婚約破棄されたので辺境伯に拾われましたが、元婚約者が今さら跪いてももう遅いです
「――よって、レティシア・フォン・エルグラン。お前との婚約を破棄する」
シャンデリアの光がやけに眩しかった。
磨き抜かれた大理石の床。楽団の演奏。豪奢なドレス。笑顔を貼り付けた貴族達。
その全部が、一瞬で遠くなる。
「……理由を、お聞きしても?」
声が震えなかっただけ、自分を褒めたい。
けれど、目の前の男――第二王子エドガーは、露骨に顔をしかめた。
「白々しいな。お前は知っているだろう」
「何をでしょう」
「俺にはもう、愛する女性がいる」
その瞬間。
エドガーの腕に絡みつくように、一人の女が現れた。
ふわふわした桃色の髪。潤んだ瞳。胸元を強調したドレス。
ミレーユ・バスティアン。
最近やたらと王宮に出入りしていた伯爵令嬢だ。
「エドガー様ぁ……もう、怖いですぅ……」
いやお前が出てくるんかい。
しかも泣くタイミング早くない?
私まだ何も言ってないんだけど?
「レティシア様、酷いんです……。私とエドガー様が愛し合ってるのを知ってるのに……」
「初耳ですが」
「エドガー様を束縛してぇ……」
「いや婚約者なので当然では?」
周囲がザワつく。
ミレーユはハッとしたように口元を押さえた。
「まぁ……! でも、エドガー様は『レティシアは冷たくて可愛げがない』って……」
「言ったな!? エドガー!!」
思わず名指しで叫んだ。
貴族令嬢として終わってる気がする。
でも仕方ないでしょ!?
婚約者が不倫して開き直ってるんだけど!?
「だ、だいたい……っ、私は王太子妃教育で睡眠時間削ってたんですけど!? 誰のためだと思ってるんですか!?」
「王家のためだろう」
「お前のためでもあるわ!!」
エドガーは鼻で笑った。
「女は愛嬌だ。お前のような堅物では癒やされん」
うわぁ……。
最低だこの男。
知ってたけど。
「ミレーユは優しい。可愛い。俺を立ててくれる」
「そりゃ不倫相手だからでしょうよ」
「レティシア様! 言い方が酷ぉい!」
「じゃあ不倫じゃないんですか?」
「…………」
「黙るな」
会場の空気が凍る。
あ、でもこれ私が悪者になる流れだ。
知ってる。
社交界ってそういうところ。
「とにかく! 婚約破棄は決定だ!」
「はぁ……」
もう疲れた。
三年。
三年間この男のために努力した結果がこれか。
笑えてくる。
「分かりました。婚約破棄を受け入れます」
その瞬間、エドガーが露骨に安堵した。
なんだその顔。
お前、私が泣き縋ると思ってたの?
「ただし」
私はゆっくり顔を上げる。
「これまで王家のために行った外交補助、財務整理、人脈構築。それらに関する権限は全て放棄します」
「……何?」
「あと、殿下の隠し負債についても、私は今後一切関与いたしません」
エドガーの顔色が変わった。
あ。
今、理解したね?
誰が今まで尻拭いしてたか。
「レティシア、お前……!」
「失礼します」
私は一礼し、その場を後にした。
背後で誰かが呼ぶ声がしたけれど、振り返らない。
もう、どうでもよかった。
――その時までは。
「待て」
城の外へ出た瞬間、低い声が響いた。
振り向けば、一人の男が立っている。
銀灰色の髪。
鋭い眼差し。
黒い軍服。
辺境伯アルヴィス・クローディア。
“氷狼”と恐れられる王国最強の騎士だ。
「……何か御用でしょうか」
「行く場所はあるのか」
「ありませんね」
実家は王家に逆らえない。
多分、私はこのまま社交界から消える。
それが現実。
アルヴィスは少し黙ってから言った。
「なら、うちへ来い」
「はい?」
「辺境は人手不足だ」
「いやその勧誘あります?」
「ある」
真顔だった。
この人、冗談言わないタイプか。
「……社交界で醜聞持ちになった女ですよ、私は」
「だから何だ」
「…………」
「俺は、努力する人間を嫌わない」
その一言で。
危うく泣きそうになった。
あぁもう。
ズルい。
そういう真っ直ぐな言葉、今の私に効くに決まってる。
「……給料は?」
「出す」
「休日は?」
「確保する」
「美味しいものあります?」
「肉は美味い」
「行きます」
即答だった。
◇◇◇
辺境での生活は、想像よりずっと楽しかった。
「レティシア様!! 書類の山が死んでます!!」
「生き返らせなさい!!」
「鬼!!」
領地経営。
物流整理。
軍の予算管理。
私の仕事は山ほどあった。
でも、不思議と苦じゃない。
「助かる」
アルヴィスはいつも短くそう言った。
それだけ。
本当にそれだけなんだけど。
この人、ちゃんと見てくれてるんだって分かる。
エドガーとは違う。
比較するのも失礼なくらい。
「……どうした」
「いえ」
気付けば、私はアルヴィスを見る時間が増えていた。
無愛想。
口下手。
でも優しい。
領民から慕われていて、部下から信頼されている。
そして何より。
私を、ちゃんと尊重してくれる。
「レティシア」
「はい?」
「寒いだろ」
ふわり、と。
肩にマントが掛けられる。
近い。
距離が近い。
待って無理。
顔がいい。
「…………」
「顔が赤い」
「寒いので!!」
「そうか」
絶対分かってない。
この天然辺境伯。
◇◇◇
一方その頃。
王都では。
「なぜだ!? なぜ税収が合わん!?」
エドガーが発狂していた。
当然である。
だって今まで全部、私が調整してたから。
「エドガー様ぁ……難しい話分かんなぁい……」
「黙れ!!」
ミレーユは政治能力ゼロだった。
というか、あると思ってたの?
可愛いだけで国回るわけないでしょ。
結果。
王都の経済は崩壊寸前。
外交も失敗。
貴族達は激怒。
そしてついに。
「レティシアを戻せ!!」
という話になったらしい。
知らんがな。
◇◇◇
「復縁してほしい」
「嫌です」
秒で断った。
辺境伯邸の応接室。
土下座するエドガー。
ドン引きする私。
無言で圧を放つアルヴィス。
地獄かな?
「頼む! お前が必要なんだ!」
「ミレーユ様は?」
「あんな女どうでもいい!!」
最低過ぎる。
うわぁ。
自分で選んだくせに。
「私は“冷たくて可愛げがない”んですよね?」
「そ、それは……」
「愛嬌がなくて癒やされないんでしょう?」
「…………」
「都合のいい時だけ必要扱いしないでください」
エドガーは青ざめた。
でも遅い。
本当に、遅い。
私が一番辛かった時。
手を差し伸べてくれたのは、あなたじゃなかった。
「レティシア」
隣から低い声。
アルヴィスだった。
「こいつは帰していいか」
「はい」
「待っ――」
ガシッ。
騎士達がエドガーを回収していく。
哀れなくらい情けない声が遠ざかっていった。
静寂。
そして。
「……俺では駄目か」
「え?」
アルヴィスが真っ直ぐ私を見る。
「お前を必要としている」
心臓が止まるかと思った。
「仕事仲間として、ではない」
「…………」
「愛している」
無理。
破壊力が高すぎる。
この人、普段喋らないくせに、たまに全部持っていく。
「……ずるいです」
「何がだ」
「そんな真っ直ぐ言われたら……好きになるに決まってるじゃないですか……」
アルヴィスが、僅かに目を見開く。
そのあと。
信じられないくらい優しく笑った。
あぁ。
多分私は。
この人に出会うために、婚約破棄されたのかもしれない。
◇◇◇
後に。
辺境伯夫妻は“王国最高の夫婦”と呼ばれるようになる。
冷酷と恐れられた辺境伯は妻にだけ甘く。
完璧令嬢と呼ばれた妻は、夫の前ではよく笑った。
ちなみに。
エドガーとミレーユは社交界から完全に見放されたらしい。
まあ、自業自得である。
そして今日も。
「アルヴィス様」
「どうした」
「好きです」
「……俺もだ」
辺境伯邸は平和だった。




