを伝えようとしていた。


(こういう時に……)


 その時、使者がもう一通の書簡を差し出した。それを開くと、「急げ」と書かれていた。


「誰からだ?」


 陳平が小声で言うと使者も小声になった。


劉敬りゅうけい様からです」


「わかった」


 このように知らせてくるということは、恐らく駟鈞しきんの手が回っている。


 陳平は詔に従わず、宮中に駆け戻り、激しく泣いて禁中の宿衛の任務を求めた。呂雉はこのことを聞くと、


「陛下は陳平のことを誠実な男であるとおっしゃられていました。なるほどそのとおりです」


 あっさり陳平を郎中令(宮殿掖門を管理します。後に光禄勳に改名されます)に任命し、恵帝の補佐教育も命じた。


 呂嬃は讒言する機会を失った。その後、樊噲が長安に入ると、釈放されて爵邑が元に戻された。


「これでなんとかなったか」


 陳平は呟く。


「陛下……」


 彼は目を閉じた。劉邦に用いられた日々を思い返しつつ、その後訪れるであろう問題にどう立ち向かうべきかを考え始めた。


 南越王・趙佗ちょうたも劉邦の死を死んだ。


「漢の皇帝が死に、継いだのは気弱な男か……」


 彼は髭を撫でる。


「実権は誰が持つのだろうか……それによって態度を変えるとしよう」


 食えなそうな男の表情を彼は浮かべながらつぶやいた。


 代王・劉恒りゅうこう薄姫はくきの元にも劉邦の死が伝えられた。


「問題は……実権を握るであろう皇太后がどう動くかね……」


 薄姫は呂雉の元に文通を行い、信頼を取ることを心がけているが、それをいつ無下にするかもわからない。


「やはり、恨みの矛先を予想することよね」


 彼女は次の呂雉の動きを警戒した。


 斉王・劉肥りゅうひの元にも劉邦の死が伝えられた。


「父上……」


 彼は涙を流しながら父の死を悲しんだ。


「父上、どうか、どうか天涯にて見ていてください。漢の礎は必ずや私が守ります」


 胸に秘める策がある。あの策が上手く決まれば、恐らく彼らなら上手くやってくれるはずである。そのための準備を今まで行ってきた。


(あの日……駟鈞を斬らなかったあの日……あの夜に……彼女が……虞姫ぐきが教えてくれたあのことを……)


 思い浮かべるのは三日月のような口を見せる虞姫の姿、そして、あの言葉……


『ねぇあなたがいつ死ぬか教えてあげましょうか?』


 劉肥は目を細めた。













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