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語られない物語  作者: あんどこいぢ
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第一章 凍りついた物語

 十二月の昼下がり。

 透明な、とも黄ばんだ、とも表現できそうな陽の光が、向かいのデスクでPCのキーを叩く城田のショートヘアで遊んでいる。

 女五人だけの小さな出版社、青進社に勤める桂木美留は、そろそろ五十の大台に手が届くブック・プロデューサー。来年高校に上がる一女の母だ。夫とは九年前別れた。

 そして城田はその美留のまだ若い後輩で、去年まで美留が担当していたファンタジー・シリーズ、『コリン・マイケルと四季の塔』の関連業務を引き継いだ子だ。最初に紹介したショートヘア。加えて軽快なパンツスーツ姿。女だけの出版社の新入社員としては実に頼もしい限りなのだが……。どうも、『コリン・マイケル』シリーズ第四巻下巻は凍結しかけている様子だ。

 家を出る直前の慌ただしい時間、朝食も取らず飛び出して行こうとする娘・理来に、「もっと早く起きなさいよ」とついいつもの小言を言ってしまった美留をスルーし、逆に理来が聴いてきたのもそのことだった。

「そんなことより母さんっ! 『コリン・マイケル』の最新巻、一体どうなっちゃってんのよっ!」

 トイレ、洗面台、プラス美留だけはトーストのプレートが載ったテーブルの間をグルグル回りながらの、お世辞にも行儀がいいとは言えない会話だった。

「えっ? どうってっ? あんなちっちゃな会社にだって企業秘密ぐらいあるんだからねっ! ネタバレになるようなことは、絶対言えないわよっ!」

「当たり前じゃんっ! ネタバレなんかしたら、逆に殺すっ! そうじゃなくてさっ、四巻の下巻は秋頃出るって言ってたのに、もうクリスマスじゃんっ!」

 そういう娘の言葉遣いに眉を顰めながらも、私自身そのお年頃はそんなだったかな? などとも思う美留なのだった。

『コリン・マイケルと四季の塔』は、小規模出版社青進社唯一のベストセラー・シリーズだ。第一巻『コリン・マイケルと春の探索』は、結婚が決まり退位することになった春の女王の次期女王を、王宮に仕える騎士たちが探索する冒険譚。従者もなしに旅立つまだ騎士見習いのコリンと、その幼馴染みのアンナとが、ヒーロー、そしてヒロインである。お転婆なアンナは従者気取りでコリンの旅について行くのだが、東の山脈に差しかかり、いよいよ国境を越えようという時、到頭故郷の村に追い返されてしまう。しかしその後、山賊たちとの戦いで絶体絶命になったコリンの前に突然飛び出して来る。無論、隠れてついて来ていたのだ。ところが、アンナはコリンを庇いダークエルフの毒矢を受けてしまい、そしてコリンも次期女王の探索を諦め、傷ついたアンナのため薬草探索に専念する。遂に薬草を手に入れ、それを擂り潰した軟膏によってどうにか命を取り留めたアンナの左胸の傷は(但し、乳首よりだいぶ上で体の中心線寄り)、桜の花の形に新しい肉が盛り上がっていて……。春の女王のしるしは桜の花の痣なのである。少年コリンの辺境への旅と成長譚。クエスト・ストーリー。求めるものはすぐそこにあったという「青い鳥」的結末。まさに物語の王道である。

 第二巻『夏の追跡』では第一巻のヒロイン=アンナは四季の塔に入ってしまっている。だが、また事件が起こってしまう。夏の女王役の娘が隣国の悪漢たちに攫われてしまったのだ。正式な騎士に任じられたコリンが駿馬ブリアンに跨り、どこまでも誘拐犯たちを追って行く姿は、ファンタジーというより西部劇で、美留は昔観た映画、『明日へ向かって撃て!』の追跡シーンを思い出した。ただあの映画ではロングショットが多く顔さえ見えなかった追跡者たちが、この物語ではヒーロー側なのだ。コリンの先輩の三騎士。ガイア、ポルトス、ダア。ハーフオークの野伏・ラドウ。普通は悪役のオークの鼻が、夏の女王の匂いを嗅ぎ取り、騎士たちに道を示す。実は隣国の王子が女王に恋してしまっていて……。女王のほうもまた……。女子向けなのはそんな部分ばかりか? が、シリーズがブレイクしたのはその第二巻からで、美留も理来の友人たちに、著者でもないのに本へのサインを求められたりした。言葉遣いこそ乱暴なままだったが、難しいお年頃の理来との会話も復活した。隣国の王子の真意が明らかになると、追跡側の騎士たちのほうにストーカー染みた空気が醸し出されて来るのだが、まだ現実の怖さを知らない娘とその友人たちは、そうしたダークな空気が却って魅力的なのだと言う。さらにラスト、夏の女王は自ら迎えに来なかった王子をなじり、そしてその頬をはたく。

「あなた様さえ真心をお示しくださいましたら、私にはかの国のことなど、もうどうでもよいことのように思われましたでしょうに……」

 実は美留には引っかかるところもあったのだが……。

 彼女の担当はその第二巻までで、第三巻以降は、向かいのデスクの城田が諸々の業務を引き継ぐことになった。

 そしてシリーズ第三巻、『コリン・マイケルと虹海大決戦』で、美留が感じていた違和感は決定的なものになった。もうほとんど架空戦記ものなのである。王国の南の海から、ターバンや爪先が尖った靴などで身を包んだ「異教徒の軍団」が押し寄せて来る。腰に帯びた刀もクルッと反り返ったいかにもなもので、その軍団に、秋の女王役の娘が暮らす南の半島が封鎖されてしまうのだ。ヒーローのコリンが活躍するのは「北の海賊」の協力を取りつけに行く上巻の中盤ぐらいまでで、下巻では意味不明な提督やら准将やらがぞろぞろ出て来る。そしてヒロインのアンナなどはもう完全に忘れ去られてしまっている。「虹海」も原稿では「紅海」となっていたのだが、現実の地理との混同を避けるため、著者に修正を依頼したのだ。が、原稿で「北の海賊」と「ヴァイキング」とがごっちゃになっていた表記に関し、「ヴァイキング」の表記が相当箇所残ってしまった。スタイルの上でも季節プラス何々という組み合わせがやぶられ、大部化し、上下二分冊の刊行になった。

 またその頃から、他の出版社数社によるバッシングが始まった。大手ではない。ここ青進社よりむしろ小規模な、人文社会系の出版社だ。「『コリン・マイケル』シリーズは帝国主義的だ」というのである。すでに示した通り第三巻などでは確かにその感も否めないのだが、自社で修士論文か何かを書籍化してやった准教授辺りを総動員しての以心伝心的一大キャンペーンには、どこか陰湿な、小・中学生のいじめ的なものが感じられる。これは大人の事情であり、いつかまた、別のところに記すほうがよいのかもしれないが、以下、流対連(編)『コリン・マイケル・シリーズの偽』より──。

「そもそも第一巻における辺境への冒険という物語類型からして、その内に征服と土地収奪という流血の歴史を蔵しているのである。そして後半の『薬草』への視線は、現在のバイオ系多国籍企業とパラレルな欲望を、まさに自白してしまっているのである」。

「第二巻終幕の夏の女王の言葉は、ともすれば共同幻想への抵抗とも捉えられかねないのだが、登場人物たちが未だ、結婚恋愛イデオロギーという古くさい物語に捕らえられていることは明白である。自己幻想の中で幻想を投影し合うだけの関係に、もとより真のコミュニケーションなどあり得ない。そのことを証明するかのように、女王は隣国の王子と決別し、自国へと帰って行くのである」。

 とはいえ娘の理来たちの世代は、そうした論争まで含め、同シリーズを楽しんでいる様子だ。シリーズ自体の軍事ヲタク的変質もさることながら、まだ中学生の娘の本棚に浅田彰、柄谷行人などといったインチキ批評家連中の本が並ぶことも、親としては心配だった。ましてや、同シリーズを巡る論争に直接関わっているのは、そうしたインチキ連中のそのまた劣化コピーたちなのだ。気が気ではない。

(でも、私はあの頃どうだったかな? 『ガンダム』のガルマ様にキャアキャア言ってたし、そろそろ澁澤龍彦にも手を出してたかな? そうだ! 澁龍発ベンヤミン経由で、ボードレールなんか読んでたんだっ!)

 とすれば、あまり心配することはないのかもしれない。娘との唯一のコミュニケーション・ツールであり、自分が手がけた唯一のベストセラー・シリーズでもある『コリン・マイケル』シリーズを、素直に応援していけばよいのかもしれない。

 城田がPCをシャットダウンしたようだ。散らかしていたコピー用紙などもゴソゴソ片づけている。

 美留は空かさず声をかけた。

「なっちゃんランチ?」

 城田がマニッシュな装いを裏切り無駄に可愛らしい丸顔を上げる。いつの間にか椅子から尻を上げ、恐らく中腰の姿勢だろうに全然平気な様子だ。やはり、若いっていいなと思う。彼女は本当に可愛らしく破顔し、

「はいっ! 美留さんも今からですかっ? もしよろしかったら、ご一緒して頂けませんかっ?」

 と元気よく応えて来る。娘の理来よりずっと素直だ。もっとも理来にはバタバタしたところやグニャグニャしたりしたところばかり見られているが、ここ青進社では、美留のキャラは、新入社員たち憧れのクールビューティーなのだ。

「うんっ! それじゃデザートの一つぐらい、奢っちゃおっかなあっ?」

「わあああっ! ほんとですかあああっ!」

 城田が完全に立ち上がると、身長がグッと伸びる。股下が長いのだ。

 美留もまたパンツスーツ姿だった。この歳にしてはイケているほうだと思うのだが、彼女と並んで歩くのは、ちょっとつらい。それでも……。

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