第四章 ソウルダイブ Ⅱ
社が退けたあと、『結』での作戦会議が連日続いている。
先週以来、理来は本当に洗濯当番をサボっている。とはいえ美留も、家のことはまったくできていない。朝はコンビニのサンドウィッチ。昼は牛丼。夜はユッコ・ママにスパゲティ・ナポリタンか何かを作って貰い、そしてやはり、アルコールが入る。
理来とはあまり話せていないのだが、午前様で帰宅すると彼女のほうもテレビなど見ながら夜更かししていて、こちらを振り向きもせず、
「今着けてるインナー、一緒の籠に入れないでよ──」
などと言って来る。そして洗濯ものがどんどん溜まって行く。
(やっぱり怒ってでも、あの子にやらせなきゃいけないのかなあ……)
だがどうしても、毅然とした態度が取れない美留なのだった。
『結』への対応も心配だった。さすがに貸し切り状態ではなかったが、それでも一見さんなどは数組断わっていて、相当減量経営である。
「ねえなっちゃん、社のほうに呼ぶってこと、できないの?」
「ええでも、映見さんまで呼びつけるわけにはいかないですし、もう一度ダイブすることになれば、結局ママにも加わって貰うことになるわけですし……」
その映見への対応も頭の痛い問題だった。料金を提示して貰えないのだ。
「セラピストで食べて行けるようになってからは、こっちのほうでは、お金貰ってないの」
「でもあれ、命かかってますよね?」
「そうかな? あれで直接死んだひと、いないけどな。でもまあ、確かにそうね」
「だったら──」
「能力があったら使いたい。その能力を錆びさせたくもない。私の勝手でやってることだから……」
そして著者への対応では、ついついテンションが上がってしまう。
「解らないってことはないでしょうっ? あのロボット! あの海! ママは空中戦艦みたいなもんも見たって言ってた! あなたは一体、あの時どこにいたのっ?」
「だからその、空中戦艦の、ブリッジ……」
「あれ、元々のあなたの世界じゃないよねっ? どっか誰かさんの悪影響だよねっ?」
美留たちはここ数日の会議では、一番奥のボックス席を取ることが多いのだが、入ってすぐのボックス席の男性客たちが、何かヒソヒソ囁き合う気配がした。
──空中戦艦? ロボット? でも結構いい歳のおばちゃんだぜ?
──ヘヘッ、マニアックなおばちゃんだなあ……
そんなところか? とはいえギャラリーになど構ってはいられない。店には迷惑をかけることになるが……。
「もうこれからはプロなんだから、他人の作品にファン気分でのめり込むような真似しないでねって、言ってあったよねっ? 読むんなら批判的に、問題意識持って読むようにしてって、言ってあったよねっ? なのに何あれっ? 誰の影響っ?」
千香はなぜか、その答えを言いたがらない。そして最終的に三日間粘った……。
「多分『ぼのぼの』って同人誌の仲間の、藤崎さん……」
木曜になって白状した時には、がっくり肩を落とし、洟をぐずぐずさせていた。彼女も彼女なりに反省しているのかな? と、美留も多少攻撃口調を改めようと思ったのだが──。
「なっちゃんまた、恋煩いとか言わないでよ……。ほんとに全然、そういうんじゃないんだから……」
そして城田も、「私のせいっ?」と言った切り、ブスッと黙ってしまった。しかし本当は、今こそ言わなければならないことがあるはずなのだが……。美留ももう、出しゃばり過ぎを気にしてはいられない。
「映見さんどうしよう? 『はてしない物語』に即して言えば、虚無の侵攻なんかより、よっぽどタチ悪いよね?」
「うん。そのひと呼んで来て、物語同士、対決させるしかないかな──」
「物語同士?」
「そう。ちょっと前に関わった漫画家さんたちのケースなんだけどね。世界観作り込みたい原作者さんと、とにかくキャラ立ててバトル・ロワイアルしたい作画家さんとが、自分たちでも気づかない内に対立しちゃってたのね。それでその二人の世界にダイブしたら、原作者さんの帝国軍対作画家さんの叛乱軍の最終決戦になっちゃってて──」
「原作者さんは帝国軍ですか……」
「うんそう。それでその二人の世界では叛乱軍の圧勝になったわけだけど、原作者さんの世界も、悪の帝国としてエッジが立ったって言うのかな? そっちはそっちでディストピアものの小説になって、そこそこ売れてるみたいよ」
だが美留たちのケースでは、そう上手くは行かないだろう。第一──。
「その藤崎さんってひと、呼んだからって『はいそうですか』って、来てはくれないよね……」
美留には前回のダイブで、「死にかけた!」という思いがある。
ところが千香が、泣いた鴉がもう笑うといった感じで、
「それは大丈夫ですよ」
などと言う。どうせ碌なこと言わないな、と思いつつ話の先を待っていると──。
「大迫力のヴァーチャル・リアリティが体験できるとかなんとか言って、引っぱって来ちゃいますよ。そうして彼の首、バシッと皆さんの前に差し出せれば、なっちゃんにも変な勘繰り、されないで済みますしね」
さてそこからは、若い二人の大バトルである。
「ふんっ! せめてヨカナーンの首だけでもって、サロメの気分なんじゃないんですかっ?」
「だからその首、なっちゃんにあげるって言ってんでしょっ!」
「いらないよっ! そんなもんっ!」
コソコソと席を立つ例のボックス席の男性客たちに、ママが「お代はいいよ」みたいなことを言っていたようだ。
結局その晩はもの別れとなり、あとは電話連絡で話を詰めた。金、土と、洗濯の時間は取れなかった。そしてまた日曜日が埋まった。
資料のつもりだろうか? 千香が同人誌『ぼのぼの』を宅急便で送って来た。『コリン・マイケル』の世界を侵食しているのは藤崎大輝作、「天空の騎士ドラゴン・クラフト」という作品らしい。付箋が貼ってあったが、八〇年代のリアルロボット・アニメを観ていない者には恐らく意味不明な作品だろう。小説になっていない。
その藤崎と美留とが実際に会ったのは、当然日曜日の昼下がりである。
低身長で小太り。汚いデニムと「どこで買って来たの?」と逆に聴きたくなるような、趣味の悪いチェックのシャツ。これで眼鏡をかけていれば、ザ・ヲタクといった感じだ。加えて結構な歳らしい。
この男と手を繋ぐのは嫌だなと思っていたが、彼は前回千香が着いたお誕生日席に着き、左手に映見、右手に千香の両手に花となった。美留はその千香と手を繋ぎ、そしてカウンター側のお誕生日席には、城田──。
店内の動線は完全に切れてしまい、城田、あるいは藤崎に声をかけなくては、奥のトイレに行くことはできない。「嫌だな……」と思いつつ、美留はこの世界から落ちて行った。
そしていきなり、例の岩塊の洗礼を受けた。
「キャッ!」
ところが今度は、硫黄のような臭いがする。ロボットではなく、ネッシーを軽量化し、背中にコウモリの羽をつけたような竜の首根っこに乗っかっているのだ。ヘルメットも前回のようなフルフェイスではない。
(前よりロボっぽい世界になるって思ってたけど……)
竜の首の先には、現実ではあり得ない程急峻で、そして氷に覆われた山があった。その山に幾つかテラスのようなところがあり、そこから敵の竜が飛び立って来る。奥には洞窟があるようだ。
右手で別の竜がグワッと吼えた。美留たちと平行して飛んでいる。大丈夫。味方だろう。
左手にも竜がいた。美留たちの竜は黒基調なのに、その竜は雪のように白いのだった。特別な竜──。千香の竜だな、と思っていると、それがスーッと寄って来て、
「ミルさんですねっ? 私っ、チカですっ! 冬の女王ですっ! 今から私っ、あの山に特攻をかけっ、中にいる妹と刺し違えますっ!」
と、乗り手が大声で叫んでいる。
「妹と刺し違えっ? 敵はあの藤崎さんじゃないのっ?」
「違いますっ! 彼っ、どうやらこの子らしいんですっ!」
そう叫ぶと白い竜の乗り手は、自分の竜の太い首を撫ぜた。「行きますっ!」
すると今度は、右手の竜の乗り手が叫んだ。
「駄目っ! 夢だと思って甘く見ないでっ!」
そっちの竜の乗り手は映見だったらしい。
美留たちは目標の山を、やや上空から見下ろしている。一番上の大き目のテラスが、やはり一番の激戦ゾーンだ。
ふと見ると、搦め手を突こうとでもいうのだろうか? 激戦のテラスの左下のテラスに、今しも一騎の竜が侵入しようとしている。しかし敢えなく敵の竜に発見され、そしてその内の四匹程に、四方から同時に喰いつかれる。投げ出された乗り手がヒラヒラ宙を舞い、小さな点となって消えた。誰の竜だろう? やはり黒っぽい竜だったが、体表のゴツゴツが少な目で、なんとなく若い竜のように思えた。春の女王の竜?
美留は手綱で、自分の竜の項をはたいた。
「埒が明かないっ! 私が突っ込むっ!」
背後の二騎もそれに続いたようだ。
(多分千香ちゃんが三番手だな……。私と映見さんとで、一体何匹の敵、やっつけられるのかな……)
殺到する敵の竜。乱れ飛ぶ灼熱の岩塊。硫黄の悪臭。眼の前に迫る敵の竜のあぎとは、人間など一飲みにしてしまいそうに大きく、実際美留は、最後はパクッとやられてしまったようだ……。
(また涎かなあ……。涎でヌルヌルかなあ……。ひょっとして涎だけじゃ済まないかなあ……)
ふと気づいた眼の端に、トイレに駆け込む奈津の姿が見えた。藤崎が甲高い声で、「ヒャーッ、凄ええっ! ヒャーッ、凄ええっ!」と繰り返している。馬鹿だ。残りの女たちは皆テーブルに突っ伏している。ところがそんな時にも、映見のサラサラ髪の散り方は、妙に美しいのだ。
因みに奈津は、トイレを一時間弱占領した。涎だけでは済まなかったのだろう。
冬の女王が塔から身を投げることで、『コリン・マイケルと氷の都の陰謀』下巻は、完結した。
(千香ちゃん、あの特攻に引っぱられちゃったかなあ……)
その後妹・タラの左肩に例のしるしが発見されるのだが、彼女が真の女王だったのか、それとも旧女王の死により新女王として立つことになったのか、その辺の事情は「藪の中」である。
おしまい。エピローグ代わりの付記。理来は自分の服だけ洗ったようだ。