序章
「化け物を殺せ!!」
まるで、小さな石が水に投げ込まれた時のように、そのたった一言が人々の口に上り、それが、水の波紋のように広がっていく。真っ白な宮殿の前に立つ一人の女に向けられたその言葉がまるで毒のように女の心に突き刺さる。
魔術を扱い、不思議な力・異能を扱うヒトが……神と龍人からこの国を奪ったヒトの子孫が「長く生きる」たったそれだけを理由に女を化け物と呼ぶ。酷く滑稽だと思った。こんな、例え神の力の一部を継いでいたとしても、ただのヒトでしかない彼等を壊す事は難しい事ではない。だが、女はそれを選ばなかった。あの時、国を奪われた龍人が平和を願い姿を隠したように、女は彼等を殺す事などできない。
武器を片手に騒ぐ人々の前で、女の姿がかすみ、消える。
「逃がすな!!」
いくつもの魔力の奔流。女が姿を現した赤の泉にさえも届くほどの力。この場所を彼等が見つけるのも時間の問題だろう。最も彼女は逃げるためにここに来たのではない。
「セレスティアから出てしまえば、逃げ切れるのでは?」
問われた問は、思ったよりも早くここにヒトが来た事を表している。この場所に来た人間としては予想外な人物ではあるが。
「いいえ。あなたもレーセならご存知でしょう?例え、神に属するわたしであったとしても……いいえ、神の血を引いているからこそ、セレスティアから出る事はできないわ。それが、この国がある意味なんだもの。それに……私は、こんな目にあったとしても、この場所が好きなのです」
悲しげに目を伏せた女は真っ赤に光る泉の中に入る。体中の力が抜けていく、彼女の耳に二つの言葉が届いた。化け物の死を喜ぶ人の声。そして、全てを知り、彼女が逃げて生きる事を望んでくれたたった一人。
「リアン様!!」
最後に聞こえたのが、自分を呼ぶ声なのが、リアンにとっては最高に幸せな事だった。
「ありがとう……メルディウス・メヒャーニク」
リアンのこの世で最後の言葉は、水に呑まれて、誰に聞こえる事も無く消えていった。
月一つない静かな夜に、静かに地面を踏みしめる音だけが響いていた。どこか、おびえているかのように恐る恐ると踏み出す足音が、嫌に大きく響いた。そのたびに、足音の主、15,6歳に見える少女が肩を震わせる。その顔には怯えが潜んでいるようにも見えた。
「これが……白の宮殿……。」
少女がゴクリ、と唾を飲み込んだ。その音さえも響いて聞こえる夜は、今すぐに逃げ帰ってしまいたいようなほどの恐怖を少女に与える。だが、逃げるわけには行かない。
「白の宮殿の一番奥まで行って、その証拠に何か持って来いよ。……そうしたら、お前を魔術師として認めてやる」
と、はっきりと口にした彼等を見返すために。そして、
「危ないよ」
心配そうに顔を歪めた親友を安心させるために。彼女は少女と関わっていたためだけに、色々な物を諦めなければならなかったのだから。
少女は、一度大きく深呼吸をして、震える指を神殿の扉にかけた。ビリッと指先に痛みが走る。静電気が立ったような軽い痺れだけを残して、その痛みはすぐに消えた。少女は再び扉に手をかけると、大きな戸を中に押し開けた。それは音も無く開く。
「開い……た……?」
少女は唖然としたように目を見張り、神殿の中に一歩足を踏み入れた。今までただの一度も入ったことが無い神殿の中は、中央神殿と変わらぬ、綺麗で荘厳なイメージがある。
誰も入れなかった神殿の中に足を踏み入れる事が叶った理由がわからず、少女は恐る恐る奥に踏み入って行った。一歩ずつ足を踏み出すたびに重苦しい嫌な空気を肌に感じる。
突然、何か壁のようなものに触れた。何も無いようにしか見えないのに、その先に行く事が出来ない。透明な壁があるみたいだ。
「壁……?これ以上いけないの?一番奥まで行かないといけないのに……。」
ポツリ、と少女が呟くと同時に、大きな爆音が聞こえた。
目を見開く少女の目の前で透明の、見えない壁が強い光を発し、少女のことも、神殿さえも包み込んでいく。
光が消えた時、そこには誰も居なかった。静かに、有り続ける神殿が存在しているだけだ。
わたくし、白雪の新連載。黒の塔をどうぞお楽しみください(ホームページの方が早く掲載をしていますので、気になる方はそちらもどうぞ)