第七話 背水の陣
主が危険な王にかわってからというものの
私は忙しい日々を過ごしていた。
この王は人の才能を使い倒す事に余念がなかった。
遊んでいる暇などほとんどなかった。
忙しさと酒に溺れる日々の中で私は咳き込む事が増えていた。
常に行われる軍議や情報収集。
そして時には王自ら意見を述べ、自由闊達な議論が行われた。
しかし私は口を閉ざしていた。
そもそもこの家臣達は優秀だ。
それは敵対していたときからわかっていた。
ならば私には言うことはない。
言わなくても命は天秤に乗る。
しかし自分が乗せた感覚がないだけでも
私の心は少しだけ穏やかな気持ちになれた。
だがこの王は並の王ではなかった。
ある日のこと。
敵国である織国から参謀の一人が
亡命と称して王との謁見を願い出た。
その席には武官、文官共に立ち会うこととなった。
「お目にかかれて光栄です、聡明な王よ」
尊大な態度だった。
その振る舞いもどことなく我々を見下している。
つぶさな動作一つも見逃すまいと私の目は
彼の挙動を自然と追いかけていた。
「して、亡命してくるというのは良いが
お主が敵国から放たれた毒ではないという証明はできるか?」
危険な王は疑う。
当然だ、有利な国から不利な国への
亡命など通常はありえない。
しかし彼からもたらされた情報は驚きのものであった。
彼は地図を床に敷いた。
それは我々の戦況を示した図解である。
「現在、我が国と貴方の国とは戦争中でありますが
その兵站の急所となる、兵糧の保管庫がこの地点にございます。
どうでしょう、ここを急襲すれば
一気に前線が塗り替わりますぞ?」
相手の兵糧保管庫の情報。
兵站とは戦争において最重要項目であり
それを叩くということは城一つを落とすより重い。
家臣の一人が当然の疑問を投げかけた。
「恐れながら申し上げます。
王よ、これは罠です。私たちを誘い込み
包囲殲滅しようという企みに違いありません」
「そうだな、当然の疑念だ……」
そういうと王はこともあろうに私に目を向けた。
「軍師よ、お主はこれをどう思う?」
私は少し咳をしたあとに、
再びこの亡命者を見た。
相変わらず不遜な態度。
これは恐らく自身を過信していることからくる態度に見えた。
何故なら彼には死ぬかもしれないという恐怖心が足らない。
もし敵国のスパイとしてくるのであれば
もっと真摯で、下手に出た態度を取るように感じる。
確証はないが私はこの男の言うことは正しいと判断した。
「確証はありませんが、この男の発言は信用してよいかと」
「わかった。ならば今すぐ動員できる騎兵七百を持って
この保管庫を叩く」
あまりにも早すぎる決断。
普通の人間なら二の足を踏む。
裏取りに時間をかける。
だがこの王は違った。
自ら陣頭指揮を取り、結果として敵国の兵糧を焼き払った。
相手方の前線は川沿いに面していたが
大きく後退することとなった。
同じだ。
この王は自分の命も天秤にかけることを恐れていない。
客観的に測っている。
私はこの日、その亡命者を処刑するように進言した。
自身を有能だと奢り、平気で自軍の情報を売り渡す性格。
生かしておくには危険だと考えた。
王は迷わずその男を切り捨てた。
誰も異論を唱えるものはいなかった。
戦局が大きく動いた。
お互いに川を挟んでの睨み合いが続いていたが
その拮抗が崩れたのだ。
しかし兵力では相手方が約三十万
こちらは十一万程度しかいなかった。
しかも相手方の兵の練度は極めて高く
正面からぶつかれば負けるのは必死だった。
だがこの危険な王がこのチャンスを逃すはずもなかった。
軍議が開かれる。
様々な案が提出されるもどれも決め手に欠けた。
王は私に質問を投げかけた。
「軍師よ、この戦いに勝つための案を出せ」
私は嫌な気持ちになるのを噛み締めて答えた。
「王よ、死ぬ覚悟はありますか?」
「無い、私が死なずに勝つ方法を考えよ」
「ならば長期戦になります」
王の目が光った。
「機を逃すか。良い、お主の考えを述べよ」
「はい、王自らが兵一万を率いて現在撤退している
敵国の兵を討伐してください」
場は騒然とした。
一人の参謀が声を上げた。
「相手の国も馬鹿ではない。そんな事をすれば逆に追撃され
最悪、王の命が無いぞ」
もう一人の参謀も口を挟む。
「最悪のケースとして伏兵により、
逆に追い詰められる可能性があります。
その場合、河川が邪魔となり、退路が塞がれます」
そう、それが狙い。
私が最も得意とする陣。
「背水の陣か」
「はい、背水の陣は士気を極大化しますが
此度の戦は熾烈を極めます。
王自ら前線で指揮をする必要がございます」
背水の陣。
それは最も効率的に敵を殺すのに優れた戦法。
しかし多くの者はこれを好んで選択しない。
理由は失敗した場合、文字通り全滅すること。
そして成功しても味方の死亡率が高いこと。
兵は畑では取れない。人的リソースは
安易に消費してはならないのだ。
王は言った。
「背水の陣、それは良い。
だがそれだけで勝てるのか?」
「勝てます。今が好機です」
そういい、私は王に耳打ちをした。
その言葉に王はとても満足した表情を浮かべる。
私は少し不安になり念押しした。
「この話は内密に」
「わかっておる」
この王の行動力は凄まじい。
三日ほどの準備期間を経て軽騎兵一万を動員。
すぐに敵軍の背後を突きに出た。
そして我が国の参謀たちが危惧した通り
敵の伏兵が大挙して出現。
一気に王の軍勢は押し返され千の兵が死んだ。
そして水を浴び削られる岩のように
王の軍は川岸まで追い詰められた。
更に二千の兵が死んだ。
残るは七千。
通常の軍であれば崩壊している
だがこれは文字通り背水の陣。
心が折れれば死ぬ。
全兵士がそれを理解してるが故に耐える。
更に王は戦いながら兵を鼓舞した。
「お前達はあの精鋭十万にも耐える勇敢な兵士だ!
我々はいつも不利だった!
常に兵数は相手の方が上だった!
だが、勝利してきた!
今日も必ず我々は勝つ!
私を信じろ! そしてあの軍師を信じよ!」
ずいぶん大きくでたものだ。
私は咳を堪え、息を潜めながらその演説を聞いていた。
勝率は五割強だ。
だがこの戦に勝った場合、雌雄は決する。
賭ける価値はある。
長期戦になった場合、勝率は長引くほど低くなる。
やるしか無い。
この王はその判断を、一瞬の迷いもなくやってのける。
戦の勢いに任せて相手方は十万の兵を潰そうと
猛攻を続けるべく前進した。
当然だ、こちらは少数の上、王がいる。
討ち取られればこちらの負けは確定する。
更に二千の兵が倒れた。
残るは約五千。
そろそろ限界か。
敵は十分に引き付けた。
舞台は整った。
私は号令を下した。
「踏み潰し、蹂躙せよ!」
私の側と反対側の参謀による伏兵の同時挟撃。
私は狼煙を上げると同時に軍を動かした。
二万五千と十万。
まだ相手は有利とは言え二万という大規模な伏兵に
相手は大きく混乱した。
敵方の取った手は、後退。
実に相手国の正道に則った、お手本のような行動。
模範的であり、正解であり、『予測通り』であった。
待っていたと言わんばかりに私は狼煙をもう一つ上げる。
更に伏兵一万と一万が挟撃を開始した。
これで四万五千と十万。
いや厳密には八万か。
既に私が指揮する軍だけで相手を一万ほど殺していた。
反対側の軍も同様に一万の兵を殺している。
相手の軍の士気は完全にガタ落ちだ。
なまじ勝っていたものが引っくりがえった時ほど
人間は深く絶望する。
私は更に三本目の狼煙をあげた。
呼応するように敵軍の『背後』から狼煙が上がった。
背水の陣、その全ての狙いはこの軍が目的。
残り三万の兵が相手軍の逃走経路を封鎖した。
もはや相手の軍はただの人の塊と化し、
一方的な蹂躙が行われた。
この戦いで敵軍は九万以上の損害を出した。
更に追撃をかけたが、残念ながら敵国の王は仕留めそこねた。
最終的に王の軍勢は三千まで減っていた。
王は幸い大きな怪我もなく、無事であった。
味方の損失約一万、敵方の損失九万。
一日で十万人殺した。
それは私の練った策略の中でも最も大きな数字であった。
その日の夜、私は王に謁見した。
深手こそ負っていなかったが切り傷などの負傷の痕跡がある。
しかし全くそれを気にしない態度で王は言った。
「此度の勝利はお主の成果だ」
実に不名誉な事実だった。
ただ人を殺すことで褒められる仕事。
私は心底自分のことが嫌になった。
すると王は私の前に来て肩に手をかけた。
「まだ気にしているのか。
お前は間違っていない。
実際お前のおかげで『うちの兵の死者は』
最低限に抑えられた」
違う。
違うんだ。
私は心のなかで叫んだ。
「推定十万人の命が失われました」
「敵国の兵にも情をかけるか」
「うまく言葉にはできません、しかし私には重い」
王は盃を取り、酒を注ぐと、それを一口運んだ。
「最も人を殺せる男が、最も人死を嫌うか。
因果なものだな。だがしかし」
王は再び一気に酒を飲み干すと言った。
「お主が選択しなかればうちの兵が、
民が全員死ぬ未来もあっただろう。
それを防いだ。お主は誇っていい。
ちゃんと命を守っている」
それだけ言うと王は立ち去っていった。
王はわかっていたのだ。
何を言っても私には慰めにもならないということを。
私の咳が虚しく響いた。




