辺境ギルドの幼女受付嬢ですが、村の平和を乱す悪党は物理で「解決」させていただきます
私はアリス。この長閑な田園地帯にある村の、小さな冒険者ギルドの看板娘です。
年は8歳。けれど、大好きだったお母さまがお星様になってから、もう3年もここで受付嬢をしています。
だからでしょうか。村の大人たちよりも、私のほうがよっぽど「世の中の酸いも甘いも」知っている……なんて言ったら、お父さんにまた嫌いなニンジンを無理やり食べさせられちゃいますね。
走り梅雨に濡れた木々が、緑を深くする頃でした。
シトシトと降り続く雨のせいで、今日のギルドは閑古鳥が鳴いています。帳簿の整理も終わってしまい、私が受付カウンターで頬杖をついていると――。
バンッ!
湿った風と共に、ギルドの扉が慌ただしく開かれました。
飛び込んできたのは、村で唯一の宿屋〈紅葉亭〉を営むモミジおばちゃんです。いつもは穏やかな彼女が、今日は雨に濡れるのも構わず、血相を変えています。
「アリスちゃん、居る!? お父さんは!?」
「モミジおばちゃん、どうしたの? お父さんならご領主様の会議で留守だけど……」
「い、いいの、アリスちゃんでいいの! お願い、ちょっと来てちょうだい!」
カウンターから身を乗り出した私に、おばちゃんは震える声でまくし立てました。
「うちのお客様で……昨晩遅くにボロボロの姿でお戻りなった女性冒険者の方がいるのよ。泥だらけで、鎧もボコボコで……。心配で声をかけても、部屋の隅で膝を抱えて、ただシクシク泣いているだけで……」
「……泣いているだけ?」
「ええ。食事も喉を通らないみたいで。同じ女の子のアリスちゃんなら、もしかしたら話を聞いてあげられるんじゃないかと思って……」
おばちゃんの話を聞く私の脳裏に、以前ギルドで見た「ある指名手配書」の記述と、最近耳にする「悪い噂」が瞬時に結びつきます。
……ああ、まただわ。
私はあどけない子供の笑顔を仮面のように貼り付けると、カウンターの下から「商売道具」である飴玉をひとつ掴み、勢いよく立ち上がりました。
「わかった! 私でよければ、お話聞いてくる!」
◇◇◇
〈紅葉亭〉の二階、一番奥の客室。
廊下まで漂う湿った空気は、雨のせいだけではないようでした。
「……お姉ちゃん、大丈夫? ギルドのアリスだよ。入っても、いいかな?」
部屋の中からの返事はありません。ただ、微かな衣擦れの音がするだけ。
「……ごめんね、お姉ちゃん。心配だから入らせてもらうね。……まずは、これ。飴ちゃん食べて。少し落ち着くから」
私は鍵の開いた扉をそっと押し開け、ベッドの隅で小さくなっている影に近づきました。
差し出したのは、私のポケット常備品、ハッカ入りのミルク飴。
彼女はビクリと肩を震わせましたが、相手が子供だとわかると、震える手でそれを受け取ってくれました。
「うっ……あり、がとう……」
「甘いもの食べるとね、脳みそが『今は安全だ』って勘違いしてくれるんだって。……お姉ちゃん、アリスはただの受付嬢。ここでの話は誰にも言わないし、守秘義務は絶対に守る。だから、何があったか教えて?」
私の言葉に、彼女の張り詰めていた糸が切れたようでした。
嗚咽混じりに語られたのは、ありふれていて、だからこそ残酷な冒険者の現実。
幼馴染四人で王都の英雄を夢見た日々。けれど、現実は甘くない。
才能の差、レベルの格差。「これ以上先は危険だ」「お前のためなんだ」という、幼馴染たちの正論という名の戦力外通告。
売り言葉に買い言葉で飛び出した彼女の心には、ぽっかりと冷たい穴が開いていました。
「……そしたら、あの男たちが声をかけてきたの。『見返してやろう』って」
大衆食堂で優しく近づいてきた3人組。
「いい狩場がある」「特別にレベリングしてあげる」。甘い言葉に連れ出された先は、彼女のレベルでは到底太刀打ちできない高難易度の森。
そこで突きつけられたのは、助けが欲しければ身体を差し出せという、卑劣な運命の二択。
彼女は必死に拒絶し、装備もプライドもボロボロになりながら、命からがら逃げ帰ってきたのです。
「……あたし、冒険者辞めたい。でも、家出同然だったから、故郷にも帰れないよぉ……っ」
泣き崩れる彼女の背中を撫でながら、私は心の中で、静かに、けれど激しくブチ切れました。
(……人の心のスキマにつけ込んで、女の子を食い物にするなんて。絶対に、許さない)
私はくるりと振り返り、ドアの隙間から心配そうに覗いていた宿の女将に声をかけます。
「モミジおばちゃん! 『特製ポタージュスープ』お願い! お姉ちゃんに飲ませてあげて!」
「あ、ああ、わかったわ! すぐに持ってくる!」
「おばちゃんのスープはね、風邪の時とか、飲んだらすぐ元気になるんだよ。……それでね、お姉ちゃん」
私はエプロンのポケットから、業務用の羊皮紙と木炭ペンを取り出しました。
「落ち着いたらでいいから……その3人組の顔、教えてくれるかな?」
◇◇◇
スープを飲んで少し顔色が戻った彼女は、記憶を掘り起こしてくれました。
「お姉ちゃん、その3人組……動物に例えるなら何だった?」
「ええと……猿と、豚と……あと、目がギョロッとした河童みたいな……」
「猿、豚、河童ね。オッケー」
私は受付業務で鍛えた速記術を応用し、サラサラとペンを走らせます。
「……こんな感じかな? 目と鼻の位置は……」
「あっ、もうちょっと目が離れてて……そう、そんな感じ。……って、アリスちゃん?」
彼女が私の手元を覗き込み、戸惑った声を出しました。
「絵はすっごく上手なんだけど……なんか、可愛すぎない? これじゃあ、あの卑しい感じが……」
私の描いた絵は、まるで絵本に出てくるキャラクターのように愛嬌たっぷりの「お猿さん」と「豚さん」になってしまっていました。
私はペンを止め、ニッコリと笑います。
「いいの。可愛くて目立つほうがいいの」
私は仕上げに、その似顔絵の下に大きく文字を書き込みました。
【注意! この顔にピンときたら、レベリング詐欺!】
~甘い言葉の裏には、運命の二択が待っています~
「……アリスちゃん、これをギルドの掲示板に?」
「ううん。掲示板だと、すぐに剥がされちゃうし、男の人たちの目にも止まっちゃうでしょ?」
私は悪戯っぽくウィンクしました。
「これを貼るのはね、『女子トイレの個室の扉』と『洗面台の鏡の横』」
「えっ……トイレ?」
「そう。男子禁制の聖域。……男の人は絶対に入れないし、女の子なら必ず見る場所。この村だけじゃない、隣町のギルドのトイレにも、お掃除のおばちゃんたちにお願いして貼ってもらうわ」
トイレに入ってホッと一息ついた瞬間、目の前にこの「猿・豚・河童」の顔があったらどうでしょう。
確実に脳裏に焼き付く。そして、もし彼らに声をかけられたら、生理的な嫌悪感と共に警報が鳴り響くはずです。
「さあ、お姉ちゃん。泣き寝入りなんてさせないよ。……ここからが、私たちの反撃の時間だからね」
そういえば、と私はポケットの便箋を確かめます。
「王都の『あの方々』が、ちょうど近くの街道を通るって噂を聞いたわ」
私はお姉さんを慰めた後、こっそりとペンを握り直しました。宛先は『親愛なるバタフライ様』。お父さんの名前を使って呼び出しちゃいましょう。
◇◇◇
――そして四週間が経過した、梅雨明けの午後。
突き抜けるような青空の下、ギルドの扉がバタンと開きました。
やってきたのはカモが3羽……いえ、愚かな3人組。
ここからは、特等席の受付カウンターから、その一部始終をお送りしましょう。
3人組は意気揚々と入ってくると、リーダー格のモンクがカウンターに身を乗り出してきました。
「おい嬢ちゃん! 王都から俺達への指名依頼ってのは本当だろうな?」
「はい! 本当です!」
私は満面の営業スマイルで応じます。
「このギルドで王都から直接指名依頼なんて初の快挙ですよ! ご指名の依頼主様は、王都でも有名な資産家の方なんです。『君たちのような、将来有望で野心のある若手を育てたい』って!」
「へへっ、見る目あるじゃねぇか!」
「へっへっへ、俺たちの実力がやっと中央に認められたってわけか」
モンクとオークは、柄にもなく満更でもない表情を浮かべ顔を見合わせます。サハギンだけは金にがめついのか、卑しく手を揉んでいました。
「報酬も弾むんだろうなぁ?」
「もちろんです! 近隣の村の女性冒険者さんたちからも『あの方々の指導力は素晴らしい』って、評判がすごいですもの!」
「へぇ、あいつら、俺たちに感謝してたのか……」
モンクはいやらしいニヤつきを浮かべ、あたりを見回します。
「で、依頼主は?」
「もうお待ちですよ。まずは、実力の一端を拝見した上で契約と伺っております。……どうぞ、裏の訓練場へ」
私は「離席中」の札を掲示すると、意気揚々とする3人組を引き連れ、裏の訓練場への扉を開け放ちました。
扉の向こう、訓練場には逆光の中に立つ巨大な影が5つ。
ふわりと、濃厚なムスクの香りが漂います。
「あらァ……。あなたがたが、噂の『熱心な指導者』さんたち?」
低音ボイスと共に筋肉の影が動きました。現れたのは、煌びやかな衣装を筋肉でパツパツにした、男たち。
「あ、あんたたちは……王都の武闘派集団『夜の蝶』!?」
「な、なんでこんな高ランクの連中が……!」
モンクとオークが悲鳴のような声を上げます。
中央、リーダーのバタフライ様が一歩進み出ると、3人の肩をガシッと掴みました。
「聞いたわよォ。か弱い女の子たちを『身の丈に合わない場所』に連れて行って、放置プレイで楽しんでるんですって?」
「ひっ……ご、誤解だ! 俺たちはただのレベリングを……!」
「ええ、そうね。レベリングよ」
バタフライ様の背後で、団員たちがポキポキと指を鳴らします。
「アタシたちもね、初心者を鍛えるのが大・好・き・な・の。特に……歪んだ根性を叩き直すハードなトレーニングには自信があってよ?」
逃げ場がないと悟ったのか、モンクの顔が恐怖から逆切れへと変わりました。
「……やるしかねぇ!」
追い詰められた3人組が、破れかぶれで武器を抜きます。
「うおおおおっ!!」
オークが咆哮と共に突撃しました。しかし――。
「甘いッ!」
団員のアント様がオークの首をガシッとロック。そのまま体重をかけ、強烈なギロチンスリーパーへ移行します。
「ぐげぇぇっ……!?」
オークの白目が剥かれ、巨体が沈みます。
「死ねぇ!」
サハギンは水かきに仕込んだ刃で、バタフライ様の頸動脈を狙いました。
「……野蛮ねぇ」
バタフライ様はため息をつくと、目にも留まらぬ速さでサハギンの手首を極めます。
「刃物なんて危ないでしょ? 没収よ」
ボキィッ! という鈍い音。
「ぎゃあああ! 俺の腕がぁぁ!!」
「くそっ、この化け物がぁ!」
残るモンクが背後から飛びかかりますが、団員のビー様が両手を広げて待ち構えていました。
「はい、ナイスキャッチ♡」
空中のモンクを軽々と受け止め、そのまま担ぎ上げます。
「は、離せ! 何をする気だ!?」
「絶景を見せてあげるわよォ! アルゼンチン・バックブリーカー!!」
「ぎゃああああ! 腰が、腰がぁぁ!!」
あっという間に訓練場の床に転がる3人組。もはや戦闘不能ですが、まだ意識はあるようです。
「あら、虐めがいがあるわねぇ」
バタフライ様の巨大な影が、倒れた3人を覆い尽くします。
「素直に泣き叫んで許しを請うなら、優しいコースにしてあげたのに……」
バタフライ様は妖艶に、けれど絶対零度の瞳で微笑みました。
「反抗的な悪い子には……『地獄の底まで付きっきりスペシャル合宿』決定ね♡」
「イヤァァァァァァッ!! 助けてくれぇぇぇ!!」
ズルズルと訓練場の闇へ引きずられていく3人組。重い扉が閉まります。
「いってらっしゃーい! たっぷりレベルを上げてもらってね!」
私は満面の笑みで、静かに手を振りました。
◇◇◇
その日の夜。
〈紅葉亭〉の裏手にある私たち親子の居住スペース。
暖炉の火がパチパチと爆ぜ、食卓には湯気の立つシチューが並んでいます。
「まったく……今日は『夜の蝶』の方々が来たもんだから、ギルド中がムスクの香りでいっぱいだよ。アリス、お前も変な影響受けてないだろうな?」
スプーンを動かしながら、お父さんが心配そうに聞いてきます。
「ううん、とっても礼儀正しいお兄様たちだったよ。……お父さんこそ、変な汗かいてたじゃない」
「そりゃあビビるさ! あんな筋肉達磨たちが『指名依頼のアフターケアに来た』なんて言うんだから……。お前、何か裏で無理な斡旋したんじゃないだろうな?」
「失礼ね。すべては需要と供給の適正なマッチングよ。……ふぅ」
私はため息をついて、シチューの中の「大きく切ったニンジン」をスプーンで端によけました。
「こら、アリス。ニンジンを避けるんじゃない」
「……だって、今日のニンジン、筋っぽくて固いんだもん」
「冒険者も受付嬢も、体が資本だぞ。ほら、ちゃんと食べなさい」
「……はーい」
私は渋々ニンジンを口に運び、顔をしかめながら飲み込みました。
すると、お父さんが思い出したようにテーブルの下から何かを取り出しました。
「そうだ。今日、以前ここで世話になったという女性が訪ねてきてな。お前宛にこれを置いていったぞ」
お父さんが置いたのは、可愛らしい包み紙の小箱と、一通の手紙。
「私に?」
私はスプーンを置き、封筒を開けました。そこには、懐かしい癖のある文字で、こう綴られていました。
『アリスちゃんへ。
急にいなくなってごめんなさい。あれから実家には戻らず、王都へ行きました』
「(王都へ……?)」
読み進める私の瞳が、次第に大きく見開かれます。
『――私は今、王都ギルドの下働きを頑張っています。
私には、同じ環境の人にアリスちゃんみたいに手を差し伸べる受付嬢になるって夢が出来たの!
今回は、自分の力で貴女の背中に追いつくからよろしくお願いします、アリス先輩』
「……『先輩』、だって」
手紙を持つ指先が、ほんの少し震えます。口元が自然と緩んでいくのがわかりました。
「ん? お前、まだ8歳なのに『先輩』なのか?」
「ふふっ。年齢じゃないのよ、お父さん。……これは、プロとしての年季への敬意なんだから」
私は手紙を大切にポケットにしまうと、小箱を開けました。
中には、王都で行列ができるという『とろける蜜芋饅頭』がぎっしり詰まっています。
「わぁ……!」
「おっ、こいつは美味そうだな」
私は一番大きな饅頭を手に取り、パクリと一口。
口いっぱいに広がる芋の甘さと、優しい蜜の味。それは、誰かが前を向いて歩き出した「希望の味」がしました。
「ん~っ! 甘いっ! ……やっぱり、苦いニンジンのあとは、甘いものに限るわねぇ」
「……また大人のような口を聞いて。……で、アリス先輩? 結局、あの3人組はどうなったんだ?」
お父さんの問いに、私は饅頭を頬張りながら、悪戯っぽくウィンクして答えました。
「さあ? 今頃どこかの山奥で……『新しい自分』に生まれ変わるために、汗を流してるんじゃないかな?」
窓の外、雨上がりの夜空には満点の星。
遠く離れた王都で頑張る「後輩」と、山奥で筋肉に囲まれて泣き叫ぶ「カモたち」を照らすように、月が静かに輝いていました。
(完)
最後までお読み頂きありがとうございます。




