5 黒の塔の異変5
腕を、指を動かすたびに体がぎしぎしと痛んだ。それでもディオスはそんなことおくびにも出さずに本のページを捲っていく。
今読んでいるのは冒険小説だ。主人公であるエルフがたった一つの真実を求めて国中を旅する。旅の過程でドワーフを初め様々な種族の人々と知り合う。初めは子供だったエルフはその冒険の過程で様々な苦難を知り、少しずつ成長していく。だが、ディオスはそんなエルフよりも、彼を嫌い、妬み、狙うダークエルフが好きだった。
彼女、ヘンデカと会話をしてみたいとも思う。
その様を想像したディオスは口元に笑みを刻んだ。全てを嫌い、何も信用していないヘンデカは恐らくディオスにも噛み付いてくるだろう。
クスクスと笑みをこぼしたディオスの体を強い痛みが走ると同時に本が淡い光を帯びた。淡い光は少しずつ強くなり、一瞬はじけるような明るさを伴なったと思うと、それはすぐに終息し、ディオスの体を刺していた痛みも次第に遠のいていく。
ディオスはこの感覚を知っていた。力を使った時の感覚だ。ただし、今は体中に怪我をおっているためいつも以上に痛みを感じ、今は、現れたであろうヘンデカを確認する事が出来ない。
《何で、私を作った?》
冷たく凍えるような声音にディオスはのろのろと顔を上げた。だが、その動作さえも今の彼女には辛い。
「あなたが……好きだから。やっぱり、想像通りね」
その一事を口にするのがやっとだった。
《ちょ……》
慌てたようなヘンデカの声を最後にディオスの意識は闇に沈んだ。
「メル!!いらっしゃい」
軽くノックをすると、マドンナがすぐに出てきた。嬉しそうな顔でメルファンを迎え入れてくれる。メルファンはこんなひと時が大好きだった。
「こんにちわ、マドンナ。アチェルも元気そうね」
いつもと同じ挨拶をして家の中に入る。毎日学院で会っているからか、メルファンがこの家に来るのは本当に久しぶりだ。
メルファンの言葉に、マドンナの肩に止まっている小鳥がひらひらと飛び回る。今は可愛らしい小鳥の姿をしているマドンナの使い魔の本性は「ドラゴン」だ。メルファンが知る限りでは殆ど類を見ないほど力の強い使い魔だ。それなのに、誰もその事実を見ないでマドンナをおちこぼれと蔑むのがメルファンには我慢ならない。絶対にそいつ等の鼻を明かしてやりたいと思う。
「メルファン、突然どうしたの?」
「あんたに見せたいものがあるの」
メルファンは大事にカバンに入れてきたハキームストーンを彼女の前に置いた。それを見たマドンナの顔から一瞬で表情が抜け落ちる。ゾッとするほどの静けさを持ったその様にメルファンの背筋が凍りつく。こんな何の感情も持たない目をしたマドンナを見たのは初めてだった。
「マドンナ!!」
思わず大声で呼びかけると、ビクリ、と肩を震わせたマドンナがぼんやりとした視線をメルファンに向けた。それから、何でもない表情を浮かべる。
「どうしたの?大声なんて出して」
「マドンナ……今……」
「?で?これ何?」
本当に何も無かったかのようなマドンナだが、さっきは確かに強い殺気を感じた。まるで、マドンナではない別の何かが居たかのような、そんな気分にさえなってメルファンはブルッと体を震わせた。
「マドンナ、これ知っているの?」
そんなことあるはずが無い。事実マドンナは知らないと答えたし、それに嘘は見えなかった。まるでさっきの一瞬は夢だったのではないかというような気さえする。
「知らないから聞いてるんでしょうが」
「ハキームストーン。強い魔法石。もしかしたら使えるかなって。試してみて」
マドンナは驚いたようにまじまじとハキームストーンを見た。それから何も言わずに手に取る。信じているのかどうかは判らないが、使えるか試してはくれるらしい。
マドンナが握り締めると、そこから赤い澄んだ光が溢れてきた。それだけで判る。ハキームストーンは彼女を主に選んだ。
「メル!!使える。すごい……信じらんない……」
本当に嬉しそうに自分の刻んだ紋章を眺めるマドンナにメルの体から力が抜けた。思ったよりもずっと緊張していたらしい。
「よかった……じゃあ、何か試して……」
メルファンの声が不自然に途切れる。彼女は窓の外でこちらを見る真っ赤な鳥を見つけた。これには覚えがある。メルファンも過去に何度も見た事がある。こんな大きな赤い鳥、一度見たら忘れられるものではない。
「あなた、アブニール?ミラの使い魔の……」
驚いたように目を見張ったメルファンの横でマドンナが緊張したような面持ちをした。本来メヒャーニク家の当主であるミラはメルファン達一学生が係わり合いになれる人物では無い。
窓を開けてアブニールの声が聞こえるようにした。いくらなんでもこんな大きな鳥を窓から招き入れる事はできない。
「ミラがあなたを呼んでいます」
「ミラが?判った、後で……」
「今すぐに、と。メヒャーニク家当主からブロックウェイ家のオーナーに対する命令です」
抑揚の無い声がこれが絶対なものであると語っていた。メルファン達ブロックウェイ家の人間にとってメヒャーニク家当主の命令は絶対だ。逆らう事など出来ない。だが、ミラが権力を使ってメルファンを呼び出したことなんて未だかつて無かった。何だかいやな予感がする。
「マドンナ、ごめん。帰らないと」
緊張したような表情のメルファンにマドンナは気にしていないと言うように笑みを見せた。
「うん。また、明日ね」
「また明日」
これは毎日、変わらずに行われる約束だった。そして、明日も同じように会い、別れるはずだった。でも、そんな穏やかな日常はもう二度と訪れなかった。




