鬼の形相
「結局は一晩……どうじゃ?祈りはすんだのか?」
盛り上がった小山が七つ。それらの上には砕けた爪、ないしは牙が置かれている。それらに向かい、両の掌をぴったりと合わせて目をつむる。しかし、それもヘカーティアの声がかかるまで。ジャージのポケットに詰め込んだ一欠けの牙を今一度強く握りしめた。
「おう、待たせたな。ヘカーティア。」
暗闇から逃れれば、あれほど暗かった空もすでに太陽が塗り替えてしまっていた。
「ここからは話した通りじゃ、すぐそこに妾の住む村がある。ま、色々済ませたら鍛えてやろう。妾の偉大な心意気に感謝するのだぞ。ヒイロ。」
偉大に言葉を綴るヘカーティアは明るい場所で見ると四腕以外にも特徴は多々あった。額から真っ直ぐ伸びる一本角にそれを惜しげもなくさらすためのノーバング。髪色と同色のブロンドの眉は切れが良く、蛇のような琥珀な瞳と相まって勝気な顔つきを形成させる。しかしながら筋の通った鼻に薄い紅色の唇は成人した女性の大人らしい雰囲気を混在させる。平たく言えば美人。件の四腕である上腕の手は肘を張るように腰に添えられて、下腕は胸元で組まれている。
「ありがとう、ヘカーティア。じゃあ道案内たのむ。」
「応、では行くぞ。」
そこからは洞窟に対して背を向けるように歩き出し、ほどなくして整備がなされた林道に出た。その間にはいくつかの会話をしていたが、村の話になるとヘカーティアは何かを隠すように目を泳がせていた。加えて、戦いの最中に表れていた蛇のような模様についてもヘカーティアは教えてはくれなかった。
「まったく、細かいことは考えるものでもないぞ。ほれ、あの柵で囲われているのが妾の村じゃ。」
「いや細かいことじゃないと思うんだけど……って噓ぉ!?」
両端を覆う木々の間隔が広がり、薄くなってきたころしなやかな指が指し示す先を目で追えば、その先には言葉通りの柵が広がっていた。簡素な木で作られた柵。簡素な『木』、『簡』単で『素』朴な『木』。そう、それは加工がなされた木ではなく、葉を宿していない枯木。横並びの人間二人分程の幅を持ち、首を曲げなければその頭が見えぬほどの大きさである枯れ木が、緩やかに弧を描きながら植えられているのだろう。
「か、加工は?」
「まぁ言い分は分かるが、出来てしまった以上は壮観じゃの、守りも硬い。」
それは確かに守りも硬いだろう。大木が村を囲うように埋められているのだから。一見ひ弱そうな枝も隣り合う木々と絡みついて壁としての一員を果たしている。だが、それ以上に。
「守りが必要な立地なのか?昨日の……野犬とか、まさか抗争があるとかじゃないよな?」
「……ま、詳しくは村に入ってから偉大に説明してやろう。」
説明してやろうなんて言葉を吐きながら、流し目でヘカーティアは羽織っていたローブをこちらに押し付けてくる。
「ほれ、羽織っとれ。なるべく顔が見えんようにな。」
「えぇ……なんなの、ほんとにぃ?」
言われた通りに頭からローブを被って見るが、元が長身のケイレスを覆うもの。当然、丈が余る……踵にかかってしまうほど。
「それと、何を聞かれても基本は妾が偉大に答える。じゃが、もしもの事があった時は上手く合わせるんじゃぞ。」
「なぁ、因習村だったりしないよな?俺、生贄で食われたりしないよな?」
「因習じゃなんて良く知っとるのぉ。なかなか教養があるんじゃな、ヒイロ。」
偉大に関心したらしいのかケイレスは腕を組んで頷く。それにもしつこく嚙みついてやろうかと口を開こっんぐ!?
「……元気が良いの、まだ村の外だろうに。」
「シッ!」
ケイレスから伸びる右下腕の掌が気が付いた頃には口元を覆っていた。しかしそれ以上に目を奪うのはケイレスの左上腕掌が平手で受け流した長身の棒。ケイレスに棒を突きつけた人物は青色の髪の毛をなびかせてその問には答えない。
「ハァアッ!!」
ケイレスの受け流し、それを知覚した瞬間にはもう青髪の構えが変わっていた。おそらく先手は真正面からの突き刺し、しかし、今は左肩がケイレスを正面で捉えている。棒に対して平行になるような位置取り。左手のみが棒を掴み、右掌底が勢い良くその棒を押し出す。
「まじか!?」
はじき出された棒は青髪自身に襲いかかる。しかし、そんな棒を飼いならすように青髪は状態を後ろに引き、握る手を軽く前に差し出す。ほんの二手。しかし、荒れる棒は鼻先を掠めて、そこに加わるようにのけぞった腰が軸になる。時計の針が高速で振り切ったような軌道。ソレは的確に瓦解したケイレスの顎下を狙い穿つ。
「……カッカッカ。」
だが、半神は揺るがない。
「さて、これで妾は何連勝かの?アイ。」
「二千と三十八。まだまだ足元にも及びませんね、先生。」
顎下を穿った棒先はケイレスの右上腕掌が掴み、勢いをぴったり押し殺された。
「全く、挑むのは勝手じゃが妾は弟子をとらぬと言っておろう。」
「もぅ!手厳しいですね、先生は。でも!いつか絶対に弟子にしてもらいますからね!!」
腰元にまで差し掛かる青一色の髪。同時に本人の顎下にまで差し掛かるほど長い木製の棒。真白で折り目の正しい胴着、反するように真黒の袴。丸めの輪郭に収まる顔のパーツはどれも丸みを帯びていて、どこまでも柔和で幼さを強調させる。とくに、健康的な薄ピンクの唇を尖らせプンプンとでも擬音が出そうな拗ね方を筆頭に。
「ん、先生、お連れの方ですね!?一晩いないと思ったら~ご客人ですか?」
そんな、丸みのあるコバルトブルーの瞳がローブ越しでもわかるほどまじまじとこちらを見つめてくる。ソレから逃れるようにケイレスへ視線を向ければ、相分かったと言わんばかりに小さく瞬きが帰ってきた。
「こ奴はヒイロ。ちょいと妾が預かる事にした者じゃ。」
「預かるぅ?」
軽やかな眉は訝しみで水平をまたぎ、アイと呼ばれた少女の眉間にシワが寄っていく。
「あっ、あれですか!?迷子みたいな?」
しかし、それもつかの間。ポンと手を打ち合わせて再び明るい笑みを浮かべる。まるで百面相だ。
「んや、弟子じゃな。」
「え?ちょ「アァン!!!?」
頭頂部から空に向かってビキビキと鋭い角二本が姿をあらわす。柔和な笑みはどこへやら顔中がシワでガチガチで固まり、まるで鬼のような形相が眼前に迫った。
「ひっ。」
というか、角があるし実際に鬼なのだろう。そんな感想を抱けるほどその形相は緩くなかった。後十年程、夢に思い返してしまいそうだった。それほどまでに本当に怖かったのだから。