第九話 軍師
私が国を離れた後、他国の様子を見て回った。
それは祝勝ムードとは程遠い、暗い雰囲気が当たりを包みこんでいた。
群雄割拠の時代は終わろうとしていたのだ。
一つの国が勝者となるのであれば
残りの国に残されるのは服従か
徹底抗戦の後の死のみである。
大抵の国は、否応なく服従するムードが漂っている。
中には戦争が終わると喜んでいる人々の姿もあった。
私は『守った』のだろうか。
人々の命を。
一方でそう思い込もうとして
現実逃避してるだけなのではないかと思う。
私は負の感情に強く引き寄せられた。
お前は策を練る時、本当に人の命の重さを考えていたのか?
この謀が成し得たら素晴らしい。
この謀は美しい。
そんな意識でお前は人の命を天秤にかけていなかったのか?
それを私は否定できなかったからだ。
止まらない咳を無視して飲む酒は不味かった。
酒は純度が大事だ。
血など混ざった酒が美味いはずがない。
謀に命の重さは不純物なのか?
私には分からなかった。
ただ目の前で失われる命が私にとっては重かった。
心ではそう思っているのに私はあの傲慢な軍師を
切り捨てるのに躊躇しなかった。
王が死んでもいい、そんな無謀とも言える策を
淀み無く進言し、実行した。
本当にお前は命が大事だと思ってるのか?
わからない。
だが辛かった。
そんな私が行き着いたのは危険な王に反旗を翻し
徹底抗戦をする二つの国と王の国だった。
実に愚かな国だった。
互いに打算はあった。
思いもあった。
両国は手を取り、あの危険な王に挑むか
諦めて天下は統一されるべきだった。
それをしないにも関わらず、両国は争っていたのだ。
あの危険な王は今頃ほくそ笑んでいるだろう。
ある領地があった。
そこはあの危険な王にとって急所となる土地。
保守的な王が居た。
その王にとって、そこは祖父の代より受け継いできた
大事な土地であった。
もう一人。
王道を歩む王が居た。
長年放浪生活を送る、領地すら持てなかった男が
ようやく野心を開花させ、領地を手にした。
その王には優秀な参謀がついたらしい。
まるで掠め取るかのように
保守的な王が念願としていた土地の奪還を
横取りし、自らの領地としたのだ。
本来ならば返すのが道理。
しかし返してしまえば王道を歩む王の土地は無くなる。
すなわち彼の王道が潰えることを意味していた。
そこで彼は使者を送った。
概要はこうだ。
「あの危険な王を倒すだけの力を蓄えた際には
その土地を返す。だからしばらくは私たちの土地にしてほしい」
保守的な王はその使者の首を切った。
その死者は王道を歩む王の腹心だったらしい。
こうして破滅への戦の火蓋が切って落とされた。
私はその時、保守的な王の国に招かれていた。
両国の国力はそう大きな差はない。
だが王道の王の快進撃は凄まじかった。
王道は復讐という名の外道に落ちた。
それでも王道を歩む王は、
道を踏み外してでも復讐を選んだのだ。
保守的な王は当初、その強引な戦略を見くびっていたらしい。
しかし、王道の王は全兵力をもってして
全ての持てる力を復讐に注いだ。
常軌を逸したその兵の士気は背水の陣すら凌ぐほどであった。
更に敵兵は不退転の覚悟で川を下っていた。
王道の王の国と保守的な王の国は川でつながっており
上流が王道の国、下流が保守の国だった。
王道の国は兵糧などの物資を川に乗せることで
兵站を迅速に行い、尋常ならざる行軍の
勢いの助けとしていたのだ。
保守的な王と私は謁見することとなった。
「神の手と呼ばれるそなたに意見を聞きたかった」
「恐れ入ります」
形式的な挨拶。
私はそんな場でも咳を隠せないほど病に侵されていた。
「あの王の進軍は異常だ。
我が国の自慢であった天然の要害を三日で突破し
今も我が国の重要拠点を包囲している。
後一週間持つかもわからない。
そなたならどうする?」
極めて難しい状態だ。
まず大前提としてこの戦は
速やかに終わらせなければならない。
あの危険な王がこのチャンスを逃すわけもなく
大規模攻勢を仕掛ける準備を整えつつあるという情報があった。
背水の陣は使えない。攻め込まれるまで待つ余裕など無い。
おまけに相手の士気は尋常ではない。士気で勝つのは難しい。
矢文も当然ダメだ。相手は平静ではない。
逆効果の可能性もある。
「この戦はとても厳しいです」
私はむせながら言った。
「わかっておる、故にそなたに聞いておる」
「それでもなお戦うというのであれば
私は二つの策を進言いたします」
王は身を乗り出して私を食い入るような目で見る。
「まずは相手の足を止めねばなりません。
時間が必要です。かの王には貴方が処断した者の他に
もう一人、武勇に優れる腹心がいると聞いております」
「うむ、彼らは寝食をともにし、死をも共にすると
誓った仲だと聞いている」
……なぜ斬ったのですか、といいたいところを我慢した。
あの危険な王なら斬らなかった。
器の差。
しかし元来人間とは情に流されるものなのだ。
この王が普通なのであり、私とあの危険な王がイレギュラーなのだ。
「もう一人の男は豪傑らしく、酒が好きだが
酒癖が悪く、それにより失敗を度々繰り返していると聞きます」
「それも有名な話だな。
だが、流石に戦争中には酒を飲まないだろう」
「なので、相手国側に使者を派遣し、酒を大量に送りつけましょう」
保守的な王は首を傾げた。
「それを大人しく飲むとは思えぬが」
「飲んでもらわなくとも構いません。
少しでも進軍を遅らせたいのです。
また荷物に多少細工をいたします」
ふむ、と王は私の案を聞き、頷く。
「本命は火計でございます。
大量の酒樽の中のいくつかに目印をつけておき
その中に火薬と油を仕込んでおきます。
深夜にそれを用いて兵糧の中で炸裂させれば兵糧は焼き尽くされ
相手がどんなに指揮が高くとも、下がるしかなくなります」
「なるほど。しかしその大役、誰が務める?
相手の王は私を強く疑っているだろう。
大量の酒樽は邪魔なのは相手もわかっているだろう」
私は頭を深々と下げて言った。
「恐れながら申し上げます。
その大役、良ければ私目にお任せくださりませんか?」
王の目は泳いでいた。
首を斜めにふり、口元に手を運ぶ。
「何故お主が行く?
我が国のものが行くのが本来、筋であろう」
「私であれば、王の使者としての信憑性が高くなります。
一応、中立の立場でございますので……」
保守的な王は目を細める。
私は止まらぬ咳を抑えられなかった。
「私が言うのもなんだが……
そなたはもう十分に働いていると思う。
余生ぐらいは平穏に過ごしたらどうだ?」
「それは私の中の心が許せないのです」
そういうと王は立ち上がり、大きな声で言った。
「わかった、軍師殿よ、そなたにこの国の命運を預ける!」
「その命、確かに預からせていただきます」
血の味で口の中が満たされていく。
急がなければならない。
私は事前に相手国の王に文を出し、
お互いの戦いを単なる復讐ではなく
大義ある戦いである、正々堂々こちらも受けて立つ。
そのための祝杯であると書き、使者を送った。
この使者は死ぬ可能性が高かったが生きて戻った。
相手の王はつまりこういいたいのだ。
「私が正しいのだ」と。
私は急ぎ酒樽と火計の準備を進め、それを川下から登って運んだ。
幸いこちらの国は川の知識に通じた国であり
船の技術が全般的に高いこともあり、下流から上流に登るのも
苦とはしなかった。
私は陣中にて王道の王の顔を見た。
際立って整った顔に長身、そして特筆するべきは
その大きく、高い鼻。
鼻が大きい人物は知性を感じさせる。
そして何よりもこの王からは慈悲深さを感じた。
目が優しい。
だがその瞳の奥に宿るのは復讐と言う名の炎。
開口一番、その目が鋭さをました。
「死神は文字通り死を運んできたか。
我々を酒で欺こうとしても、
既にその魂胆は見え透いておるぞ」
怒りに燃えていると思ったが
思った以上にこの王は平常心を保っている。
冷静に怒っているのだ。
「しからば、何故使者を斬らなかったのですか?」
「言葉遊びをするつもりはない。
言わずともわかっておろう。
私から言うことは一つだけだ。
そなた達の好意は受け取る、だが直ちに立ち去れ。
酒樽はここにおいていく。邪魔だからな」
それだけ言うと私は衛兵達に囲まれた。
話はこれまでという意味だ。
私は少数の兵と共に陣の外に出た。
策の大半は読まれていた。
だが本命には気づかれていない。
この日の夜、相手の王の意向とは裏腹に
兵士たちは酒に溺れていた。
彼の腹心の一人が酒を飲んだことによって
その弛緩した空気は伝搬していったのだ。
私と少数の兵はひっそりと
我々の物資である酒樽の中から少量の火薬と油を入手した。
それを静かに歩み、そして彼らの兵糧の積んである船に
次々と火を放った。
その穀物達は恐ろしい勢いで燃え盛った。
兵糧の焼ける音で周囲の者たちが異常に気がつき始めた。
「よし、もういい、撤退しよう」
私は小声で手を振りながら撤退だと合図を送ったその時だった。
一本の矢が私の胸に突き刺さっていた。
「軍師殿!!!」
一人の兵が私の危機に足を止めた。
「どまるな!!!」
私は咳すらできなかったが全力で叫んだ。
するとその兵は私の命運が尽きた事を理解し
走り出した。
周囲は異常な熱気で包まれていた。
当然だ、数十万の兵を動員していた。
それを支えるだけの兵糧が燃えているのだ。
次第に私の周りに人が集まり始めてきた。
そこには王道の王が激しい怒りの表情で立っていた。
「人を欺き続けてきた男に相応しい最後だな。
言い残すことはあるか?」
「……ない」
私の念願はついに成就した。
この王に言うことはなかったが
全ての死んでいった者達に私は謝罪をしたかった。
「酒がうまいな……」
「あぁ」
何故生きている?
私は首を斬られたはずだった。
私は火計に成功したはず……。
いざという時のために取っておいた秘蔵の酒。
彼が気前よく飲み干していく中
私は口に運ぶのをためらっていた。
おかしい。
何かがおかしい。
だが思い出せない。
友は涙を流すことも、
怒りをぶつけることも、
喜び叫ぶこともなかった。
ただ、心底愉しそうに酒を飲んでいた。
また殺すのか?
しかし何を殺したのか。
私の記憶の中には『殺した記憶』しか残っていなかった。
ただ理解した。
何故私が人を殺すのが嫌いなのかを。




