第一話 不敗の軍師
今日は一万人殺した。
うち、味方の死亡数は約一千三百名。
私が選んだ選りすぐりの精鋭。
結果、想定の二分の一の被害で済んだ。
明日の戦はもっと苛烈なものになるだろう。
私の想定では約五千人の味方が犠牲になる。
それは国の全兵力の二割が失われる事を示していた。
しかしそれが最後となる。
この戦いは相手の壊滅で終わる。
決戦前夜。
私は夜風に当たりながら酒を飲んでいた。
もうあの親友は隣りにいない。
代わりに如何にも叩き上げと言った風貌の厳つい男が
私の前に立っていた。
彼が会釈をしたため、私も頭を下げる。
彼の露出した肌、顔にある傷跡は
私に悲鳴を上げて叫んでいるかのようであった。
言いたいことは解っている。
私はそれでも彼の言葉を待った。
「軍師殿、明日は勝てますかな」
彼の遠回しの言葉。
「戦に絶対はございません。ですが……」
私は一口酒を口に運ぶと続ける。
「想定通りに事が進む可能性は極めて高いです。
さすれば勝利は確実でしょう」
互いに腹のさぐりあいのような会話。
私の策が想定通りということは
彼にとって好ましくない事態である。
だが彼は王からの信頼が厚い男だ。
直接的にそれを口にすることはできない。
一言だけ私は言った。
「必要な犠牲です。残りの者が生き残るために」
その言葉を聞くと、彼は再び会釈をして下がっていった。
私は詫びることすらできなかった。
翌日、結果は一目瞭然だった。
我が軍は必要最低限の血を流し、敵を撃滅したが……
その必要最低限の中に、昨晩会話を交わした将軍が含まれていた。
その事は王を激怒させたと噂が流れた。
これは戦だ。死人は出る。
しかし彼は王の中で最も古く、
そして忠実な家臣であり、
兵からも慕われていた男だった。
宮中では祝勝の晩餐会が行われていた。
しかし私と王はその場に居ない。
謁見の間に私は居た。
「面を上げよ」
何を言われるかは解っている。
軍師として、どう答えるかという問題。
「此度の戦果、誠に見事であった。
流石は『神の手』と呼ばれるに相応しい働きだ」
私の『不名誉』な通り名。
私はその名前が嫌いだった。
本当に神がいるなら人は殺さないだろうと
私は常々考えていた。
「ありがたき御言葉にございます」
立場は人を縛る。
お互いに腹の底から本音を投げられない。
「我が国は安泰だ。これもお主の軍略があってのものだ」
王はため息をつく。
そして急に王は私を刺しに来た。
「……李豊は私が戦場に出たときからの付き合いだった。
だが彼のおかげで勝てた。
一族を手厚く遇することで返礼としたいが
彼には親族がいなくてな……」
そう言うと王は盃に
自ら用意してあった酒を注いだ。
自らの分を一杯、私の分を一杯。
王は座ったまま言った。
「受け取れ、そして飲め。弔いの酒だ」
私は言われるがままに盃を受け取った。
嫌でも頭によぎる……毒殺。
だが逆らうことはできない。
私は覚悟を決めてそれを口にした。
すると王もそれをみて酒を口にした。
毒ではなかった。
だがとても酸く、荒々しい酒だった濁り酒だった。
正直まともに飲める代物ではなかったが
王はそれを黙って飲み干していた。
仕方なく私もそれを飲み干した。
「これは私たちへのささやかな罰だ」
王は寂しそうな表情を浮かべた。
言葉は続く。
「今年は民が言うに、豊作だったらしい。
その今年の新穀で仕込んだ濁り酒がこれだ」
なるほど。つまり王はこう言いたいのだ。
私たちがこの酒を作った原因だと。
「私とお主が組まねばこの国は滅亡していたであろう。
酒を飲むどころではない。
だが犠牲を強いてきたことも事実だ」
私は黙って頷いた。
王の顔が一瞬だけ険しくなった。
「李豊が死ぬのもお主の計算のうちだったのか?」
王の言いたかった核心が私を貫いた。
私は感情を殺して『事実』を告げた。
「十割ではございません、将軍の生還率は五割でした。
しかし将軍が出撃されなかった場合の我が方の勝率は
一割を大きく下回っていました」
王の眉間にシワが寄ったが、すぐにそれは弛緩した。
私たちはわかっている。
屍の上に立っているということを。
王は疲れた表情を浮かべ、
唐突なことをいい出した。
「私は退位して、息子に王の座を譲ろうかと思う。
お主はどうしたい?」
この国の行く末はまだ安泰とは言い難い。
しかし数年は安定しているだろう事も事実であった。
私は少し口に手を当てて目を閉じる。
そして決断した。
「王よ、私は良ければ暇をいただきたく思います」
その言葉に王の顔色は青ざめた。
「何故だ、息子の補佐はお主にしか頼めないと考えていた」
わかっていた。
だが、私は答えた。
「王の第一王子は優しいお方です。
戦争のない世では善政を行うでしょう。
しかし再び戦争になった時
王と同じように民を犠牲にはできないでしょう。
そうなった場合、私の軍略は不要だと思われます」
その言葉に王の手は震えていた。
私は予測はできるが預言者ではない。
彼の心中を察するが、今何を思っているのだろうか。
「つまり、私が退く事自体にお主は反対か?」
正直軍略面だけを見るのであれば反対だった。
しかし私は疲れた王の気持ちが理解できた。
「いえ、王の進退に私がとやかく言う立場にはございません。
それに王子が優れていないという訳でもございません。
王子が代をついでもこの国は生き残るでしょう」
半分はお世辞だった。
おそらく王子が継いだ場合、相手のほうが地力が勝る場合
正道でしか戦えない彼は負ける。
だがこの王は聡明であられる。
私に残れと言ったのはそこまでわかってるのだ。
戦乱の世だ。
人が死ぬのは当たり前。
そして参謀はその命を天秤にかけ
常に必要分の生贄を捧げる必要がある。
負ければ当然その責任を負わされる。
勝ったとしても生命を犠牲にした重責が襲いかかる。
割に合わない仕事だ。
だが私は必要最低限を提示する能力が高かった。
それだけの話。
善悪の話をするつもりはない。
私も同様に疲れたのだ。
しかし私にそんな事を口にする資格などない。
一方でこれ以上はもう負いたくない。
それも本音であった。
「ふむ……」
王はまずい酒をまた盃に注ぎ、それを口にした。
「そうか、お主は……」
王はそこまで言って言葉を止めた。
「よい、私は王を退く。お主も好きにするが良い」
王は私を気遣い、言葉を選ばなかった。
言葉にすれば、命令でなくともその意向を
私は立場上拒否できない。
私は民や兵に犠牲を『強要』してきたのに。
私は逃げようというのだ。
私は卑怯者だと自分を心のなかで罵った。
「それでは失礼させていただきます」
「うむ、そなたも元気で。
そして行く場所に困ったらいつでもうちに戻って来るが良い」
それが王と交わした最後の言葉だった。
私が離れた数年後、この国は滅亡した。
私が『選ばなかった』という選択が、この結末を招いた。




