8 生贄の娘2
「メルファン・ブロックウェイは?」
ブロックウェイ家の図書館に入るなりレクスは中にいる人物の前につかつかと歩いていった。
「メルファンは出かけていますわ。どこにいるかまでは知りませんけれど。何か御用ですか、陛下?」
ミラは読んでいた本から顔を上げて落ち着いた表情で彼等を見た。今このセレスティアで起こっている事を知らないのではないかと思うほどに落ち着き払っている。
「イレウス様が条件を出してきた。……最も強い魔力を持つ人間に心当たりはないか?」
ミラはレクスの問を予測していたのか、悲しげに顔を歪ませ、小さく息をついた。今にも泣きそうにも見える。さっきまで落ち着き払っていた人物と同一人物には見えない。
「……1人、います」
ポツリと呟いた声に、レクスはバッと顔を上げた。
「それは……」
「陛下、彼女は17歳の女の子です。これから多くの未来を紡げる子、そして、彼女を大切に思う人もいます。そういう人達にのこす、傷や痛みを受け止めていただけますか?」
「……何をするつもりなのかは知っている、ということか。……痛みを失くす事も傷を癒す事も私には出来ない。だが、私は犠牲にした、その痛みを絶対に忘れない」
何の感情も浮かばない王の表情をしているレクスの両手がキツク握り締められているのがクレアには判った。ミラにも判ったのかはわからない。だが、彼女がレクスを見る目に蔑みの色は無かった。
「わかりました。陛下に全てを託しましょう。……彼女の名前はマドンナ・ヴェルデ。王立学院魔術科に通う生徒で、未だどんな魔法石も仕えなかった。最近使えるものが一つ見つかりましたけど……恐らく、賢者といわれる我が先祖よりも強い魔力を持っています。」
「…………ミラ・メヒャーニク。感謝する」
深く頭を下げたレクスが出て行くのを見送ったクレアはミラに目をやった。
「メヒャーニク伯爵、あなたは、私たちがここに来るのを知っていたの?」
「予測はしていました。……恐らく要となったレティシア・メヒャーニクの代わりがいるのだろうな……と」
「ごめん……なさい……」
ポツリと呟いた謝罪は、誰にしたいものなのか、クレア自身にもわからなかった。
王立学院で確認したマドンナ・ヴェルデの住まいはこじんまりとした一人暮らし用のアパートだった。ここに住んでいる魔術師はマドンナだけらしい。元々魔法石を扱えなかったためにそういう家をわざわざ選んだのだろう。
アパートの中に一歩足を踏み入れた瞬間、クレアはギクリ、と体を強張らせた。このアパートの中から強い魔力の奔流が感じる。
「クレア、どうし……」
突然立ち止まったクレアを振り向いたレクスを無視して、クレアは小走りでマドンナの部屋に向かった。何かとてつもなく嫌な予感がする。
部屋につくと、やはりここがあの魔力の発信源だとわかる。
戸は開いていた。
「マドンナ……ヴェルデ……?」
中には横たわり、意識を失っている少女が一人いるだけだった。他には誰の姿も無い。
「眠らされている……?」
外から強い魔法で眠らされていると共に、彼女自身何かを押さえ込むように強い魔力を放出しているのがわかる。
「彼女がマドンナ・ヴェルデ?でも何故眠らされている?」
ゆったりとした足取りで入ってくるレクスの腕を取る者がいた。
「陛下は入らないでいただけますか?」
「君は……」
「魂を喰われたくなければ部屋には入らないで下さい」
何かに耐えるように苦し気な表情でレクスを睨みつけているのはあの、メルファン・ブロックウェイだった。
「マドンナの中にはユシテルがいます。今、彼女は表に出ようとするユシテルを押さえつけるために眠りについていますが、どんな衝撃で起きるか判りません。だから、異能を持つあなたは彼女に近づかないで下さい」
彼女が家族以外誰も知らないレクスの異能を知っている事に驚きは無いが、ユシテルがマドンナの中にいるという事実には驚愕を覚えた。そして、メルファンがここにいるということは、彼女はそれを知っていたという事。
「何故……」
思わず怒鳴りつけそうになった言葉をすんでのところで飲み込む。その理由はわかりきっている。マドンナがメルファンと親しいのなら、彼女が何も言えなかったのは当然だ。
今にも泣きそうに顔をゆがめたメルファンに手を伸ばしかけ、すぐに、降ろした。今、何を言っても何をしても、滑稽でしかない。メルファンにとっての敵はユシテルだけでなく、レクスもなのだから。
「すまない」
漸く口にしたのはそのたった一言だけだった。だが、それで終わらせるわけにはいかない。
「マドンナを……私たち、国に頂けないか?」
「選択肢なんて無いくせに……何とかできないかと思って来たけど、だめ。間に合わなかった。……私にはこれ以上マドンナが意識を乗っ取られる前に……眠らせることしか出来ない」
「感謝……する。眠らせる前、彼女は何か、言っていたか?」
レクスの問が意外だったのか、メルファンは軽く目を見張り、小さく息を呑んだ。
「私がここに来た時には、すでに、マドンナの体に彼女の意志はありませんでした。でも、私がどうする事も出来なかった時に一瞬だけマドンナの意識が戻ったんです。その時“ユシテルを止めて”と」
意識を乗っ取られながらもそれを押しのけ、意志を取り戻すだけではなく、出てきた言葉が助けてではなくユシテルの事だという事実にレクスは驚いた。
「そ……か……。彼女を黒の塔へ連れて行きたい。力を貸してもらえないか?」
メルファンの言葉だとレクスは近寄れない。今はクレアとメルファンの二人に助力を頼むしかなかった。
「はい」
メルファンの目から涙があふれ出る。思わず手を伸ばしかけたレクスは、すんでのところで手を止めた。今の自分にそんな権利なんて無い。彼女から友人を奪うのは彼なのだから。