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第五話

 マイの家では本当に美味しいディナーが用意されており、空腹感を洗いざらい流し、代わりに満足感を腹の中に輸入した。エビフライ、照り焼きソースの魚の煮物、何らかの隠し味が効いたお手製ドレッシングのかかった新鮮野菜の数々。特に美味しかったのはビビンバだった。ラム肉と炒めた野菜をライスの上に満遍なく乗せて、さらさらした味付けソースをかける。そのソースがライスに合うのだ。

 普段は少食な僕でも、今日ばかりは食べ過ぎてしまった。食べても食べても腹が減るのだ。不思議なディナーだった。

 そんなディナーを終えると、僕とレーシャは礼を述べて一度外に出た。予定ではこれから公園にいく予定だったが、その間に一つだけ別の予定を挟む事になったのだ。これはキャリーおばさんからの提案で、市長のところにまずレーシャを連れていく事になったのだ。これにはマイも同行することになった。

「なんで思いつかなかったんだろう。おばさんに言われるまで一ミリも気づかなかったよ。市長に挨拶にいくなんて」

「アラードは楽しい事を考えすぎなんだよ。市長に会いに行くっていうのはある意味儀式みたいなものだから、除外しちゃったんだよ。まあ私もさ、思いつかなかったんだけどね!」

 的を得た回答だ。僕たちは市長のところにいくよりもまずレーシャと話をしたかったのだろう。この不思議な少女の事が気になって仕方がないのだ。僕もマイも。

「ところで、レーシャの服にあってるね。コーディネートしたのはマイかな」

「そう、私よ。小さい頃私が着てた服を探して、彼女に着せたの。リサイクルとか出さなくて心の底から喜んだわね。大半の服は他の女の子にあげてるんだけど」

「じゃあ、売れ残りっていうこと?」

「ううん。これだけはどうしてもとっておきたかった服っていう事で、私が取っておいたの。役にたっちゃった」

 市長に挨拶をいくよりもロングスカートが似合うレーシャと一緒にお話をする方を優先したが、別に市長のところに行きたくないという話ではない。この港町は市長と市民との距離が非常に近いのだ。市長は散歩が好きなのか、毎日必ず町内を一周しており、井戸端会議に混ざれそうならば遠慮なく混ざりにいく人だ。そんなだから市民からの支持は大きい。不祥事や大きな失敗を起こした事はなく、僕も立派な人だと思っている。非雇用者保険を特例で受けさせてくれた恩もあり、人間にはほとんど拒否反応を出している僕の父ですら市長万々歳としているほどだ。

 事故後の僕のメンタルを支えようと必死に頑張ってくれた人物たちの中にも混ざっている。マイ、ピータ、そして市長。だから僕はこれからの予定が一切苦痛にならなかった。

 まだ夕食を食べているところがあるのか、どこからともなく温かい料理の匂いがする。とても食べきれるお腹ではなく空腹感に悩む事はなかった。

「市長ってどんな人なの」

 向かう最中、そんな話が飛び出した。

「見た目は普通のおじさんなんだけど、やる時にはやるすごい人なんだよ。私、勉強を教えてもらった事があるんだけど、知識がすごいの。びっくりした。それでいてその知識を自慢する事なんかなくて、いつもニコニコしてて。多分、市民全員が憧れてる人物だよ」

「マイとどっちが優しい?」

 罪深い事に、レーシャは僕にその質問を出した。

「えっと、マイも市長さんも僕は好きだから、どっちも優しいよ。比べる事なんてできないなあ」

「ふうん」

「ありがとうアラード。だけど私は知識が全然ないから、そこでは絶対に負けてるな」

「あたりまえだよ、そんなの。市長はおじさんだけど、マイはまだ子供だろ。仕方ない事だよ」

「励まし? ふふふ、私は別に悔しくないわよ?」

 この港町の構成は単純だ。学校で机が縦横に並べられているが、この港町も大体そんな感じだ。そのため複雑な道はなく、大体が一本道でできている。たまに一本道の最中に横にそれる道があるが、数えるほどしかないためよく学生の間で待ち合わせスポットとなっている。「三つめの曲道に集合な!」とピータはよく言うのだった。一本道の先の、三つめの曲がり角という事だ。

 今もまた三つめの角を通りすぎた所でようやく市長の家が見えてきた。あ、そうそう余談だが、横に連なる道は町の一番端から端までであり、そこもまた学校で並べられている机と同じである。完全なる四角形というわけではないが、それに近い町の構成だ。

 フォールズというのが市長の名前であった。赤い古風のポストに彫られた名前は自分で彫ったと聞いた事がある。フォールズさんの家は他の一般市民と大きな違いはなかった。一つあるとすれば、屋根の上に立つ大きな日食の銅像だろう。あれはこの市のシンボルで、伝統的な意味合いを含んでいるらしい。

 木戸を抜けた先にある玄関のチャイムを鳴らした。

「どなた様でしょうか」

 少し経つと、落ち着いた尊厳を纏うおじさんの声が聞こえる。フォールズさんだ。その声は扉の前で聞こえた。

「アラードです。フォールズさんに言わなければならない事があるので、訪ねました」

 ゆっくりと扉が開かれ、仕事着から着替えて私服姿になったフォールズさんの姿が見えた。髪は白いが、白髪ではない。白髪もあるだろう。

「いらっしゃい、アラード君。おお、マイ君は今日も美人さんだな。いらっしゃい。それで……そちらのお嬢さんは?」

 間違いなくフォールズさんはレーシャに言っていた。という事はやはり、レーシャはこの町の人物ではないということだ。フォールズさんは住民を全員把握している。

「彼女はレーシャっていいます。今日はレーシャの事でお話したい事があって」

「ふむ。まああがんなさい。お茶菓子と何か温かい飲み物を用意しよう。お風呂には入ったかい?」

「僕はまだ入ってないですが、お風呂は大丈夫です。先ほどマイの家で美味しいご飯をいただきましたから、体は温かいですよ」

「そうか、素晴らしいな」

 全員スリッパに履き替え、家の中に邪魔する事になった。突きあたり一本道の短い廊下を歩くと、左右に分かれる道があり、そこを左に曲がると階段、右に曲がると応接間だ。廊下を歩く最中左右に扉があるが、左が寝室で右がリビング。一回に手洗い場は二か所あり、応接間の右角にある扉から行ける場所と廊下の右手側にもう一つ扉があるのだが、そこも手洗い場だ。

 外見こそ普通の一般住宅だが、内部はかなり凝っている事が窺えるだろう。家としてはマイの間取と似ているが、マイの家は三階あるのに対しフォールズさんは二階だけ。だから、広々とした空間に色々と部屋を置く事ができるのだ。また、この家の天井は普通よりも高い。極めつけは、応接間に設置されたスピーカーだ。スピーカーなんてどこの家にいっても見る事はない。そのスピーカーから流れるクラシックミュージックが、客人を歓迎の式に誘う。

 応接間に通された僕たち三人は、一つのピアノで奏でられたミュージックに歓待を受ける。なんの曲かはわからないが、ゆっくりとした曲だ。

 横に長い長机を挟んで座り心地が最高の黒いソファーに肩を並んで座り、その反対側にフォールズさんが座った。彼は約束通り紅茶と三人分のチョコレートケーキを用意してくれた。多分これはレモンティーだ。

「改めて、初めましてレーシャ殿。レモンティーが貴女のお口にあうといいんだが」

 フォールズさんは気取るのが好きだ。ソファーの中央に座ったレーシャに頭を下げてそう言った。

 早速レモンティーの入ったカップを口元に近づけ、三度息を吹きかけて冷ますと、少しだけ口に入れた。

「美味しいわ」

「それはそれは、何よりだ」

 市長は笑みを保ったまま僕と顔を合わせた。

「それで、お話ってなんだろう」

「はい。えっとですね」

 ある意味今日の日記の内容を話した。僕は日記を普段つける事はないが。ただ今日あった出来事を口頭で丁寧に説明した。説明には自信のある方じゃないためしっかりフォールズさんの反応を見ながら話していたが、彼はしっかりと頷いてくれていて、話していて安心感があった。最後、レーシャの事はまだ何もわかっていないという事を伝えて、言葉を切った。

「よくわかった。そしてアラード君、よく私に話してくれたね。ありがとう。確かに私に言わなければならないほど重要な事だ。感謝するよ」

 先ほどからフォールズさんは自分でいれた紅茶を飲んでいないが、彼は現役で猫舌なので冷ましているのだ。

「お母さんもお父さんも覚えていないとなると少し厄介だけど、君の住んでいたところを頑張って探してみよう」

 僕とマイは同時に、「えっ」と声を出した。まだレーシャについて話していただけで、探してくださいと頼んではいないからだ。驚き冷め止むうちにフォールズさんは言葉を発した。

「見つかる間、アラード君は彼女をどうするつもりだろう?」

「あ、ああ。えっとですね。マイが家で泊めていてくれるって」

「そうか。マイ君の家族はなんて言ってるんだい」

「私のお母さんは一カ月ならいいって言ってました。それ以上は面倒を見れないって」

「一カ月か。うん、悪くない判断だ。じゃあその一カ月の間に彼女を元の町に戻すというのが、私たちの使命という事か」

「はい、そうなります。えっと、ご協力していただけるのですか?」

「当然じゃないか。むしろ、君たちは協力してほしくて私を訪ねてきてくれたんじゃないかって、思うがね」

 ようやく彼は紅茶に手をつけたが、ほんの一ミリ飲んだだけでカップをテーブルに戻した。まだ熱かったらしい。

「ありがとうございます。正直、僕たちだけじゃレーシャの親を探すなんてとてもできませんでした」

 まだ未熟者な僕と、未熟者かどうかは分からないが町の外にあまり面識がないマイの二人だけで探すというのは困難を極めた。

「明日から早速町の人々の協力も仰いでみよう。ピータのお父さんなんかはよく町の外に出ているから頼りになりそうだな。あと旅行によくいくあの夫妻にも聞いてみようか」

 市長の協力を得ただけで、今日の僕のやる事は全て終えられた。いつの間にかレーシャを守るのが、僕の中では任務に思えられてきて、達成感もあった。

 レーシャの話を終えると少しだけ別の話を交えて市長の家を退散する事になった。別の話というのは、ピータの家で今日は身内パーティがあった事や、僕やマイの近況話である。

 去り際に、フォールズさんはこんな事を言った。

「その子はうちの住民じゃないから、これは市長としての仕事じゃない。一個人としての仕事になるだろうから、だからこそ頑張らさせてもらうよ」

 これから公園に行く予定だったが、いろいろと時間が過ぎてしまったため取りやめる事となった。公園に向かう道ではなく、マイの家に向かう事になる。その最中、レーシャはこんな質問を出してきた。

「市長さんはお嫁さんとか、いないのかしら」

「そういえばそうだな。僕もそこに関しては知らなかった」

 一度も気にした事がなかった。

「あえて結婚してないんだそうだよ。この町に来てからずっと」

 答えたのは他でもないマイだった。

「なんでだろう」

「分からないわ。もしかしたら昔に何かあったのかもね。それで、お嫁さんを作るのがトラウマになって、やめちゃったとか」

「あんな優しい人が人間関係でトラウマを作るかな」

「トラウマを作ったから、優しくなったともいえるじゃない?」

 マイの家でレーシャと別れる事になったとき、彼女の方から小さな手を、僕に差し出した。そのとき彼女は何も言わなかった。

「また明日。レーシャ。帰れるといいな」

 レーシャは何も言わず、僕の目を一生懸命に見ているだけだった。

 彼女の方から手を離した。

「マイ、この子を任せた」

「うん任せて。女の子っぽくしてあげる。長い髪、結んであげるね。じゃあね、アラード」

「また」

 二人が家の中に戻るのを見届けて、僕も家に戻った。玄関から中に入る時、まだ興奮の覚めていない父に怒鳴られるかと思ったが、その心配はなかった。父は寝ていた。

 僕はそのあと風呂に入って、寝室に向かった。このベッドはライダラおじさんからのプレゼントだった。お手製だ。

 今日は目を瞑るとマイの顔が脳裏に浮かんできて、やけに眠れなかった。

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