表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第三部 漢の礎
102/126

陸賈

 秦は南方の地を侵略して、桂林、南海、象の三郡を置いた。


 その後、秦の二世皇帝の時代。


 南海尉(郡尉)・任囂じんごうが病にかかって今にも死にそうになっていた。


 そこで龍川令(県令)・趙佗ちょうたを招いてこう言った。


「秦が無道を行っているため天下が苦しんでいる。聞くところによれば、陳勝ちんしょうらが乱を起こしており、天下はどう安定するかわからない状況にある。南海は僻遠の地だ。私は盗兵がこの地を侵すことを恐れているため、兵を興して新道(秦が築いた南粤に通じる道)を絶ち、自ら備えを作って諸侯の変化を待とうと思っていた。しかし病が重くなってしまった。番禺(南海郡の治所)は山険を負って南海に阻まれており、東西が数千里に及ぶうえ、多くの中原の人が助け合っている。これは一州の主と等しく、国を建てることができるだろう。しかし郡中の長吏にはこれを語るに足る者がいない。だからあなたを召して告げたのだ」


 任囂は趙佗を行南海尉事(「行」は「代理」「代行」の意味)に任命する書を準備しており、それを彼に渡した。あなたがこの地で王になれということである。


 趙佗は感動しながらそれを受け取った。


 任囂が死ぬと、趙佗は檄文を発して横浦、陽山、湟谿関にこう伝えた。


「盗兵が間もなくここに至るため、急いで道を絶ち、兵を集めて自守せよ」


 更に法を使って秦が設けた長吏を徐々に誅殺し、自分の党人を假守(仮の郡守)にした。秦が滅亡した頃には、趙佗は桂林と象郡を攻めて併合し、自ら南越武王を称した。


 彼は自らの地位を確立するために武力を用いたが、政治を行う上では善政を敷いた。しかも異民族相手であるから、相当彼らの風俗に沿った善政を敷いていたと思われる。事実、反乱は起きていない。


 今年、五月、劉邦りゅうほうが詔を発した。


「粤人の俗(風習)は互いに攻撃することを好むため、その風俗を改めさせるためにかつて秦が中県(中国の県民)の民を南方三郡(桂林・南海・象郡)に遷して百粤と雑居させた。天下が秦を誅した時、南海尉・趙佗が南方にいて長く治め、非常に文理(条理。道理)があり、そのおかげで中県人は耗減することなく、粤人の互いに攻撃する俗もますます止むことになった。全てその力によるものである。よって今、彼を南粤王に立てることにする」


 劉邦は陸賈りくかに南粤王の璽綬を渡して南方に派遣した。南粤に剖符を発して使者を行き来させ、百越を集めて統治させて、南辺の患害にならないようにすることが目的である。


「元々旅は好きだったけど、こんな南には行ったことなかったんだよねぇ」


 陸賈は観光感覚で南粤に到着した。


 趙佗に謁見すると陸賈は驚いた。彼が魋結(髪を頭の上で束ねていること。南粤の髪形)、箕倨(足を前に伸ばして坐ること)のまま自分に会ったからである。


(やれやれ、異民族にすっかり毒されている)


 陸賈が趙佗に言った。


「あなた様は中華の人(趙佗は真定の人)で、親戚昆弟(兄弟)も墳墓も真定にあります。しかし今、あなた様は天性に反し(父母の国を想わないという意味)、冠帯を棄て(中原の服装をせず、南粤人の姿をしているという意味)、区区とした越によって天子と抗衡し、敵国になろうとされております。禍はすぐその身に及ぶことでしょう。そもそも、秦が政治を失ったため、諸侯・豪傑が並び立ちましたが、漢王だけが先に入関し、咸陽を占拠しました。項羽こううが約束に背いて自ら西楚霸王に立つと、諸侯が全てこれに属したため、項羽は至強だったといえます。しかし漢王は巴・蜀で挙兵してから天下を掃討し、ついに項羽を誅して滅ぼされました。五年の間で海内を平定したのです。これは人力ではありません。天が建てたのです。天子はあなた様が南越の王になり、天下が暴逆(秦楚)を誅しているにも関わらず、それを助けなかったと聞きました。将相が兵を移してあなた様を誅殺しようと欲しましたが、天子は労苦を経験したばかりの百姓を憐れみ、暫く休ませることにしました。そこで私を送ってあなた様に王印を授けさせ、剖符を発して使者を通じさせることにしたのです。あなた様は郊外で出迎え、北面して臣と称すべきであるにも関わらず、できたばかりで完成していない越国に頼ってこのように屈強(服従しないこと)でおられます。漢がもしもこれを聞けば、王の先人の冢(墓)を掘って焼き、宗族を夷滅(誅滅)し、一人の偏将に十万の衆を率いて越に臨ませることでしょう。そうなれば、越人が王を殺して漢に降るのも容易な事となりましょう」


 弁士と呼ばれるような者たちとは違い、陸賈の弁術には作為も工夫もない。ただただ単純な道理を述べているだけである。


 弁士と呼ばれる者たちが言葉を工夫する上で難しいのは、相手の想像力を刺激することである。人によって想像力の度合いが違うためである。その点、趙佗の想像力は強かった。


 彼は陸賈の言葉を聞いて、自分の国と漢の国力の差を直様、想像して比べると難しいと考え、顔色を変えると坐りなおして陸賈に、


「蛮夷の中に住んで久しいため、礼義を大いに失してしまった」


 と謝った。


 そのまま彼は陸賈に聞いた。


「私と蕭何しょうか曹参そうしん韓信かんしんを較べれば、どちらが賢人だろうか?」


 三人の名はここにまで轟いている。


「恐らく王が賢人でしょう」


 趙佗がまた問うた。


「私と皇帝を較べれば、どちらが賢人だろうか?」


 陸賈は答えた。


「皇帝は五帝・三皇の業を継承し、中華を統理(統一して治めること)しています。人々は億をもって数え、地は方万里に及び、万物も殷富(豊富)ですが、政は一家(皇室)によって行われております。これは天地が別れてから今までなかったことです。今、王の衆は数十万に過ぎず、全て蛮夷で崎嶇(険しいこと)とした山海の間に住んでおり、漢の一郡のようなものでございます。どうして漢と較べることができましょうか」


 彼の言葉はただただ単純な比較した言葉である。その言葉に趙佗が大笑した。


「私は中華で立ち上がっていないためにここで王になったのだ。私が居れば、どうして漢に及ばないことがあっただろうか」


 言い終わると趙佗を留めて酒宴を開いた。趙佗は大いに彼を気に入っていた。


 陸賈は漢の使者としてやってきた目的がわからないような男ではない。だからこそ、単純な言葉だけを述べる彼の態度を通して、漢の大きさを知ったのである。言葉に術を用いないことで、漢の大きさを明確に伝えてることができていたのである。


 また、陸賈も趙佗に好感を抱いていた。


(ああ、昔の陛下のようだ)


 彼は劉邦に似ている。正確に言えば、劉邦の中にある毒を抜くとこういう人になると思った。


 陸賈は趙佗のもてなしや彼との会話を楽しんだ。


 数か月後、趙佗が言った。


「越中には共に語るに足る者がいない。しかし先生が来られてから、私に毎日聞いたことがない話を聞かせてくれた」


 彼はもっと傲慢な使者が来ると思っていただけに陸賈の元々持っている明るさと知識の深さに心服した。


 趙佗は陸賈に千金に値する橐中装(直訳すると「袋に入れた物」だが、恐らく「宝玉財物」を意味するだろう)を下賜し、その他にも千金を贈った。


 陸賈は正式に彼を南越王として、拝して漢との約(約束。盟約)に従わした。趙佗は稽首して漢の臣を称した。陸賈が帰って報告すると、劉邦は大いに喜んで太中大夫に任命した。


 陸賈はしばしば劉邦の前で『詩』『書』を称賛した。元々儒教嫌いの劉邦は罵って言った。


「乃公(汝の公。劉邦のことを指す)は馬上にいて天下を得たのだ。『詩』『書』は役に立つはずがない」


 すると陸賈はこう返した。


「陛下は確かに馬上にて、天下を得ましたが、馬上でそれを治めることができましょうか。湯・武は上に逆らって天下を取ってから形勢に従ってそれを守ったものです。文武を併用するのが長久の術なのです。昔、呉王・夫差、智伯、秦の始皇帝は全て武を極めたために亡びました。もしも秦が天下を兼併してから、仁義を行い、先聖に従っておりますれば、陛下はどうして天下を有すことができたでしょうか?」


 劉邦は彼の言葉に真理があると思い、慚愧の色を見せて言った。


「試しに秦がどうして天下を失い、どうして私が天下を得たのか、それから古の国家成敗の道理を、私のために書いてみよ」


 陸賈は国家存亡の徵(兆)を大略して書きまとめ、全部で十二篇の書を作った。


 各篇を上奏するごとに劉邦は称賛して左右の者も万歳を唱えた。この書は後に『新語』と呼ばれることになる。


 これによって陸賈の名は不朽のものとなったのであった。




 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ