第4章 平穏の日々に向けて 1 かつての賢者
「ん……」
体に強い倦怠感を感じ、のろのろと体を起こしたメルファンは一瞬自分がどこにいるのか判らなかった。
ぼんやりとかすんでいた視界がクリアになっていくと共に漸く自分がどこにいるのか判って唖然と目を見開いた。
「え……?ここ……地下?」
メルファンがいるのは、ブロックウェイ家の図書館の地下にある書庫だった。白の宮殿で封印を終えた後の記憶がメルファンには無い。どうやってここに戻ってきたのかさえ判らない。
「メルファン、気がついたのね?」
安心したような声音に首をめぐらせたメルファンは、少し離れた位置に眠る若い女性とその枕もとでこちらを見ている使い魔の姿を目に留め、再び軽く首を傾げた。
「サラ?それって、レティシア様よね?一体何がどうなってるの?」
「うーーん、私も詳しい事はわからないのよね。何せ、私はメルファンの使い魔だから」
ようは、メルファンが意識の無い間はサラの意識も無かったという事。それは当然のことなのに、今のメルファンにはその事実を考え付く事さえ出来なかった。
「あ……そうか」
困ったな、と呟くメルファンの耳にクスクスと笑う笑みが聞こえた。
「ミラ!!あなたは、知っているわよね。何が……」
「説明するから落ち着いて、と言っても私も何を言えばいいのか判らないけど。まず、封印だけど無事終わったらしくて、黒の塔は完全に元のように異空間に戻ったわ。そして、白の宮殿にはヘクセレイ先生が再び結界を張ったから、問題なしね。あなたの姿はずっと見えなくてビックリしたんだけど、その足でこの場所に着たらここにいたってわけ。姫様から聞いたけどあなた、イレウスと共に中に残ったのでしょう?彼が送ってくれたのでは無いの?後、レティシア様は既に亡くなられているみたい。……二十年と少しと言う短い時間を生きて、そして封印の要として千年近くも眠り続けて……漸く目を醒ましたら一日もたたずに命を落として……彼女はセレスティアに振り回された人生だったわね。……今は彼女の友人も家族も誰もいないけど、せめて私達の手でメルディウスの側に葬ってあげようか」
ミラの言葉に真っ白な顔色でまるで眠っているようにさえ見えるレティシアに目を向け、メルファンは再び涙を流した。これが、未来のマドンナの姿なのだと思うと、やるせない気分になる。
「マドンナ……」
ポロポロと涙を流すメルファンに声をかけることさえ出来ないのか、ミラは無言で立ち尽くした。それは、メルファンにとってはとてもありがたい事だった。今は誰に何と言葉をかけられたとしても素直に聞ける気分ではない。暫く一人にして欲しいとさえ願う。
「サラ、行こうか」
目の端で、ミラがサラを抱き上げるのが判った。メルファンはそのミラの気遣いに言葉も無く感謝する。彼女はマドンナ程長い付き合いでは無いがメルファンの事をよく理解してくれる数少ない人だ。
その日一日、メルファンはただただ、涙を流し続けた。
ざーーっと強い風が吹きぬけ、メルファンの髪の毛を揺らす。未だ呆然とした表情のまま墓標に手を合わせていたメルファンが漸く顔を上げると、まるでレティシアの魂を送るかのようにドラゴンが大きく咆哮したような気がした。あの柩で眠るマドンナがレティシアを送っているような錯覚がする。
「レティシア様、あなたは……幸せでしたか?」
メルファンの問に答えてくれる人はいない。
「メル」
カサリ、と小さな音を立てて後ろから近づいてくる人が居る。それが、誰なのか振り向かなくても声だけでわかる。それだけ、メルファンに近くて、そして、同時にとても遠い人。
「メイ……」
「ミラが、呼んでる。ジーンも来るから久しぶりに幼馴染で騒ごうって」
「そこに……私は入れないよ」
ポツンと呟くとメイビーナの顔が曇る。止めなければいけない、それは判っているのに、どうしても口をついて出てくる言葉が止まらない。
「メル……私は……」
「ねぇ、レーセって何?読むことで、知ることで、大切な人を守る事も出来るって言っていたのに、結局私は何も守れなかった。……こんな事なら、レーセの力なんて要らない……代わってよ」
後ろから返事は無い。メイビーナが顔面蒼白の状態で絶句しているのは見なくても手に取るように判る。
「代われるものなら、代わりたいよ……でも、無理だよ……。私は……出来損ないのほうだもん」
メイビーナの言葉にメルファンがハッと息を呑む。お互いの間に気まずい空気が流れた。
大きな声で罵り合っているわけでも、罵詈雑言を言い合っているわけでもないのに、互いに互いを傷つける最も効果的な言葉をぶつけてしまう。2人は、相手がどういえば傷ついてしまい、逆にどう言えば救われるのか、嫌というほどにわかっている。2人は余りに似すぎていた。だからメルファンは、今ここで、これ以上メイビーナと話していることが出来ない。話せば話しただけ、相手を傷つけ苦しめてしまう事が判っている。
「ごめん、今日は……帰る」
クルリッと墓標に背を向けて飛び出していくメルファンを、メイビーナは呼び止めなかった。
お互いの気持ちがいやと言うほどわかる。だからこそ、どうしようもない事がある。
「父さん……何で私を選んだの?何で……メルを残してくれなかったの。……何で、私たちは同時に生まれたの……。双子じゃなければ……よかったのに……」
そう呟いたメイビーナの言葉を聞いていたのは、風に揺れる、草花達だけだった。
「何で……私はレーセじゃないの……?」
自分達の状況がほんの少しでも違っていれば、もう少し幸せになれただろうか……。もう、どんなに願っても無駄な事だけど。それでも、メイビーナは過去を悔やまずにはいられない。




