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第二話

 閉められた扉を、僕はひたすらに見つめた。

「あなたのお父さんは、おかしいわ」

「そうだね。君の言う通りだ」

 初めてこの家に来た時から、扉も、外装も変わらない。だから扉の向こう側に、父の面影を重ねる事ができた。

 とても悲しくなって、涙が出そうだったので止めた。

「大丈夫?」

 レーシャと僕の背中の方向から控えめな声が聞こえた。二人同時に振り返る。そこにいたのはマイだった。

「ああ、うん。いつもの事だよ。君はそこで、もしかして叱られてる僕を見てた?」

「大きな声が聞こえたからさ」

「みっともない姿を見せたな」

「ううん。あんなに酷く怒られてたら、誰だって萎縮するよ」

 彼女は第二の友達。海辺で絵を描いてる僕に、マイの方から声をかけてきたのだった。彼女は絵描きの趣味があり、自然と仲良くなった第二の親友だ。

 なにより、彼女は本当に優しい人物だ。その魅力は僕を惹きつける物があった。

「こんにちは、レーシャ。大丈夫?」

「うん、平気よ」

「よかった。うーん、あなたはお風呂に入らないといけないわね。せっかく綺麗な髪をしてるのに、台無し。ねえアラード、よかったら私の家のシャワーを使わない?」

「ええっと、いいのかい? 君に迷惑をかけてしまうと思うんだけどな」

「全然気にしないよ。むしろ、人助けができて気持ちいいくらい」

「助かるよ。本当に君は優しいな」

「最高の褒め言葉だね」

 父がしびれを切らして出てくる前に、僕達は表通りに出た。マイがレーシャと手をつなぐ番になり、僕はその後ろからついていくだけだ。

「アラードのお父さんは、本当は私よりも優しい人だったんだよ」

「そうなの?」

 後ろを振り返って僕の返答を待つレーシャに、頷いて返した。

「そうは見えないわ」

「私も、レーシャの立場だったらなんて酷い父親なんだって言うと思う。けど、とっても優しい人なんだよ」

「何かあったの?」

 レーシャは、何かの変化が僕の父親の中で起きて人が変わってしまったのだと考えた。

 大正解だ。

「今は言えない。マイも、まだ言わないでくれよ」

「わかった。だけど、本当は悪い人じゃないんだってどうしても言いたかったんだ」

 田舎という訳でもないが、建物同士はあまり短い感覚で隣接していない。そんな通路は、家それぞれの個性があって面白い物だ。一家に必ず一つは庭があり、ガーデニングに凝る住人や庭を改築して新たな建物を設置している(それはもう、庭とは呼べないな)住人それぞれいるので、代わり映えのある景色には僕もつい目を奪われがちだ。僕の父親の話が終わって、レーシャもまた見物に余念がなかった。

 僕の家からマイの家まで、あまり離れていない。五分から十分の間歩いた所で、ところどころ木製、しかし金属製の部分もあるというやや奇妙な造りをした家に到着した。そこがマイの家だ。

 かつて僕は彼女の母親から、中世ヨーロッパをモチーフとした家を作る計画を耳にした事がある。確かその最中、どうしても家の中核が崩す事ができず、中途半端な改造で断念せざるを得なくなったというのはマイから聞いた話だ。

 先ほど木製と金属製といったが、もしかしたらもっと細かな名前のついた素材が使われているのかもしれない。ここの家族はマイを除いて、大工作業に凝っているのだ。

「お母さん」

 観音開きの玄関を開けたマイは、大声で母親を呼んだ。玄関を開けてすぐ右手側にある階段の奥から返事が帰ってきて、返事と平行して母親が姿を見せた。

「友達を連れてきたの。一緒にお風呂に入ってあげたいんだけど、いいよね?」

「あら、こんばんは。アラード君も、こんばんは」

「こんばんは」

 短い髪をしたマイと違って、母親は長い髪を後ろに束ねてポニーテールを作っている。髪の色は二人とも薄い金色で、証明によっては茶髪に見える事もしばしば。

「お風呂って、アラード君と?」

「いやいや!」

 マイは躍起になって首を振った。僕は必死に首を振った。

「この子の名前はレーシャっていうんだけど、身寄りのない子供で、海の近くで倒れている所を――」

 ひとしきり彼女は説明してくれた。途中、同じ事を何回か説明する場面があり、マイは説明が下手なんだなと、新たな発見ができた。

「そういうことね。確かに、アラード君の家じゃ難しいわよねえ。……分かったわ、マイがそうしたいなら、使ってちょうだい」

「ありがとう! ところで、お母さん今何してたの? いつもリビングにいるのに、珍しいね、二階にいるなんて」

「探し物をね」

 探し物という単語に対して、マイはさほど興味を示さず流すと、レーシャを家の中に招いた。

「足、すごく汚れてるわ、私」

「平気。気になるなら、スリッパを用意するよ」

「うん、お願いするわ」

 人の家に入る時、必ずスリッパに着替えなければならないといったルールはないが、僕は土足で入るのはなんだか気が引けるため、誰の家に邪魔をする時もスリッパを借りる事にしている。

 特にマイの家によく遊びにいく事があるもので、彼女は玄関にスリッパを置くようになった。僕のためにやってくれたのかと思うと、少しワクワクする。

「君たちがお風呂にいっている間、僕はどうすればいい?」

「さあ。私の家で好きにくつろいでていいよ。お父さんもお母さんも三階で何かしてるみたいだから邪魔にならないと思うし」

「そうかい? それなら、君の家のスケッチでも取ろうかな。立派な内装だから、いつか絵にしたいと思ってたんだ」

「素敵な提案。お父さんもお母さんも喜ぶと思うから、描いてってよ」

 二人がシャワールームに向かうと、僕は早速スケッチブックをどこに置いたのかといった事態に悩まされた。家から外に出る時、大体絵描き道具一式を持っているものだが……。

「あ!」と声を出すのと、勢いよく走り始めたのは同時だった。

 うっかりしていた。レーシャを助けるのに必死になったあまり、浜辺に置いてきてしまったのだ。

 浜辺に向かって駆けている最中、ピータの家から香ばしいビーフチキンの匂いが空腹を刺激する。

 治安が悪い港町という程でもないが、以前起きた事件で僕は神経質になっていた。

 この港町は市の一角に位置しており、人工はおよそ五百人。他の港町と比べると多かったり少なかったりと言われるが、人口密度は低い。これは引っ越してきて地元の人々から聞いてる事だが、口を揃えて皆は無駄に土地が広いというのだ。

 我が国にとって無くてはならない存在といった市ではないが、輸出入のビジネスは盛んであり、毎日のように別の国から船がやってきている。この市は港町で取れる新鮮な魚を売ってお金を稼いでいるが、近頃は畑や農場の設立をしたいという民間人と、漁業で営む民間人が若干の揉め事を起こしているのだとか。

 土地は広いといったが、それでも満遍なく施設が建っているお陰で農業が新たに介入するには既存の施設を壊さなくてはならない。その候補の一つとして漁業で使う船や道具の倉庫や魚類保管所までも挙げられている。対立は主にそれが原因だが、農業から出る廃棄物が海に流れた際の危険性や、資材の共有について意見が別れる等、他にも様々な問題がある。

 僕はまったく、そういうのに興味がない。それ以上の事は分からないが、とにかく面倒くさそうだ。うちの父親がどちらかの勢力に加担してるなら、まだ知識も増えたと思うが……。

 とりわけ、今は市が不穏な空気になりつつある。むしゃくしゃを解放したい大人が、良い材料(僕のスケッチブック)を見つけて破壊しようとしても不思議じゃない。

 また、他の市にいる乞食がこの港町に無断にやってきている事も問題点の一つだ。だから父は、レーシャを受け入れなかったのかもしれない。無論、僕の父は、マイの言う通り優しい父親だった。昔の父ならば、そんな状況でも受け入れていただろう。

 あんな事さえなければ。


 ――おい、しっかりしろ! カーナ、おい! くそ、アラード、病院に連絡を取れ。

 ――でも、こんな山奥だよ。

 ――いいから、早く! ああ、可哀想なカーナ、大丈夫だ。すぐに医者が来てくれる。大丈夫、俺の手を握って、ほら。


 杞憂だった。僕のスケッチブックは生きていた。

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