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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第三部 漢の礎
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彭越

 劉邦りゅうほうが陳豨を討伐する際、梁に兵を出すよう求めた。しかし梁王・彭越ほうえつは病と称して参加せず、将に兵を与えて邯鄲に赴かせた。


 このことに劉邦は激怒して、彭越を譴責した。韓信かんしんと同じではないかと考えたためであろう。


 彭越は恐れて謝罪に行こうとしたが、彭越の将・扈輒が止めた。


「王(彭越)は最初から陛下に会いに行かず、譴責されてから会いに行こうとされています。行けば、必ず捕えられることになります。こうなってしまえば、逆に兵を起こして反しましょう」


 彭越は進言を退けた。


 ちょうどその頃、梁の太僕が罪を得て漢に逃走した。太僕は彭越と扈輒が謀反を企んでいると密告した。そのことにより、劉邦は直様、人を送って彭越を襲った。彭越は全く気付かなかったために捕えられて洛陽に連行された。


 有司(官吏)が審問して、


「反形(謀反の形跡)がそろっております。法に基づいて論じてください(裁いてください)」


 と報告した。


 反形とは謀反を勧めた扈輒を誅殺しなかったことを言っている。


 劉邦は彭越の死罪を免じて庶人に落とし、蜀の青衣に遷すことにした。彼もまた項羽こううとの戦いで活躍した人物であるため、庶民に落とすぐらいで許すことにしようと考えたようである。


 彭越が洛陽を出て西の鄭に至った時、長安から東に向かっていた呂雉りょちに遇った。彭越は彼女の前で、泣いて無罪を訴えて、故地である昌邑に遷りたいと請うた。


 それは弱々しい老人の姿に呂雉は、


「わかりましたわ。私が陛下に許してもらえるように言ってみましょう」


 優しく言うと彭越と共に東に向かって洛陽に入った。


「では、ここでお待ちくださいね」


 呂雉は従者たちと共にいることを指示すると劉邦の元に向かった。


 先ほどまで彭越に向けていた優しい表情は無くなり、険しい表情のまま劉邦に会った。


(ろくでもない男を殺さないなんて……子供たちに何かあったらどうするの)


 呂雉は劉邦に言った。


「彭越は壮士です。蜀に遷せば、憂いを残すことになりましょう。いっそ殺してしまうべきです。そのために私が謹んで彼と共に参りました」


 更に彼女は彭越の舎人に、


「彭越が再び謀反を企んでいる」


 と上書させた。


 廷尉・王恬が彭越を族滅するように上奏し、劉邦はこれに同意した。上奏も呂雉の根回しのものである。


「えげつないことだ」


 一人を殺すためにありとあらゆる手段を持って、殺しにかかっている。その執念に陳平ちんぺいは舌を巻く。


「あれが我々の相手だ」


 陳平に劉敬りゅうけいが近づいた。


「相手……皇后様が?」


「そうだ。煩わしいことだがな」


「害虫以外に大きなものをと以前言っていたな?」


 劉敬は頷く。


「駟鈞とは比べられないやつだ。駟鈞は利用しているつもりだろうが、私からすれば利用しているのはあっちの方だ」


「それほどの相手か……」


「そうだ。だから派手な動きをするなよ。それが我が君の意思だ……」


 彼が働いていくのを見ながら陳平は目を細めながら見つめた。


 三月、彭越は三族と共に誅された。彭越の首は洛陽に曝され、その下に、


「死体を回収しようとした者は全て捕える」


 という詔が掲げられた。


 そのため彭越の首に近づく者はいなかった。いや、一人だけ近づいてきた男がいた。梁の大夫・欒布らんぷという男である。


 彼は少し変わった経歴を持っている。


 若い頃、彭越と交遊し、共に困窮して斉で酒場の用心棒となるなど親しい中で、その数年後に彭越と別れると、人攫いに遭って燕で奴隷となった。


 その時の主人の家のために仇討ちに参加したことから名を知られ、燕の将であった臧荼によって都尉に抜擢された。


 臧荼が燕王になると、欒布はその将となったが、臧荼が漢に反乱を起こし、攻め滅ぼされると欒布は捕虜となった。


 そのまま処罰されるかもしれないというところで梁王になっていた彭越が彼を助けて、梁の大夫にした。


 彭越が処罰された時、彼は使者として斉を訪ねていた。そこから帰還した時に彭越が処罰されたことを知った。


 欒布は彭越の頭の下に近づき、自ら奏事(報告)し、彭越を祀ってから哭した。


 それを聞いた官吏が欒布を命令通り捕えて、劉邦に報告した。


 劉邦は欒布を召すと罵って煮殺そうとした。命令を受けた官吏が欒布を熱湯に投げ入れようとした時、欒布が顧みて言った。


「一言だけ言って死なせてください」


「何を言いたいのだ?」


 劉邦が許すと欒布は述べた。


「陛下が彭城で困窮し、滎陽と成皋の間で破れた際、項羽が西に向かうことができなかったのは、まさに彭越様が梁地におり、漢と合従して楚を苦しめたためです。あの時、彭越様が一顧して楚と一緒になっていれば、漢は破れていたでしょう。漢と一緒になったから楚が破れることができたのです。垓下の会戦においては、彭越がいなければ、項羽を亡ぼすことはできませんでした。天下が既に定まり、彭越は剖符によって封を受け、万世に伝えようと思っておりました。今回、陛下は一度だけ梁から兵を徴集しようとしましたが、彭越様は病のため行きませんでした。その結果、陛下は謀反を疑い、反形(謀反の形跡)がそろっていないにも関わらず、苛小(些細)な案件で誅滅しました。私は功臣が皆、自身に危険を感じているのではないかと恐れています。今、彭越様は既に死にました。私は生きているよりも死んだ方がましです。どうぞ烹に処してください」


 どこが一言なのかと言いたくなった劉邦であったが、


(彭越の配下にこのような気骨ある男がいたのか)


 劉邦は欒布の罪を赦して都尉に任命することにした。


 その後、劉邦は詔を発した。


「梁王、淮陽王に立てられる者を選べ」


 燕王・盧綰ろわん、相国・蕭何しょうからが皇子・劉恢りゅうかいを梁王に、劉友りゅうゆうを淮陽王に推した。


 その結果、皇子・劉恢を梁王に、皇子・劉友は淮陽王に立てられた。


 その後、劉邦は陸賈りくかを呼んだ。


「陸賈よ。今日、来てもらったのは他でもない。使者として出向いてもらいたいところがある」


「匈奴ですか?」


「違う、南粤だ」


 


 

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