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第十一話

 二人分の温かい紅茶を用意して、僕は再び席へと戻った。昼間だから電気はつけていないが、空が曇りを帯びていたため室内は暗闇が多い。テーブルも少し冷たかったから、紅茶の温かさが人間の味を蘇らす存在となっていた。

「こんな事いっても、俺は信じてもらえるかどうか分からないが」

「信じるか信じないかは僕が決めるよ。話してはもらえないかな」

「本格的にお人よしな奴」

 カップを両端から両手で包んだロエは全く僕と目を合わせる事はなかった。

「今朝の事だったんだ。俺は寝坊して、グロウ達と一緒に学校に行く事はできなかった。だから今日に限って、一人で歩いていたんだ。始業に間に合わないと思ってすげー走っていったんだけど、ちょっと間に合わなかったんだよな」

 正門から入ったら誰かしらの先生に見つかりゆくゆくは叱られるだろうと想像すると、ロエはたまらず裏門から侵入する事に決めたらしい。叱られるのが嫌だというのは痛いほどわかる。

「裏門から入るのは許されているのかい」

「特別な場合を以外は入っちゃだめなんだ。だから閉じていたんだけど、必死に飛び越えて中に入る事ができた。校舎裏にある扉は朝にだけ常時開閉してたから裏口から簡単に入る事ができた」

「朝にだけ?」

「理由はよくわからないんだけどな」

「へえ……。ごめん、話が逸れたね。続けて」

 裏口から校舎の中に入ると、ロエと時を同じくして正門から登校してきた生徒がいたという。それがエミールだと、彼は言った。

「あいつは優等生だったから、どうして遅刻したのか聞いたんだ」

 一瞬黙って、そして彼は驚いた事を口にした。

「――アラード。あんたの父親を案内していたらしい」

「父さんを?!」

 口をあんぐりと開けて、ただただ聞かされる言葉を理解する事だけに勤しんだ。


「君と違って、僕は人を助けて学校に遅刻をしたんだ。だから正門から堂々と入っても問題はなかったのさ。僕はこのまま職員室に向かって先生に遅刻した事を謝りにいく。君はどうする?」

 嫌味な奴だと、ロエは少しだけ手のひらを握り締めた。

「俺はグロウ達の所にいく。お前、ヒュードおじさんをどこに案内したんだ」

「ラフレさんの家だよ」

 人物名に心当たりがなかったロエは、それ以上追及をしなかった。だから足早に、嫌味な奴の目の前から去ろうとしたのだが。

「君はあんな大人になるんじゃないよ」

 心ない言葉を背中で感じた。一瞬、耳を疑う心さえ持った。

 ロエは歩幅を大きくしてミオールに詰め寄る。

「今の言葉を取り消せ」

「な、何を怒っているんだ」

「あんな大人ってなんだ。あの人が俺たちに何をしてくれたのか知らないのか? 病気が流行した時に命が危ない人達を救ってくれた張本人だぞ!」

「今はただの廃人だけど」

 ミオールは挑戦的な目つきをしていた。

「おじさんにだって辛い過去があったんだ。だから今は落ち込んでんだよ。それを廃人だなんて、撤回しろよ! 酷いじゃないか!」

「確かに悲劇的だったと思うさ。だけどもうあれから一年も経ってるんだ。ずっと過去を引きずって、毎日苦労もせず金を貰ってるだけ。子供のアラードは仕事をせずただお絵描きをしてるだけ。ただちょっと過去が暗いからって、少し悲劇のヒーローを気取りすぎじゃないかなあ?」

 この時から明確に抱いていた殺意を、ロエは隠し通す事ができなかった。職員室は二階にあり、話に見切りをつけたミオールは階段を登っていく。ロエはその後を追いかけて、彼を追い越した。

「なんの努力もせず金をもらっている。それが事実さ」

 まるで自分の意見を正当化するように、彼はなお言葉を続ける。

「羨ましいか」

「そりゃね。僕も暗い過去っていうのをもってみたいよ。そうすればお金がもらえるんだろ?」

 ロエは振り返った。

「じゃあ、くれてやる」

 体と何かがぶつかる嫌らしい音が何回か続いた後、ロエに取りついていた殺意は用が済むとどこかへ消えて、後には絶叫のこだまが残った。その声で駆けつけてきた生徒や教師たちが事態を確認し、惨劇の幕が開いた。


「お前、泣いてるのか」

 僕は視界がぼやけていた。

「父さんを、まさかそんな風にいうやつがいるなんて。あんなに、あんなに苦しんだのに」

 ただでさえ、朝僕は涙を堪えていたのだ。過去の古臭い父を思い出して。それなのに、この仕打ちはなんなのだろう。善人だと思っていた住民の心に、靄がかかり始める。

「刑事さんや市長さんは事件の状況を公開していない。だが俺は知っている。だから、俺が本当の犯人で、どうして犯してしまったのかも分かってくれたかと思う」

「複雑な気持ちだよ、僕は」

 つい少し前までは殺人のない誇りの町だとかいって犯人を憎む思いが残っていた。ところが、動機が動機なだけに、そして犯人が犯人なだけに今は全く別の感情が生まれてしまっているのだ。殺人は、まぎれもない悪だ。だが、ところが……。どうにも言葉に代行できない心情が胸にこみ上げる。どうして古代の人々はこの感情を言葉にする事をしなかったのか。

 もしくは、古代にはこんな悲惨な気持ちになる事がないから、言葉にする必要もなかったのか。ならこの心情は現代的社会心情とでも呼べばいいのか。

「俺が悪いのは分かってる。罰を受けないといけない。でも、一つだけどうしてもそれを延期したい理由があるんだ」

 僕の泣き顔を見て冷静を得たのか、ロエは先ほどよりも落ち着いた口ぶりだった。

「さっきは心の準備とかいってたけど、俺もレーシャを元の親に返す仕事を手伝ってやりたい」

「え? それは嬉しいんだけど、特別な理由っていうほどでもない気がするな。レーシャなら市長さんも手伝ってくれるし、市長さんが町のみんなにもお願いするって言ってたし」

「ちゃんとした訳があるんだ。ちょっと長い説明になるけど聞いてくれ。いいか――」

 彼の携帯電話が音を立てた。言いかけていた言葉を止めて、彼はモニターを見る。

「グロウからだ……」

 携帯電話をポケットの中にしまおうとした彼の手を僕は止めた。

「出なきゃだめだよ」

「な、なんでだよ」

「グロウは仲間想いの良い奴じゃないか。電話をかけてくれるっていうのは、そういう事だと思うよ。ロエにとって悪い電話じゃないと僕は思う。心配してくれてるんじゃないかな」

 説教じみた言葉になってしまった。服で涙を拭い去った後に上から目線について詫びた。

「お前の言う通りかもしれないな」

 そう言ってから、少しためらいがちにロエは着信を了承して端末を耳に当てた。僕は彼とグロウとの応酬を聞く事もできたが、入ってくる言葉はただの音としか認識していなくて、別の事を考えていた。

 父が廃人と言われた事に衝撃を受けて、その余韻が長引いているのもあるかもしれないが、ぼうっとした意識の中で、父は何をしていたのだろうという疑問が思い浮かんだ。

 ロエがそうだったように、ラフレという人物には面識がない。青年なのか中年なのか老人なのか。はたまた人間なのかどうかも分かってはいない。一つ想像できる事があるとすれば、飲み仲間だろうか。

 果てしない想像の道を歩きながらも、しっかりと意識は現実に傾いていたのか、ロエがグロウとの電子通話を終えている事が分かった。

「ちょっとグロウの所に行ってくる事にするぜ」

「お呼び出しかい」

「そんなもんだ。今まで通話をスルーしてたから、怒られそうだけどな」

「愛の鞭だよ」

「勘弁してくれよ。愛の鞭ならいかつい男じゃなくて清楚なお嬢さんに打ってもらいたいところだぜ」

 いつものお調子者具合が元に戻ってきたのを見て安心感に包まれる。

「ありがとな、アラード」

「急だなあ、ずいぶんと。ロエがありがとうって言うの初めて見たよ」

「だいぶ元気になったのはお前のおかげだ。弱気な姿でグロウに会ったら、俺が犯人なんじゃないかってすぐ疑われそうだったしな」

 あの憔悴ぶりは尋常ではなかった。しかし、殺人を犯した事を誰かに告白するだけでここまで気が楽になる物なのだろうか。

「いつでも相談受けるから、電話はいつも身に着けておくよ。君の事は刑事さんやみんなには話さない」

「でも、良いのか。それだと共犯者だぜ」

「いつかは正直に話すって言ってたからね。それに、ロエ、君は犯人である前に僕の友達だ」

 照れくさいなあ。

「そうだったな。じゃあ行ってくる」

 全然気にしていなかったが、ロエはしっかりと僕の注いだ紅茶を飲んでくれていたようだ。それに比べて僕のカップの中に入っている量は多い。ロエが出て行って、どこか虚しい気分を和らげるために紅茶を味わう事にした。

「買い物にいかなくちゃな」

 そして少しだけぬるくなった紅茶を飲み干すと、二人分のカップを置いて買い物へと出かけるのであった。

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