第九話
待ちに待ったフォールズさんからの電話の内容によると、どうやらマイは「大丈夫」だそうで、心から安心させられた。キャリーおばさんもレーシャもほっとしたようだ。詳しい事情については説明できないとされたが、それでも身内に被害はないと知るだけで幸福を感じる。マイが帰ってくる間絵を描こうかと考えてみたが、町の住民が一人殺された中、呑気に描いてるのは不躾だと思えた。
「ミオールって、どんな人なの」
すっかりキャリーおばさんと親しみ同士の仲になったレーシャが、朝食で使った食器を洗い流しているおばさんに訊いた。
「一度見た事があるんだけれど、元気な子じゃなかったわね。不愛想なのよね」
以上の事を語らず、ミオールについての話は切り上げとなった。
僕とレーシャは一緒にキャリーおばさんの家事を手伝う係を申し出た。おばさんは喜んで次々と僕らに家事内容を言い、僕は買い物を任せられた。レーシャには家の掃除。マイの家は他の家よりも掃除に力を注いでいる。それはかなり自然な事だ。ここの家族は自ら家を改造して、その家を大変気に入ってるから。僕もその気持ちは大いにわかる。模写をしていて一番気に入った絵があったなら、画家を気取って額縁を買って中に入れてみた事もある。恥ずかしい話だが、その額縁は毎日念入りに掃除していた。できる事なら絵も洗ってやりたい所だが、残念ながら紙でできている。
おばさんは洗い物が終わり、レーシャと一緒に家の掃除を始めた。二人に頑張ってと告げると、僕は靴を履いてキャリーおばさんの書いたメモ用紙をポケットに入れた。食材がしっかりと、個数と重さまでかかれて記録されている。
不愛想な少年。
完全なる平和を求めてきた町の歴史を無にする程の意図が、犯人にはあったのだろうか。絵は描いてきたが、読書については全然だ。ミステリーを読んだ事は一冊あったかないか。僕の頭が役に立ちそうな事はなく、ただ傍観するしかないのだろうが気になった。移住してきた僕が気になるくらいだから、町の住民、その中でも誇りを守ってきた年配の人々の反応は僕以上だ。住民が全体で犯人を追い回す事も考えられる。それくらい、彼もしくは彼女は罪深い事をしてくれたのだ。
多分、フォールズさんは心をすり減らしているだろう。前僕が事件にあった時も、僕のメンタルケアをしている最中は親身になってくれたが、それ以外の所では萎んでいた。あの時はまだこの町で起きた事件じゃなかったから大事にはならず、市長の心も最大限傷心する事はなかっただろうが……。
ショッピングセンターは町の四区画目の一方通行道途中にある。
この町の区画は縦に伸びた領域の事を言っている。また学校のクラスを例にするが、一列目、二列目の事を町では一区画、二区画と呼んでいる。区画は全部で十一個ある。
マイの家は七区画目の六丁目(この港町の丁目というのは非常にわかりやすく、海側に面している建物から順番に一丁目、二丁目となっている)にあり、今はようやく四区画目の一丁目が真横に見えてきた所だ。
あとは真っすぐ歩けばいいが、目の前から見知った顔の人物が歩いてきて立ち止まった。
「ロエじゃないか」
彼は俯いて歩いており、僕の声が聞こえなかったのかなんの反応も示さなかった。相変わらず白く染まった髪が目立っていたが、アホ毛があるせいで恰好良さが台無しだった。いつもは真っすぐに肩まで伸びているのに。
「おい、ロエ。アラードだよ。聞こえないのか」
近づくにつれ、少し様子がいつもと違う事がはっきりとわかってくる。彼の肩を叩くと、驚いて顔をあげて僕と目を合わせた。
「アラード……」
「もう学校からは帰っていいって言われたのかい。そういえば、先ほどから第二学校の生徒がちらほらいるな」
「助けてくれッ」
会話が止まった。しかし、強引にロエは会話を動かした。
「大変な事をしてしまったんだ、俺は! もう、生きていけない」
「落ち着いてくれよ。一体何をしたんだ?」
「俺が、ミオールを――」
僕は彼の両肩を叩いて、言葉を止めた。それ以上を言うにはこの場所は公すぎた。
「分かった。僕の家に来るんだ。そこで色々と話を聞かせてくれ」
今にも泣き出しそうなロエの背中を支えながら道を引き返して僕の家まで向かう事になった。お買い物の任務は時間制限はなく、おばさんからは寄り道も良いと言われているので気にする事はない。
最近はロエとめっきり会わなくなっていたのだ。そもそも最初にロエと出会ったのは僕ではなく、僕の父なのである。
父から聞いた話だ。これはまだ僕の家族がいた時代。
その時は感染症が流行していた。ロエも例に漏れず病気になり町の医者を訪れたのだが、どこにいっても忙しく予約がどこも何日も待たされる状態だった。仕方なくロエの家族は隣町に向かう事になったのだが、隣町は彼を受け入れる事を拒否した。感染症の病気を患っていたためだ。
ロエのような患者が多くいて、町全体に危機的状態だというサインをフォールズさんが出していた。そこで身を乗り出したヒーローが父なのである。父は移動美術館ということで、町同士の繋がりを大切にしており、多くの町と接点を持っていたのだ。父は港町と近い所の市長に片っ端から連絡を入れて、受け入れる病院を見つけ出し危機を救ったという話だ。
一番病気がひどかったのはロエで、父の行動が無ければ亡くなっていた事も考えられていたと聞いた事がある。それは彼の家族が一斉に僕の家に集まった時に聞かされた事だ。ちなみに、ロエとはその時に友達同士となった。
感染症が流行った時、輸出が止まっただとか多くの店が休業して混乱したという話もあるが、これもまたはずかしい事だが当時僕は絵の世界に一生懸命すぎて町の悲惨な状態を覚えていなかった。世間の事に関心がなかったのだ。
家の解錠を終える前に、扉が本当に鍵がかかっているのかを確かめた。手前に引いてみるが、開く気配はなかった。これなら大丈夫。父はいない。いつも通り鍵を開けて、ロエを中に招いた。
そしてリビングに案内する。冷めた紅茶が残ったままだったので、捨てるのも勿体なくそれを飲んで、新しいお湯を沸かし始める。ロエは既に椅子に座っていたので、僕はその対面に座った。
「ロエは冗談を言う性格じゃないね」
「本当なんだ、信じてくれ。俺が――」
「分かってる。そうだね……まずは、ロエが話したい事を話してくれないか」
彼はお調子者だ。
第二中学校でも人気者のグループの一人だという事から簡単に人物像は分かるものだ。そのグループは聞いた話だと、生徒達からは好かれているが先生たちからは世話の焼ける存在として見えているんだそう。グループといってもロエ含む三人しかいないが。
グループにはリーダー格の男がいるのだが、ロエは彼についていく小動物のような人物で、一人じゃ何もできないお調子者。しかし、グループの中でもロエは先生達との交流を大事にしている……というのはマイから聞いた言葉だ。今までグループと先生達との間で大きな揉め事が起きなかったのはロエの存在ありきなのだろう。
そんなお調子者の姿はどこへやら、今彼の顔は平常心を失っていて、手は小刻みに震えていた。
「わざとじゃなかった。いや、わかんない。なあ、アラード頼む。俺はこれからお前に色々と話す。けど、俺の事を嫌いにならないでくれ。とんでもないわがまま野郎だって事は分かってる。でもお願いだ。俺は、一人になんかなりたくない!」
「家族がいるじゃないか。大丈夫、僕以外にも君は仲間がいる。一人なんかじゃない」
「違うんだよ! 一人なんだ! 俺は誰にも殺人をしたなんていえない。分かってるだろ? 家族に知られたら、俺はどうすればいいか分からない!」
思慮に及ばなかったが、ロエは家族っ子だった。彼には弟がおり、母親がいて父親がいて、家族全員を愛している。羨ましいほどに。だから冗談でも、自分が犯人だとは言えないのだ。
きっと、ロエが殺人を犯したんだと思う。信じたくもないが、先ほど口に出したが彼は下らない嘘をつく人間じゃない。それはこの町住民にも言える事なのだが、今この状態で自分が犯人だというのは、たとえ犯人じゃなくても大きなバッシングをくらうだろう。彼はそのバッシングを背負える人間ではなかった。
「じゃあ、グロウに言うっていう手も」
グロウというのはグループのリーダー格の男だ。
「アラード、それは最悪な一手だ」
「どうしてだい」
「グロウがどうして生徒の信頼を集めてるって。それはこの町の平和を守ろうとしてるからだぜ。あいつは生徒の中で自分が威圧的な存在になる事で、変な気を起こさせないようにしてんだ」
「少しでも罪を犯したら、彼が黙っちゃいないと皆は考えるから?」
「そうだ。それにグロウは皆から信頼されているんだ。罪を犯すっていう事は、グロウを裏切る事になる」
「じゃあ君は」
「俺はあいつを裏切ったんだ。だからこんな事、死んでも言えやしない。だからこの秘密を抱えたまま、一人で生きていかなきゃならないと思うと、苦しかった……! 狂ってしまうかと思った」
「なぜ僕には言えたんだい?」
刑事のような気分だった。犯罪者を問い詰めているような。無論、本当の刑事がどんなものかは知らないが。
「アラードなら、分かってくれると思ったんだ。正直、俺はお前の事を一番尊敬してるんだ」
「え、どうして?」
罪深いのは僕も同じだ。少し嬉しかった。
「必死に夢を追いかけるお前には、みんなとは違ったパワーが見えたんだ」
「なんだそりゃ。まあとにかくなんとなく分かったよ。僕ならみんなには黙ってくれてそうで、都合がいいからかな」
「そ、それは」
どんぴしゃらしく、彼は口を閉じて指を弄り始めた。
「大丈夫、この事は誰にも言わないし秘密にしよう、約束するよ」
「ああ、よかった……。でも、どうして。こんな事を俺が言うのもなんだが、お前には俺を守るメリットなんてないはずだ」
「この町の人達は誰もが善人なのを知ってる。だからロエも善人なんだ。何かしらの理由があって、もしくは不本意に起きた事件に違いない。だが、最終的にロエが犯人だという事は知られてしまうだろう。さすがに僕はずっと君を守りきれないけど、いいかい」
「分かってる。俺は罰を受けなくちゃならない。でも、まだその心の準備ができていないんだ」
「じゃあ僕が守れるのは、その準備期間だな」
少し前にあった時よりも顔色のよくなった表情を見せたロエは、両手を合わせて何度も頭を下げた。
「ありがとう。助かる」
ひとしきり感謝されたところで、僕はそろそろ事件の事を追及する予定だ。
「ロエはどうして、事件を起こしてしまったのか聞いてもいいか」
「分かった。包み隠さず、俺は話す。これは全部本当の事だ」