劉邦
三月、盧綰討伐のための軍を動かした後、劉邦は詔を発した。
「私は立って天子となり、帝を称して天下を有してから、今で十二年になる。天下の豪士賢大夫と共に天下を平定し、共に安輯(安定)させた。功がある者は、上は王位に上り、次は列侯となり、下には食邑を与えた。重臣の親族も、ある者は列侯となり、皆各々に官吏を置かせ、賦斂(税収)を取らせ、女子も公主とした(女子にも邑を与えた)。列侯として食邑を有した者は印を佩し、大第室(邸宅)を下賜した。二千石の官吏は長安に遷して小第室(邸宅)を与えている。蜀漢に入り、三秦を平定した者は全て世世(代々)賦役を免除した。私は天下の賢士功臣に対して裏切っていないのである。それにも関わらず、もし不義によって天子に背き、勝手に兵を挙げる者がいれば、天下と共に伐誅するべし。これを天下に布告して、私の意思を明知させることにする」
親友であった盧綰さえ、討伐することへの正当化を自ら行った言葉であると言える。ここまでのことを思えば、わざわざ言葉にする必要もないと思われるため、彼自身に盧綰を討伐することへの後ろめたさが強かったのだろう。
盧綰討伐を行うことにしてから、劉邦の調子はますます悪くなっていった。英布を討伐した際に流矢に中ったこともあったためである。
長安に戻ってから呂雉は良医を招き、診察させた。
劉邦が医者に病状を問うと、医者は、
「疾(病)は治せます」
と答えた。すると劉邦は彼を罵った。
「私は布衣(庶人)でありながら三尺(剣)を手に持って天下を取ったのだ。これが天命ではないというのか。命は天にあるのだ。たとえ扁鵲(古代の名医)がいたとしても何の役にも立たないだろう」
劉邦は医者に治療させず、黄金五十斤を下賜して帰らせることにした。
「長生きしたくはないのですか?」
呂雉は病に伏せる夫にそう言った。言った瞬間、彼女は公の場以外で私的な会話をするのはいつ以来だろうかと、内心を思った。
「長生きしたいさ。だが、天命だ」
劉邦は軽く悲壮感を感じさせずにそう答えた。その答え方に彼女はああ、夫はもうすぐ死ぬのだと感じた。恨みがないわけではない。天下を治めるまで自分と子供達をほっといて、別の女と子を作るなど勝手なことをじっとしてきた。そのことにどれほどの我慢を重ねてきたことだろうか。
それでも……偉大な人であったことは彼女は理解している。この人のおかげで自分もこのような地位にいることができているのである。
(しかし、死んだあとのことを考えなければならない)
劉邦が死にそうになっている姿に悲しそうにしながらも彼女は今後のために動かなければならない。これを彼女の非情さと捉えるのは、些か酷というものであろう。
「陛下の百歳(崩御)の後、蕭相国も無くなった後は誰に代わらせるべきでしょうか?」
「曹参が良かろう」
「では、その次は?」
「王陵が良かろう。しかし少し戇(愚かという意味だが、頑固という方が正しいかもしれない)だ。陳平なら助けられるだろう。だが、陳平の智慧には余りがあり、単独で任せるのは難しい。周勃は重厚少文(誠実で言葉が少ないこと。敦厚で飾らないこと)だが、劉氏を安定させるのは周勃に違いない。太尉に任命できよう」
「その次は?」
呂雉がそう聞くと劉邦はふっと笑った。
「それ以降は汝が知ることは無いだろう。いつまで長生きするつもりだ」
彼は目を閉じた。
(死にたくねぇなあ)
劉邦はそう思った。まだまだやりたいことはたくさんあるのである。
(だが、人は永遠なんてものを求めちゃいけねぇ)
求めすぎというものである。
(大丈夫さ……俺以外の連中が、いる……)
目を少し開け、呂雉を見る。
「おい」
「はい」
呼ばれて、呂雉が近づく。
「民だけは敵に回すな……良いな」
夫の言葉に呂雉は驚き、そして頷いた。その姿に安心したのか劉邦は目を閉じ、そして二度と開くことはなかった。
暗い世界が広がっている。その中を劉邦は歩く。歩いていくと三つの椅子があり、その内の二つの席に座る二人の男がいた。一人は豪華な服を着ており、偉そうである。もう一人は筋骨隆々の凛々しい顔を持った男であった。
「やあやあ、お二人さん。お待たせさん」
劉邦は最後に残っている椅子に座る。
「私ならばもっと完璧なものを作れた」
偉そうな男がそう言う。
「いやいや、お前さんみたいに作ったら壊れるだろう」
劉邦は笑いながらそう言う。
「お前たち二人によって壊されたのだ」
偉そうな男がそっぽを向くと二人は笑う。
「で、お前の作ったものは長続きするか?」
凛々しい顔の男が劉邦に尋ねる。
「さあね。まああいつらならどうにかするだろうさ」
「軽いことだ。私に勝った男だというのに」
三人は笑い合う。
「あとは、今を生きる者たちに任せることにするさ」
劉邦はそう言って、腕を組んだ。
舜という神話の人を除けば、劉邦は初めて庶民から皇帝にまで登った男である。決して舜のような徳があったわけではない。始皇帝ほどの冷酷さを有したわけでもない。項羽ほどに武勇に秀でていたわけでもない。
彼は時に人に対して笑い、時に人のために泣き、時に人に怒り、時に人を憎み、時に人を疑った。そのため人から憎まれることも多かった。それでも彼は人に慕われた。彼のために命を懸けるも者もいた。
劉邦ほど感情豊かな皇帝は歴史上にいなかった。人という者に大きく関わり続けた人もいなかった。
まさに彼は人を謳歌し続けて、皇帝となったのである。
劉邦「じゃあな」