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4、失われる繋がり、そして甘い絶望


 失われるべきものだったのだと悟り

 どこかで安心して


 そして、酷く絶望した。




「つまぁーんないー」


 ぷりぷりと不満げな顔をしてソイツは俺の周りをウロウロする。

 怒りにまかせて殴れば、綺麗な面の半分は吹き飛んだ。


「ひっどぉーい。この世で考えられるであろう美しさなのにぃー 」

「どうせ、すぐに再生すんだろ 」

 不満を隠そうともしないソイツを置いて、俺は他の悪魔の契約状況を確認に行く。


 契約破棄は、何も人間に限ってできることではない。

 悪魔でも契約破棄はできる。しかし、それはあまりにもこちらの負担が大きい。

 魔力の消費や階級の剥奪、果ては自己の消滅など契約によってこちらが失うものは様々だ。

 俺の場合は魔力をすべて奪われる程度で済んだ。まだ本契約でなかったことが幸いしたのだろう。


「女、黒髪、極東は、今んとこいねぇな… 」

 悪魔たちの契約者を確認して安心する自分に、我ながら情けなさを感じた。

 彼女は、今どうしているのだろうか、と考えようとしてやめた。

 俺にはそんなこと考える必要はない。


 契約の切れた契約者など、もう関係ないのだ。

 魔力のない今の俺には、召喚に応じる力もない。

 だから、もしも彼女の呼びかけがあったとしても答えられない。


 願わくは、これからの彼女が人らしく懸命に生きることだ。

 悪魔の俺に願われても迷惑かもしれないが、ただそれだけが俺の願い。

 共に在れない、俺の唯一の願い。


 チクリ、とまた胸が痛んだ。



「じゃ、俺、しばらく眠るな 」

「つまんなぁーい。折角、戻ってきたのにぃー 」

「うるせぇ、魔力戻さなきゃなんもできねぇだろうが。ちぃっと100年ばかり眠ってくる 」

 そうして、目を閉じて、深い眠りにおちた。







 ねぇ、ねぇ、名前を教えてくださいな。

 え?突然なんだって、そうですね。驚かれますよね。


 でも、私、名前が知りたいんです。

 悪魔さんの、名前を知りたいんです。


 だって、じゃなきゃ呼べないでしょ。

 あなたのことを呼べない。


 あなたが私を不要としても、私はあなたが必要なんです。

 もしも、死ぬのならばあなたの傍が良い。

 それまでは、愚かしいほど懸命に生き抜いてみせます、から。


 だから、教えてください。





 どさり、とどこかに落とされた。

 地面を見れば魔法陣。むせ返るほどの血の匂いは、己を代償にしての召喚だということがわかる。

 恐る恐る、視線を上げれば、そこには彼女が幸せそうに笑って立っていた。


「よかった、私の魔力も馬鹿にしたものではないのですね 」

 ニコリと笑う彼女の顔は土色で、生気がまったく感じられない。

「どう、して 」

 まだ魔力が十分でない俺。100年どころかまだ10年しか経っていないようだ。

 これは、一体。


「何処までも悪あがきをして、無様なほど懸命に生きた結果ですよ 」

 フラフラと俺の傍に近づいてくる彼女は、あの頃のような絶望を抱えた表情はしていない。

 しかし、目は虚ろでどこか死人のような雰囲気すら感じる。


「さぁ、契約を。私の魂と躰を交換に、一つ望みを叶えてください 」

「なんで…どうして、こんなことしてんだよ 」

 意味が分からなくて混乱したままの俺に、彼女は優しく答える。


「あなたに会いたかったから 」

 ポロポロと零れる涙は止まらない。

 でも、今の俺には彼女を抱きしめるために具現化する力がないのが歯がゆい。

 必死で彼女に手を伸ばせば、精神体でしかない俺の手を、彼女は確かに握った。


「あなたに会いたくて、私は頑張りました。だから、望みを聞いてください 」

 縋るように言われて、俺は何も言えなくなる。

 召喚による契約の元、下僕は主の望みを聞かなければならない。

 それが、本契約になるのだから。


「望みは、…なんだ」

「私が死ぬその時まで、一緒に居て 」

 思わず抱きしめれば、やはり細くて小さい肩。どこまでこの人は頑張ったのだろう。

 限界の近い体を思って、チクリチクリと胸は痛む。


「大丈夫です。きっと、もうすぐ終わる、から、 」

「あぁ、わかった。俺は最後まであんたの傍に、居よう 」

 心底嬉しそうに笑う彼女。あぁ、本人もちゃんと死期を悟っている。

 人の世を捨てた体。だから、俺に触れられるのか。


「私、頑張ったんです。たくさんの悪魔を呼びだして、聞きました 」

「…聞き捨てならないんだか…今更か 」

 ふふふと悪戯げに笑う彼女。いったい何を聞きたかったのか。

「あなたの名前を、知りたかった 」

 あぁ、と納得する。上位悪魔である俺の真名は俺よりも階位が高くなければ分からない。


「だれも知らなくて、生贄をあまり持っていかれなかったから助かりましたけど 」

「…体の一部を、渡したのか 」

「だって、何もない私にはそれしかなかったから 」

 でもね、とどこか誇らしげに彼女は言葉を続ける。


「魂だけは、あげませんでした。体も動くことのできる最低限は維持してあります。だから、あなたが使うときは何の問題、も 」

「そういうことじゃねぇだろ!! 」

 魔力も十分にない人間は、そうやって生贄を支払わなければならないのはわかる。

 でも、俺は何故だか許せない気持ちになってしまう。


「全部、俺のだろう…一つだって、ほかのやつにくれてやるな 」

「そうでしたね…ごめんなさい 」

 ふらりと、握っていた手が離れた。床にしゃがみ込む彼女をとっさに支える。


 あぁ、もう、限界が近いということか。

 こんな一瞬のような時間のために、彼女は10年も費やしたというのか。


「私は、やっぱりただの凡人で、魔術の才能も魔力も人並みでした。でも、あなたに会いたい気持ちで、ここまでこれたのです。この10年、私は確かに生きていました。だから、 」


 もう、いいでしょう。



 待ってくれ、と抱きしめるとそのまま彼女は俺の中に消えていく。

 契約は成就され、魂と躰は俺に譲渡された。


 魔力は戻り、俺は本来の姿を取り戻す。



 取り残された部屋は、愛しい人の血の匂いであふれていて

 それがたまらなく甘美で、酷く苦しかった。


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