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婚約破棄されたので辺境伯に拾われましたが、元婚約者が今さら跪いてももう遅いです

作者: 結城斎太郎
掲載日:2026/05/09

「――よって、レティシア・フォン・エルグラン。お前との婚約を破棄する」


 シャンデリアの光がやけに眩しかった。


 磨き抜かれた大理石の床。楽団の演奏。豪奢なドレス。笑顔を貼り付けた貴族達。


 その全部が、一瞬で遠くなる。


「……理由を、お聞きしても?」


 声が震えなかっただけ、自分を褒めたい。


 けれど、目の前の男――第二王子エドガーは、露骨に顔をしかめた。


「白々しいな。お前は知っているだろう」


「何をでしょう」


「俺にはもう、愛する女性がいる」


 その瞬間。


 エドガーの腕に絡みつくように、一人の女が現れた。


 ふわふわした桃色の髪。潤んだ瞳。胸元を強調したドレス。


 ミレーユ・バスティアン。


 最近やたらと王宮に出入りしていた伯爵令嬢だ。


「エドガー様ぁ……もう、怖いですぅ……」


 いやお前が出てくるんかい。


 しかも泣くタイミング早くない?


 私まだ何も言ってないんだけど?


「レティシア様、酷いんです……。私とエドガー様が愛し合ってるのを知ってるのに……」


「初耳ですが」


「エドガー様を束縛してぇ……」


「いや婚約者なので当然では?」


 周囲がザワつく。


 ミレーユはハッとしたように口元を押さえた。


「まぁ……! でも、エドガー様は『レティシアは冷たくて可愛げがない』って……」


「言ったな!? エドガー!!」


 思わず名指しで叫んだ。


 貴族令嬢として終わってる気がする。


 でも仕方ないでしょ!?


 婚約者が不倫して開き直ってるんだけど!?


「だ、だいたい……っ、私は王太子妃教育で睡眠時間削ってたんですけど!? 誰のためだと思ってるんですか!?」


「王家のためだろう」


「お前のためでもあるわ!!」


 エドガーは鼻で笑った。


「女は愛嬌だ。お前のような堅物では癒やされん」


 うわぁ……。


 最低だこの男。


 知ってたけど。


「ミレーユは優しい。可愛い。俺を立ててくれる」


「そりゃ不倫相手だからでしょうよ」


「レティシア様! 言い方が酷ぉい!」


「じゃあ不倫じゃないんですか?」


「…………」


「黙るな」


 会場の空気が凍る。


 あ、でもこれ私が悪者になる流れだ。


 知ってる。


 社交界ってそういうところ。


「とにかく! 婚約破棄は決定だ!」


「はぁ……」


 もう疲れた。


 三年。


 三年間この男のために努力した結果がこれか。


 笑えてくる。


「分かりました。婚約破棄を受け入れます」


 その瞬間、エドガーが露骨に安堵した。


 なんだその顔。


 お前、私が泣き縋ると思ってたの?


「ただし」


 私はゆっくり顔を上げる。


「これまで王家のために行った外交補助、財務整理、人脈構築。それらに関する権限は全て放棄します」


「……何?」


「あと、殿下の隠し負債についても、私は今後一切関与いたしません」


 エドガーの顔色が変わった。


 あ。


 今、理解したね?


 誰が今まで尻拭いしてたか。


「レティシア、お前……!」


「失礼します」


 私は一礼し、その場を後にした。


 背後で誰かが呼ぶ声がしたけれど、振り返らない。


 もう、どうでもよかった。


 ――その時までは。


「待て」


 城の外へ出た瞬間、低い声が響いた。


 振り向けば、一人の男が立っている。


 銀灰色の髪。


 鋭い眼差し。


 黒い軍服。


 辺境伯アルヴィス・クローディア。


 “氷狼”と恐れられる王国最強の騎士だ。


「……何か御用でしょうか」


「行く場所はあるのか」


「ありませんね」


 実家は王家に逆らえない。


 多分、私はこのまま社交界から消える。


 それが現実。


 アルヴィスは少し黙ってから言った。


「なら、うちへ来い」


「はい?」


「辺境は人手不足だ」


「いやその勧誘あります?」


「ある」


 真顔だった。


 この人、冗談言わないタイプか。


「……社交界で醜聞持ちになった女ですよ、私は」


「だから何だ」


「…………」


「俺は、努力する人間を嫌わない」


 その一言で。


 危うく泣きそうになった。


 あぁもう。


 ズルい。


 そういう真っ直ぐな言葉、今の私に効くに決まってる。


「……給料は?」


「出す」


「休日は?」


「確保する」


「美味しいものあります?」


「肉は美味い」


「行きます」


 即答だった。


◇◇◇


 辺境での生活は、想像よりずっと楽しかった。


「レティシア様!! 書類の山が死んでます!!」


「生き返らせなさい!!」


「鬼!!」


 領地経営。


 物流整理。


 軍の予算管理。


 私の仕事は山ほどあった。


 でも、不思議と苦じゃない。


「助かる」


 アルヴィスはいつも短くそう言った。


 それだけ。


 本当にそれだけなんだけど。


 この人、ちゃんと見てくれてるんだって分かる。


 エドガーとは違う。


 比較するのも失礼なくらい。


「……どうした」


「いえ」


 気付けば、私はアルヴィスを見る時間が増えていた。


 無愛想。


 口下手。


 でも優しい。


 領民から慕われていて、部下から信頼されている。


 そして何より。


 私を、ちゃんと尊重してくれる。


「レティシア」


「はい?」


「寒いだろ」


 ふわり、と。


 肩にマントが掛けられる。


 近い。


 距離が近い。


 待って無理。


 顔がいい。


「…………」


「顔が赤い」


「寒いので!!」


「そうか」


 絶対分かってない。


 この天然辺境伯。


◇◇◇


 一方その頃。


 王都では。


「なぜだ!? なぜ税収が合わん!?」


 エドガーが発狂していた。


 当然である。


 だって今まで全部、私が調整してたから。


「エドガー様ぁ……難しい話分かんなぁい……」


「黙れ!!」


 ミレーユは政治能力ゼロだった。


 というか、あると思ってたの?


 可愛いだけで国回るわけないでしょ。


 結果。


 王都の経済は崩壊寸前。


 外交も失敗。


 貴族達は激怒。


 そしてついに。


「レティシアを戻せ!!」


 という話になったらしい。


 知らんがな。


◇◇◇


「復縁してほしい」


「嫌です」


 秒で断った。


 辺境伯邸の応接室。


 土下座するエドガー。


 ドン引きする私。


 無言で圧を放つアルヴィス。


 地獄かな?


「頼む! お前が必要なんだ!」


「ミレーユ様は?」


「あんな女どうでもいい!!」


 最低過ぎる。


 うわぁ。


 自分で選んだくせに。


「私は“冷たくて可愛げがない”んですよね?」


「そ、それは……」


「愛嬌がなくて癒やされないんでしょう?」


「…………」


「都合のいい時だけ必要扱いしないでください」


 エドガーは青ざめた。


 でも遅い。


 本当に、遅い。


 私が一番辛かった時。


 手を差し伸べてくれたのは、あなたじゃなかった。


「レティシア」


 隣から低い声。


 アルヴィスだった。


「こいつは帰していいか」


「はい」


「待っ――」


 ガシッ。


 騎士達がエドガーを回収していく。


 哀れなくらい情けない声が遠ざかっていった。


 静寂。


 そして。


「……俺では駄目か」


「え?」


 アルヴィスが真っ直ぐ私を見る。


「お前を必要としている」


 心臓が止まるかと思った。


「仕事仲間として、ではない」


「…………」


「愛している」


 無理。


 破壊力が高すぎる。


 この人、普段喋らないくせに、たまに全部持っていく。


「……ずるいです」


「何がだ」


「そんな真っ直ぐ言われたら……好きになるに決まってるじゃないですか……」


 アルヴィスが、僅かに目を見開く。


 そのあと。


 信じられないくらい優しく笑った。


 あぁ。


 多分私は。


 この人に出会うために、婚約破棄されたのかもしれない。


◇◇◇


 後に。


 辺境伯夫妻は“王国最高の夫婦”と呼ばれるようになる。


 冷酷と恐れられた辺境伯は妻にだけ甘く。


 完璧令嬢と呼ばれた妻は、夫の前ではよく笑った。


 ちなみに。


 エドガーとミレーユは社交界から完全に見放されたらしい。


 まあ、自業自得である。


 そして今日も。


「アルヴィス様」


「どうした」


「好きです」


「……俺もだ」


 辺境伯邸は平和だった。


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