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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第三部 漢の礎
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友情

 劉邦りゅうほうは長安に帰還してから病がますますひどくなっていた。そのため彼は太子を換えたいという想いも強くなった。


 張良ちょうりょうが諫めても聞かないため、彼は病を理由に政事から離れた。


 次に叔孫通しゅくそんつうが劉邦を諫めた。


「昔、晋の献公は驪姫のために太子を廃し、奚斉を立てました。そのため晋は数十年も乱れて天下の笑い者になったのです。秦は早く扶蘇の地位を定めなかったために趙高は胡亥を詐立(偽って擁立すること)させ、自ら祭祀を滅ぼさせました。これは陛下が自ら見てきたことでございます。今、太子の仁孝は天下が皆聞き知っています。呂后は陛下と共に苦難と戦い、貧しい日々を乗り越えて参りました。それを裏切ってはなりません。陛下が必ず適(嫡子。太子)を廃して少(趙王・劉如意りゅうにょい)を立てるというのならば、私はまず誅に伏し、頸血で地を染めることを願います」


 劉邦は、


「あなたがそうする必要はない。私は冗談を言っただけである」


 と言うと叔孫通が続けて言った。


「太子は天下の本であり、本が一度揺れれば、天下が振動するのです。どうして天下をもって戲(冗談)とすることができましょうか」


 他の大臣の多くが強く反対しており、劉邦は群臣の心が趙王に向いていないと知り、ついにあきらめた。


 相国・蕭何しょうかは長安の地が狭いにも関わらず、上林苑には多くの空地が放置されているため、民を苑内に入れて田を耕させるように進言した。


 苑を利用すれば、穀物の実は民に収穫させ、藁は苑内に残して禽獣の食糧にすることができるためである。


 しかし劉邦は激怒して、


「相国は賈人(商人)から多数の財物を受け取ったに違いない。だから私の苑を求めているのだ」


 と言い、蕭何を廷尉に引き渡して刑具で繋がせた。数日後、劉邦に従っていた王衛尉が進み出て問うた。


「相国に何の大罪があって、陛下は突然逮捕したのでしょうか?」


 劉邦はこう答えた。


「私は李斯が始皇帝の相だった時、善は主に帰して悪は自分に与えたと聞いている。今、相国は賈豎(商人)から多くの金を受け取ったために、彼等のために私の苑を請い、民に媚びようとしているのだ。だからこそ獄に繋いで罪を治めることにしたのだ」


 すると王衛尉が言った。


「職事(職務。職責内の事)において民に便があるのならば、皇帝に請う、これが真の宰相の行動です。陛下はなぜ相国が賈人の銭を受け取ったと疑うのですか。そもそも、陛下は数歳(数年)に渡って楚と対峙し、陳豨や英布が反した時も陛下が自ら将となって討伐に赴きました。それらの時にはいつも相国が関中を守っており、もし関中で揺足(動き。動揺)があれば、関以西は陛下のものではなくなっていたでしょう。相国はその時を利とせず(そのような好機を利用せず)、今になって賈人の金を利(自分の利益)とするでしょうか。それに秦は李斯が皇帝の過ちを隠したからこそ、天下を失ったのです。李斯の分(始皇帝との責任の分担)という過ちに、どうして倣う必要があるのでしょうか。陛下はなぜこのように簡単に宰相を疑うわれるのでしょうか」


 劉邦は王衛尉の諫言に納得して慚愧した。その日、劉邦の使者が符節を持って蕭何を迎えに行った。


 蕭何は老齢というべき年となっていたが、かねてから恭謹だったため、入宮する前に裸足になって恩を謝した。その態度に劉邦は、


「相国がそのようにする必要はない。相国は民のために苑を求め、私はそれを許さなかったのだ。私は桀・紂のような主に過ぎず、相国は賢相というべき者だ。私が相国を繋いだのは百姓に私の過ちを知らせたかったからである」


 と言って彼の才覚を称えた。


 陳豨が代で謀反した時、燕王・盧綰ろわんは兵を発して陳豨の東北を攻撃していた(代の東北に燕がある)。


 陳豨は王黄を匈奴に送って援軍を求めたが、燕王・盧綰も自分の臣・張勝を匈奴に送り、


「陳豨らの軍は既に破れた」


 と伝えさせていた。


 匈奴には元燕王・臧荼の子・臧衍が逃走していた。張勝が胡(匈奴)に入ると、臧衍が会いに来て言った。


「あなたが燕で尊重されているのは胡の事に詳しいためです。燕が久しく存続できているのは、諸侯がしばしば反しており、戦が続いて解決できないからです。今、あなたは燕のために働いており、急いで陳豨らを滅ぼそうとしておりますが、彼らが全て亡べば、次は燕の番になりますので、あなたたちもまた虜になりましょう。あなたはなぜ燕に陳豨討伐を緩めさせ、胡と和を結ばせないのですか。事が緩和されれば、長い間、燕の王を称すことができましょう。もし漢に急(変事)があれば、国(燕)を安んじることができます」


 納得した張勝は秘かに匈奴と連絡を取り、匈奴に陳豨らを助けて燕を撃たせるようにした。


 盧綰は張勝が匈奴と一緒に反したと疑い、張勝族滅の許可を求めるために上書した。その後、張勝が帰って詳しく説明をするとそのとおりだと感じた盧綰は偽って他の者に刑を処し、張勝の家属を助けた。張勝には匈奴との間を行き来させた。


 また、陳豨には長い間存続して欲しいため、秘かに部下の范斉を送って兵を連ねるだけで決戦を避けるように伝えた。


「燕王は漢の皇帝の親友です。彼への信頼は厚いため、我らの協力は強固なものになりましょう」


 匈奴の長・冒頓ぼくとつ単于に部下たちが言うが、彼は、


「強固だと思っているのはその燕王だけじゃないの?」


 と言った。彼は陳豨への支援を行いながらも決して本気で助けているつもりはなかった。最初の段階での動きで彼が敗北することは目に見ており、得が無いのである。


「逆に燕王と漢の皇帝の間で喧嘩させた方が楽しそうだ」


 彼はそう言った。


 漢が英布を討伐した時、陳豨は代で斬られた。するとその裨将を名乗る男が漢に投降し、盧綰が范斉を送って陳豨と計謀を通じさせていたことを暴露した。


 この報告に最初は劉邦は信じなかった。いや信じてはいたのかもしれない。彼は使者を送って盧綰を招いた。しかし盧綰は病と称して拒否した。劉邦が自分を呼ぶ理由をわかっているからである。


 次に劉邦は辟陽侯・審食其しんいきと御史大夫・趙堯ちょうぎょうを送って盧綰を迎えさせ、ついでに燕王の左右の者を調査させることにした。


 二人共、劉邦の信頼を受けていると同時に呂雉りょちの信頼を受けている者たちである。


韓信かんしん彭越ほうえつを死に追いやったのはあの人だ)


 そう考える盧綰はますます恐れ、門を閉じて隠れてしまった。無言であることで劉邦にわかってほしいという意思表示のつもりである。


(兄貴なら理解してくれるはずだ)


 無言でも自分のことを知ってくれる。そう考えている盧綰であった。


 盧綰が幸臣(寵臣)に言った。


「劉氏以外で王位にいるのは私と長沙王だけである。往年の春、漢は韓信を族滅し、夏には彭越を誅殺した。全て呂氏の計によるものだ。今、陛下は病で呂后に全てを任せている。しかし呂后という婦人は理由を見つけて異姓王(劉氏以外の王)や大功臣の誅殺を進めることだけを欲しているのだ」


 盧綰は病と称して長安に行こうとせず、左右の者ら皆に身を隠させた。


 ここまでの動きで燕の臣下たちが感じるのは、劉邦の理不尽ではなく、盧綰に従っていることによって巻き込まれることへの恐怖心である。


 やがて盧綰の言葉が漏らす者が出てきて、審食其の耳に入った。審食其の動きは素早い。この行動で自らがどのような地位に立つことができ、利益を得ることができるのかを瞬時に理解できるのだ。


 長安に帰ってから、


「盧綰に謀反の兆しがある」


 と詳しく報告した。劉邦はますます激怒した。同じ頃、匈奴が投降した者を開放した。


「戦っていいよね。やるのも見物するのも楽しい」


 冒頓単于はそうつぶやいたという。


 その者らが漢にこう報告した。


「張勝が匈奴に逃亡しており、燕の使者となっている」


 劉邦は病でありながらも、憤怒の表情を見せ、


「やはり盧綰は反した」


 と言った。


(私はあれほど、やつに機会を与えてきた)


 それら全てを尽く無下にしてきたのが、盧綰である。劉邦は盧綰のことを確かに親友だと思っていた。親友だからこそ、自分の親友として相応しい存在であって欲しいと願い続けていた。


 劉邦は樊噲はんかいに命じて相国の名義で兵を指揮させ、盧綰を討伐させることにした。更に彼は燕の吏民で謀反に関わった者を赦す詔を発した。


「燕王・綰は私と故(古いつきあい)があり、我が子のように愛してきた。陳豨との間で謀があると聞いても、私はそのような事はないと思い、人を送って彼を迎えさせようとした。ところが彼は疾(病)と称して来なかった。謀反は明らかである。燕の吏民に罪はない。六百石以上の官吏にはそれぞれ爵一級を与えよう。今まで彼と一緒にいたとしても、彼から去って帰順した者は罪を赦し、爵一級を加えることにする」


 更に劉邦は諸侯王に詔を発し、燕王に相応しい者を推挙させた。長沙王・呉臣らが皇子・劉建りゅうけんを燕王に立てるように請うた。


 こうして皇子・劉建が盧綰の代わりに燕王に立てられた。


「なぜ、父と盧綰殿との間が裂かれてしまったのだろうか……」


 劉肥りゅうひは悲しそうに曹参そうしんに言った。父と盧綰が仲良くしている姿は何度も幼い頃に見ているだけに信じられない状況であった。


 それに対して曹参は目を細めながら言った。


「猜疑心というだけではないでしょうな……敢えて申し上げるのであれば、互いに互いの理想を押し付け合い過ぎたと申すべきでしょうか」


 盧綰は自分の考えていることをすぐに理解し、わかってくれて許してくれる優しい友人像を劉邦に押し付けた。


 劉邦は自分の親友として、立派で優秀な人物であってもらいたい、頼りになる友人像を盧綰に押し付けた。


 友情は時に妥協も必要である。二人は互いの持つ相手への理想を押し付け過ぎて、二人の友情は崩壊したのである。たとえ、間に人の手が加わったとしてもそれは、時間を早めたに過ぎないのである。


 二人は誰よりも近くにいたにも関わらず、互いを理解できなかったとも言えるのかもしれない。



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