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元宰相で義兄だった夫と、今日もふわふわのメロンパンを焼き上げます。〜この、やさしくて、ゆる〜い世界で。〜 常連さんは王様のようです。

作者: 文月ナオ
掲載日:2026/01/23

一週間、お仕事お疲れ様でした。

今週の疲れを癒やすために、ざまぁも復讐もな〜んにもない。

悪い人が一人も出てこない、ただただ甘くてゆる〜いお話を書きました。

週末の夜や朝、温かい飲み物と一緒にパンが食べたくなるような、幸せな時間になれば嬉しいです。

 

 まだ外は真っ暗。


 しんと静まり返ったキッチンに、生地をこねる音が響いている。


 ペチ、ペチ、というリズムの良い音。


 それと、オーブンから漂ってくる甘い香り。


「……んぅ……」


 私は眠い目をこすりながら、二階の寝室から階段を降りた。


 キッチンの明かりの下、一人の男の人が背中を丸めて作業台に向かっている。


 アインハルト・フォン・ベルンシュタイン。


 私の大好きな旦那様。


 そして、ほんの少し前までは、この国の政治もお金も全部動かしていた、すごい宰相様だった人。


 いつもはビシッとしてる銀色の髪も、今はゴムで適当に結んだだけ。


 襟足がぴょこんと跳ねてて、なんだか可愛い。


「おはよ、アイン……」


「……っ!?」


 声をかけると、アインはビクッと肩を震わせて振り返った。


 かけていた眼鏡がちょっとズレてるのがまた可愛い。


「ユ、ユリアか……。なんだ、起こしてしまったか?」


「アインが隣にいないと、寒くて起きちゃう」


 私はふらふらと彼に近づいて、その大きな背中にぎゅっと抱きついた。


 シャツとエプロン越しに伝わってくる体温が、すごく高い。


 小麦粉とバターが混ざった、焼きたてのパンみたいな匂いがする。


 この匂い、すごく落ち着く。


「まだ四時だぞ。あと一時間は寝ていられたのに」


「いいの。アインがパン作ってるとこ、見てたいもん」


 私が甘えるように背中に頬を擦り付けると、アインは困ったように、でも嬉しそうに笑った。


「……ずるいな、君は」


 彼は作業を止めて、粉のついた手をタオルで拭くと、くるっと振り返って私を抱きしめ返してくれた。


 大きな手。


 昔は難しい書類にサインして、たくさんの貴族たちを震え上がらせてた手。


 でも今の彼の手は、温かくて、優しくて、パン職人の手だ。


「今日はちょっと雨っぽいからな。水の量を調整するのに手間取ってしまったんだ」


「ふふ、また難しい顔して生地と睨めっこしてたんでしょ? 眉間に皺、寄ってたよ」


「睨んでないさ。……ご機嫌を伺ってただけだ」


 アインは少しむっとして、作業台の上のボウルを指差した。


「見てくれ。この生地のツヤ。……昨日よりも、ずっとぷにぷにしてる」


「どれどれ」


 私が指先で白くて丸い生地をつつくと、ぷにゅん、と押し返してくる。


 赤ちゃんのほっぺたみたいに吸い付くような感触。


「うん、気持ちいい。すっごく柔らかいね」


「だろう? ……まるで、ユリアの二の腕みたいだ」


「えぇ? なにそれ?」


 アインは真顔で変なことを言い出した。


 さらに悪いことに、彼の手が私の二の腕に伸びてくる。


 ぷに、と掴まれた。


「うん。この柔らかさ、すべすべ感、温かさ……完全に一緒だ。やはり俺の読みは正しかった」


「ちょ、くすぐったい!」


「俺はこの柔らかさを出したくて、バターを混ぜるタイミングを何回も変えたんだぞ。君の肌みたいなパンが焼けたら、それはもう世界一のパンってことだろ?」


「そんな理由でパン焼かないでよ! あと私の腕はパンじゃない!」


 私が顔を赤くして文句を言うと、彼は悪戯っぽく笑って、粉のついた指で私の鼻先をちょんと触った。


 冷たい粉の感触に、私は思わずくしゃみをする。


「くしゅんっ! ……あーあ、鼻に粉がついちゃったじゃない」


「取ってやるよ」


 アインの顔が近づいてくる。


 眼鏡の奥の瞳が、とろんとした熱い色で私を見てる。


 指で拭ってくれるのかと思ったら、違った。


 ちゅ。


 鼻先に、柔らかい唇が触れた。


 一瞬の触れ合い。でも、そこから伝わる好きって気持ちが凄まじい。


「……ん、取れた」


「……バカ。……もう」


 顔が一気に熱くなる。


 朝から心臓に悪いよ。


 この元宰相様は、仕事をやめてからというもの、タガが外れたみたいに私を甘やかしてくるんだから。


 王宮で「笑顔を見せない仕事人間」なんて言われてた彼を知る人が見たら、この変わりっぷりにはきっと腰を抜かすと思う。


「さて、遊んでる場合じゃないな。そろそろ発酵が終わる」


 アインは満足したように笑うと、また職人の顔に戻った。


 冷蔵庫から冷やしておいたクッキー生地を取り出して、麺棒で薄く伸ばしていく。


 それを丸めたパン生地に乗せて、ナイフで丁寧に網目を入れていく手つきは、すごく丁寧で優しい。


 その真剣な横顔がかっこよくて、私は思わず見とれてしまった。


 ここは田舎の村、ルルーニュ。


 私たちは今、小さなパン屋『ブーランジェリー・ベルンシュタイン』を営んでる。




 ◇◆◇




 私たちがこうしてパン屋を始めたきっかけ。


 それは、私の何気ない一言と、お義父さんの死だった。


 数ヶ月前、長く療養していたお義父さんが亡くなった。


 お義父さんは、血の繋がらない私を実の娘みたいに可愛がってくれた。


 アインも、跡取りとしてのプレッシャーに耐えながら、お義父さんの期待に応え続けてきた。


 私たちは義理の兄妹。


 この国では義理の兄妹の結婚も法律で認められてる。


 けれど、真面目なお義父さんに余計な心配をかけたくなくて、ずっと「仲の良い兄妹」を演じてきた。


 お互い好きだって気づいてたのに、私たちはその一線を越えようとはしなかった。


 でも、お義父さんが天国へ旅立った夜。


 お葬式が終わって、屋敷中が静まり返った深夜のこと。


 喪服姿のアインが、私の部屋に来て言った。


『……もう、十分だろう』


 彼の目は少し赤くなって、すごく疲れた顔をしてた。


 今まで背負ってきた重たい荷物を、ようやく下ろしたような顔だった。


『家のため、国のために生きてきた。父上との約束も果たした。……これからは、俺自身のために生きたい』


 彼は私の手を取って、震える声で言った。


『ユリア。……愛してる。俺と結婚してくれ。これからは、君を幸せにすることだけを人生の目的にしたい』


 嬉しかった。


 ずっと胸の奥に隠してた気持ちが、ようやく報われた気がした。


 そして彼は、ある時、私が熱を出した際にうわ言で呟いた「メロンパン」の話を持ち出した。


 前世の記憶にある、日本のあの懐かしい味。仕事で疲れきって、帰ってご飯を作る気力もなくて、何となくで食べてたメロンパン。


 今思うと、あれってすごいご馳走だったし、私を支えてくれてた。


『君が食べたいと言ったパン。……作ってあげたい。だが、片手間の仕事じゃ、そんな難しそうなパンは作れない』


『え、パン? ここで?』


『そうだ。俺たちはパン屋になるんだ』


 急すぎて笑っちゃったけれど、彼の目は本気だった。


 そこからのアインの暴走っぷりは、すごかった。


 国中の小麦を集めたり、一番いいバターを探して牧場に行ったり、部屋を粉まみれにして研究したり。


 最初に作ったやつは、ただの硬いパンの上にクッキーが乗っただけの「石」だった。


 次は、クッキーが溶けてドロドロになった「何か」。


 その次は、中が生焼けの「小麦粉爆弾」。


『なんでだ! なんでクッキー生地とパン生地が仲良くならないんだ! バターが多すぎるのか!? こね方が足りないのか!?』


 彼は目の下にクマを作りながら叫んでいた。


 その顔が国の予算で悩んでる時より、よっぽど必死だったから、少しおかしかった。


 そして試行錯誤を重ね、ついに完璧なメロンパンが完成した時の、あのアインの笑顔。


 まるで少年みたいな、無邪気で得意げな笑顔を、私は一生忘れないと思う。


 翌日、彼は陛下のところへ辞意を伝えに行った。


 私は怖くてついて行けなかったけど、あとからアインに聞いた話だと、こんな感じだったらしい。


「陛下。辞めます」


「ぶっ!? な、何を言うアインハルト! 父上が亡くなっておかしくなったか!?」


「いいえ、正気です。……私はパン屋になります」


「ぱ、パン屋だと……!? お主のような天才が、なぜパン屋なんじゃ!」


「天才だからです。天才にしか焼けないパンがあるのです」


 陛下、きっと口をポカンと開けてただろうな。


 アインは「完璧な引継ぎノート」と「地獄の引き継ぎ特訓を受けた後任三人」を置き土産に、強引に退職を認めさせた。


 今ではその後任たちはアインに負けないくらい大活躍してて、本人たちも誇りを持ってやってて、満更でもないらしい。


 こうして、私たちは誰にも邪魔されない自由を手に入れた。


 地位も名誉も捨てたけれど、代わりに手に入れたのは、毎朝の甘い香りと、二人きりの温かい時間。




 ◇◆◇




 現在、朝の六時半。


 オーブンから、甘くて香ばしい匂いが漂ってくる。


 チーン! という音が鳴って、アインが分厚いミトンをつけて天板を取り出した。


「……よし。焼けたぞ」


 黄金色に輝くメロンパンたち。


 網目もきれいで、表面の砂糖がキラキラと光ってる。完璧。


 ……と言いたいところなんだけど。


「あちゃー……」


 私は小さな悲鳴を上げた。


 端っこにある一つだけ、ちょっと形が崩れちゃってる。


 クッキー生地が割れて、中のパンが見えてしまってる。


「ごめんアイン。私が丸めるとき、力入れすぎちゃったかも」


「……ふむ」


 アインが崩れたパンを手に取って、じーっと観察する。


「売り物にはできないな」


「だよね……。もったいないことしちゃった」


「味に問題はない。……責任を持って、俺たちが処理しよう」


 そう言うと、アインはその熱々のパンを半分に割って、片方を私に差し出した。


「はい、あーん」


「えっ」


「手が塞がってるだろ? ほら」


 確かに私は両手が粉まみれだけど、洗えばいいだけの話。


 でも、アインは引かない。


 私の口元にパンを近づけて、楽しそうに待ってる。


 要は、それを口実に、私にあーんをしたいだけ、と。


「……もう」


 私は恥ずかしいのを我慢して、彼の指先からパンを齧った。


 サクッ。


 香ばしいクッキー生地が崩れて、中のふわふわな生地が口の中で溶ける。


 バターの濃厚な香りと、砂糖の甘さがジュワッと広がる。


 焼きたて特有の、幸せの味だ。


「……おいしい」


「だろうな。ユリアがこねた生地だもの」


 アインも残りの半分を自分の口に放り込んで、満足そうに頷いた。


「うん、失敗作とは思えない美味さだ。……それに、こうして君と半分こして食べると、どんな王宮のフルコースより美味しく感じる」


 彼は私の口元についていたパンくずを、親指でそっと拭った。


 そして、あろうことかその指を、自分の口に含んだ。


 舌先で、ぺろりと舐め取る。


「……ッ!」


「甘いな」


 ニヤリと笑う確信犯。


 色気がだだ漏れだよ。


 パン屋の店主というより、獲物を狙うオオカミの目つきだ。


「さあ、開店準備だ。いちゃつくのは夜の楽しみに取っておこう」


「いちゃついてたのはアインだけでしょ!」




 ◇◆◇




 カランコロン、とドアベルが鳴る。


「いらっしゃいませー!」


 開店時間になって、私が声を張り上げる。


 アインもビシッと背筋を伸ばして、エプロンの紐を締め直した。


 最初のお客さんは、近所に住む常連のマダムだ。


「あら、アインハルトさん。今日も精が出るわねぇ」


「ええ。いらっしゃいませ、マダム。今日のメロンパンは、いつもよりサクサク感が強いですよ。おすすめは、まず香りを楽しんでから……」


「はいはい、それもう50回は聞いたから。三つ頂戴」


「……かしこまりました」


 アインが少ししょんぼりしながらパンを詰める。


 その不器用さが、最近は村の人たちにも受け入れられてきたみたい。


 前は「怖そうな旦那さん」と敬遠されてたけど、今は「パンバカの旦那さん」として愛されてる。


 次に入ってきたのは、近所の男の子だ。


 小銭を握りしめて、背伸びしてショーケースを覗き込んでる。


「おじちゃん、これちょうだい!」


「おじちゃんではない。お兄さんだ!」


 アインが真顔で訂正する。大人げないなぁ。あの子から見ればおじさんでしょ。


 ……私はおばさんじゃないけど。


「それで、坊や。どれがいいんだ?」


「いちばんあまいやつ!」


「ならばこれだ。チョコチップメロンパン。チョコの苦味と生地の甘さが一緒になって、すっごく美味しいぞ」


「それにする!」


 男の子は嬉しそうにパンを受け取って、走って出て行った。


 アインはその後ろ姿を、目を細めて見送ってる。


「……子供の笑顔というのは、悪くないものだな」


「アインも、いい笑顔だったよ」


 その時だった。


 バーン! と勢いよくドアが開いた。


 カランコロン、というベルの音が悲鳴のように響く。


「ガハハ!! おーい!! アインハルト! 元気にしておるかー!」


 入ってきたのは、お腹の出た商人風のおじさん。


 フードを目深に被ってるけど、隠しきれない偉そうな雰囲気と、高そうな服の生地が「普通の人じゃない」と言ってる。


 ……そう、この方は国王陛下だ。


 そして背後には、同じく商人風の服を着た、目つきの鋭い大男が二人。


 腰には剣を隠し持ってるのが服の上からでも分かる。


 いつも陛下の護衛をしている騎士様たち。


「……うわ、また来たのですか」


 アインが露骨に面倒くさそうな顔をする。


 私とのデレデレモードを邪魔されてムカッとしたのかもしれない。


「こ、こらアイン、『うわ』とか言わない! 」


「ガハハ! 相変わらず礼儀がなっとらんのう! よいよい、今日は一介のパン好きじゃ。……お忍びで来るのも楽じゃないのう」


 陛下は笑いながらトレイを手に取った。


 護衛の二人は、アインに一礼してから、さりげなく入り口と窓際に立って見張りをしている。


 パン屋に似つかわしくない緊張感だ。


「おお……これが噂の新作か! チョコチップメロンパン! 黒いツブツブが乗っておる!」


 陛下の手が伸びる。


「お待ちを」


 アインがパンを取ろうとする陛下を静止する。


「全く……あなたは、何度言えばわかるんですか、まず店内に入ったら入口の魔道具で手の洗浄ですよ。()()殿」


「な、ナハハ! ついうっかり!」


「さ、清潔に」


「相変わらず厳しいやつじゃのう……」


「毎回言ってるでしょう。いい加減覚えてください」


「年には勝てんな! ガハハ!」


「覚える気がないだけでしょう……」


 陛下は渋々手を洗浄魔法で綺麗にして、嬉しそうにメロンパンをトレイに乗せた。


 陛下に対しても遠慮がないというか、距離が近いというか……。


 このやり取りは、二人の信頼関係の証なのかもしれない。


 宰相を辞めるだなんて、後任を立てたとしても通常なら許されることはない。


 それを、許してくださった懐の深い陛下。


 そしてそんなことを、物怖じせず陛下に直接言えるアインの胆力。


 私の想像より、きっとこの二人は強く繋がっているんだろう。


 でなきゃ、わざわざ陛下がお忍びでパン屋に通うわけがない。


 陛下は会計を済ませると(陛下からもお金はちゃんと貰う)イートインスペースの椅子に座り、早速パンを食べ始める。


「ふむ……! 美味い! このサクサクしたクッキーみたいなのが最高じゃ!」


 陛下はメロンパンを頬張りながら、目を細めた。


「城のシェフにも作らせてみたんじゃが、どうもこの食感が出せんのじゃ。……お主、何か魔法でも使っておるのか?」


「魔法など使っていませんよ。……強いて言うなら、愛……ですかね」


 アインが真顔で答える。


「あ……愛?」


「ええ。ユリアに『美味しい』と言ってもらいたい。その一心で生地をこね、温度を見て、焼き上げているんです。……妥協なき愛の結晶、それがこのメロンパンです」


 陛下はポカンとして、それから少ししてニヤニヤと笑い出した。


「カーッ! ごちそうさま! パンより甘いわ!」


 陛下は冷やかしたけれど、アインは全く動じない。


 むしろ、私の肩を抱いてドヤ顔をしてる。


()()殿には分からんでしょう。愛する人のために何かを作る喜びというものが」


「はいはい、分かった分かった。……しかし、お主がそんなに幸せそうな顔をするとはのう」


 陛下は少し真面目な顔になって、アインを見た。


 その眼差しは、部下を見る国王の目ではなく、親戚の子供を見るおじさんのような目だった。


「覚えておるか? お主が5歳の頃、父上に連れられて城に来た時じゃ。お前は庭で泥団子作りに熱中しておった」


「……しょ、商人殿、その話は」


 アインが嫌そうな顔をするが、陛下は止まらない。


「『まんまるじゃないと許せない』とか言って、手と顔を泥だらけにしながら、必死に泥団子を削っておったのう。あの時の集中力、今のパン作りにも活かされておるのだな」


「ぶっ」


 私が吹き出すと、アインは顔を真っ赤にして叫んだ。


「あ、あれは忘れたい過去なのです!」


「ほっほっほ! 堅物アインハルトにも、そんな可愛い時期があったんじゃよ、ユリア嬢」


「へぇ……可愛いですね、アイン。泥団子職人だったんだ」


「やめろ、ユリア! ニヤニヤしてこっちを見るな! ……今の俺はパン職人だ!」


 アインが本気で焦ってる。


 私の知らないアインをまたひとつ知れた。


 陛下も、すごく嬉しそうに話してくださる。


 きっと、アインの顔を見るのが嬉しいんだろうなぁ。


 自分の子供のように。


「うふふ。あんまりにも可愛くて、つい」


 いつも完璧な彼の、そんな隙のある姿が見られるのも、ここが平和なパン屋だからこそだ。


 そして、この国を平和に、豊かに治めて下さっている陛下のおかげだ。


 陛下はひとしきり笑った後、ふと優しい声で言った。


「……亡き父上も、安心しておるだろうよ」


 その言葉に、アインの手が止まった。


 お店の空気が、少しだけ静かになる。


「お主はずっと、父親の期待に応えようと、自分の感情を殺して生きてきたからのう。……それが悪いとは言わん。そういう生き方もある。だが……やっと、人間らしい顔になった。お前を辞めさせて、正解だったかもしれぬな」


「……ええ。父には感謝しています。そして、寛大な心で受け入れてくださった陛下にも」


 アインは少し微笑んで静かに言った。


 私の腰に手を回して、引き寄せる。


 その手のひらの温かさが、じんわりと伝わってくる。


「父と陛下のおかげで、様々な力や知識がついた。……おかげでこうして、自分の力で大切な人を守り、生きていくことができています」


 アインの手が、私の手をぎゅっと握った。


「今は、国の情勢より、明日の天気とパンの焼き加減……そして、ユリアの機嫌の方が重要なんです」


「カーッ! 当てられっぱなしじゃ!」


 陛下が大げさに顔をしかめた。


「胸焼けするわ! おい、塩気のあるパンをくれ!」


「クロワッサンならありますよ。バターの塩気が効いています」


「それをくれ! あと紅茶もじゃ! ……おい、お前たちも食え! 奢りじゃ!」


 陛下が護衛たちに声をかける。


 護衛たちは困惑しながらも、アインからパンを受け取って恐縮している。


「はいはい。少々お待ちを」


 アインは呆れながらも、手際よく紅茶を淹れ始めた。


 口では冷たいことを言っても、結局は面倒見がいいんだから。


 窓の外には、どこまでも広がる青い空。


 店内には、焼き立てのパンの香りと、紅茶の香り。


 そして、大好きな人たちの笑い声。


 かつて、国の全てを背負っていた彼は今、エプロン姿で私の隣にいる。


 その横顔は、私が知っているどんな時よりも輝いてた。


「ユリア、陛下が帰ったら、新作の試作をしようか」


 アインが耳元で囁く。


「うん! 今度は何を作る?」


「イチゴの果汁を練り込んだやつだ。……君の唇みたいな色の」


 そしてアインは私に軽く口付けをする。


「なっ……! もうっ! バカ! ほら! 早く陛下に紅茶をお出しして!」


 私たちは顔を見合わせて笑った。


 もちろん、私の顔は真っ赤だ。


 これは、元宰相と転生令嬢の、おいしいセカンドライフ。


 このゆる〜い国で過ごす、甘くて、香ばしくて、あたたかい毎日は、まだ焼き上がったばかりだ。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!


皆様の心が焼きたてのパンのように、ほんのりと温かくなっていたら幸せです。


このお話のふたりみたいに、皆様の週末もやさしくて、ゆる〜い、甘い時間になりますように。


それでは、よい週末を。


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