7 生贄の娘
「……イレウス様の条件はわかった」
軽い溜息と共に報告に来たクレアとバルレを見たレクスの考えている事は分からない。
「兄様、まず、ディオスの……」
「それなら、もうしている。流石に王の命令とあればあれを発動なんてさせられないから、大丈夫だろう。初めに間に合わなかったのは悪かったけど」
自嘲するような笑みを浮かべたレクスはその表情をすぐに消した。他のどの貴族もウィリアムが今の異能者に対する世間の態度を変えたいと願っている事は知っているが、レクスまで異能者寄りである事を知らない。それだけ彼が完璧に隠しているということなのだろう。
「陛下、どうなさるおつもりですか?」
「それを、私に聞くか?強い魔力を持った生贄……常識で考えるなら筆頭魔術師のテルモ・ヘクセレイか、最年少ウンディーネのミラ・メヒャーニクだろうが……」
軽く顔を顰めたレクスは、恐らく彼等では無いと思っているのだろう。クレアもやはり、その二人だとは思えない。イレウスのあの条件は王族であるクレアたち三人を試しているようにも感じた。イレウスが望む、イレウスが最も強いと感じる魔力を持つ魔術師を差し出さなければならない。
「イレウスはそんな常識的な人間を思い浮かべてはいないと思います」
「というと?」
「イレウスが望む、とありました。彼が強いと思わなければ交渉決裂だと。慎重に吟味しなければ……兄様?どこへ……」
クレアの言葉を最後まで聞くことなく立ち上がったレクスにクレアとバルレは慌てて立ち上がった。
「ブロックウェイ家に。何かを知っている可能性もあるからな」
「は?ブロックウェイって、あの?メヒャーニク家の……?」
意味がわからないクレアとは裏腹にバルレはその理由がわかったらしく、レクスに深く敬礼をして、賛成の意を伝えた。
「陛下、私も……」
「いや、いらない。一人でいい。バルレとクレアは……」
「いくら兄様でも一人は無茶です。せめて私を連れて行ってください」
今、ここで置いていかれるなんてごめんだ。ディオスの犠牲の可能性も含んだあの条件に頷いたクレアはここで、兄に守られてのうのうとしているわけにはいかない。
「お前……馬鹿なヤツだな。お前も、ウィリアムも」
フッと笑みをこぼしたレクスの態度に、クレアの願いが聞き入れられたのだと判断する事にして、クレアは小走りでレクスの後をついて行った。
クレア達が城に戻った頃、ヴィラがブロックウェイ家の書庫にやって来た。今回はアルシャークはおらずヴィラだけだ。
「ヴィラ?よくここがわかったわね」
クスクスと笑みを零しながら本から目を上げたミラにヴィラは小さく頷いた。
「メヒャーニク家に行ったら、まだ戻ってないって言っていたから。こういう時、卵が帰ってればいいのにって思うよ。そうすれば簡単に探せたかもしれないのに」
ぶつぶつと文句を言いながらヴィラはローブの内側から掌サイズの丸い珠を取り出した。魔術師はそれを卵と呼んではいるが、食卓に並んだり、動物が孵ったりする卵のようなもろくて柔らかい物体ではなく、どちらかといえば石に近い。神々が残したモノの一つとはいえ魔術師でさえ、何故この石から様々な使い魔が生まれるのかわからない。
未だ卵が孵っていないヴィラは話の途中だろうが、任務の途中だろうが気が向いた時にその卵に魔力を流している。早く孵ってほしいという願いは今のところ叶いそうも無い。
「孵ったところで、どんな能力・形を持ったものかわからないじゃない」
呆れたように言われたが、その通りなのでヴィラは反論できない。慌てて話題を変えようと口を開いた。
「ミラ、私遊びに来たんじゃないよ」
「だろうね。で?どうかした?」
「クレア姫とバルレ様が帰ってきて、王の執務室にいるらしいわよ」
「姫様とバルレ様……か。二手に分かれたという事は何か無理難題を押し付けられたという事?」
さすがミラ。他の誰も知らない事を当たり前のように知っている。ヴィラはイレウスの元に行ったのが二人ではなく四人だと知ったのは、アルシャークがその情報を持ってきた時が始めてなのに。時折、自分達なんて要らないんじゃ……と思うこともある。
「みたい。流石に内容まではわからないけど……」
ミラは軽く目を眇めてヴィラの顔を覗き込んだ。ミラのこの顔はヴィラを落ち着かなくさせる。まるで全てを見透かされているかのような落ち着かない気分にさせられる。
「誰情報?アル?兄様?」
「アル。いくらなんでもジーンさんがそういう情報を流してくれるはずないじゃん」
ジーンはヴィラが所属する魔術師団の師団長だし、ミラと親しいヴィラの事は相応に目にかけてくれてはいるが、国家機密を部下であるはずの彼女に流してくれるはずなど無い。
「確かに、ね」
小さく顔を顰めたミラは、次の瞬間には盛大に眉をひそめた。
「ミラ?」
「陛下はこれ以上私たちを巻き込まないでくれると思う?」
それには答えられない。答えは知っているが、なんとなく答えたくない。そんなはずも無く、ミラは絶対に巻き込まれる。
巻き込まれたくないのだとばかりに慌てて図書館から逃げるヴィラを見るミラの目には恨みがましい色があった。