生存方針
相対したのは、四腕の半神と四つ足の獣。一対七。余りにも極められた個と研ぎ澄まされた数。そこで巻き起こるのは血で血を洗う激闘だと、そう、考えていたのは余りにも短い束の間だった。
「は、ははっ。……まじかよ。」
先に吠えたのは半神。一拍遅れて獣が三匹飛びかかる。最も高く飛んだ最初の獣が視界を覆い、後続の二匹はそれぞれ左右の足をめがけて牙をむく。当然、残された四匹はただ見送るのではなく、洞窟内の制限された空間を感じさせないほど身軽に駆け出してゆく。
「狩って見せろ!戦士であるのならば!!」
決して落ち度はない。獣は爪を研ぎ、牙を磨き、手にしえぬ知恵を経験と本能で埋め合わせて見せた。そうして生まれ持った筋力と俊敏を存分に使い果たして挑んだのだろう。風前の灯火を誇りと矜持で補いながら。
「ガウウウウウウウウッ!!!!」
その上で、半神は全てを凌駕した。
飛び上がった一の頭部を握りしめた左下腕の拳で薙ぎ払う。
右足を狙った二の脊椎を握りしめた右下腕の拳でたたき折る。
左足を狙った三の脊椎を握りしめた左下腕の拳でたたき折る。
「……。」
瞬きの間に消えた三人を置き去りに、半神は四匹へ疾しる。
牙を剝いた四が開かれた顎ごと腰の入った右回し蹴りで壁に打ち付けられる。
爪を出した五が右下腕で打ち上げられる。
低く地を駆ける六が左足で踏み抜かれる。
最も正面から挑んだ七は固く握られた左下腕の拳で打ち落とされた。
「良き、偉大なる矜持であった。余は貴公等を戦士として認めよう。」
辺りに散乱する死と濃密な血の香り。しかし、息を上げることもなく、背面に刻まれた黒い蛇のような図柄を黙して示す半神に対して嫌悪感はただの一つもなかった。
「す、凄い……。」
当然、地に落ちた戦士に対しても。
「カカカッ、死を前に見惚れるか、ヒイロ。妾が偉大に認めてやっても良い資質じゃな。」
踵を返してこちらに笑いかける彼女には、あの自然物のような威圧感はなかった。戦いの場と、そうでない場で微細な違和感を抱くが今はそれよりも冷めえぬ熱が先立つ。
「見惚れたのは、死じゃなくて生き様……矜持?なのかもしれません。なんていうか……すいません、自分でも良く分からないです。」
「ほぉ……そうか。」
今はまだ、この感情を指し示す言葉がこの世界にはない気がした。それでも彼女、ケイレスは何かを察したように呟いて押し黙る。
「……この外って、すぐそこなんですか?」
そんな沈黙を破って声を挙げる。
「ん?ああ。少し暗いがすぐそこじゃの。村から外れた山の麓に出る。……出るのか?」
「少しだけ、寄り道しますけど。」
そう、言い残して倒れた戦士に手を伸ばす。骨が折れ歪な背中を抱えたもの、砕けた牙を散らすもの、壁にもたれかかり瞳を閉ざすもの。
「妾が偉大に問おう、ヒイロ何をするつもりだ?」
背後からかかる声に、どのようにして答えたものか。まだ暖かさを失っていない両前足を掴み背中に遺体を背負いあげる。相当の重さを覚悟していたが持ち上げられぬほどではなかった。
「寄り道……弔いたいと、思ったんです。」
「弔い?妾の偉大な忠告がなければ貴公をかみ殺していたいたのだぞ?」
毛の艶はなく、あれほど勇ましかった四肢もよく見れば骨ばっていて浮き出たあばらが背中をこする。
「多分、勝てないのは分かっていたんだと思います。だいぶ飢えて瘦せこけてる。本当に俺を殺すつもりだったなら、目を覚ます前に食っていてもおかしくなかったと思います。」
伸びた体は背中から大きくこぼれて後ろ足が一歩進める事に地面にこすれる。
「憩いの場って言ったましたよね?そんな場所に居座らないと思うんです。手前の人間一人殺して得る多少の延命よりも、自分達の誇りを貫けるうちに貴方に立ち向かったと思うんです。」
「……カカ。なかなか豊かな妄想じゃな。」
また、こすれる。
「そう、ですね。妄想かもしれない。非現実に感化された一過性のものなのかもしれない。それでも、それでも俺は……あ。」
「ん、なんじゃ?」
今はまだ、その言葉を知らない。そのように考えていたが、実のところは簡素なものだったのかもしれない。圧倒的な武に目を奪われ、誇り高い生き方に心を引かれ、死を前に恐怖以外のものを抱く。複雑に感じた、一貫性のない感情。それでもこれは間違えていない感情だとおもう。
「憧れ……なのかもしれません。」
圧倒的な力を扱うことができたのなら、誇り高い生き方を貫けたのなら、その先で満足のまま死ねたのなら。
「正直まだ、夢か幻だと思ってます。こんなよくわからない世界で一人で生きていくなんて考えただけでも怖い。」
何とも子供っぽい感情だと、笑ってしまってもおかしくない。
「けど、元々いた世界で熱中できることも、目標もさしてなかったし何より生き方なんて定まってなかった。」
それでも、人は子供から大人になっていくわけで。いい年をこいて子供にもなれていなかったのだから、子供っぽいくらいのほうがちょうどいいのかもしれない。
「笑っちゃうくらい意地汚いですけど、せっかくなら恰好よく生きてみたいと思ったんです。だから、まずは弔いたい。先だった師匠みたいなもので、尊敬してるんです。この戦士も、勿論ケイレスさんも。」
刷り込みだと言われればそれまでだろう。異世界で右も左もわからない自分に唯一たたきつけられた生存方法。無垢な白布が何色にでも染まりやすいように、戦いという衝撃が大きい色に染められてしまったと結論付けられもする。
「クッ。」
「ぜぇ、な、何か言いました?ケイレスさん。」
たかだか数歩でも、すでに膝が笑っている。
「クカカカカカッ!!そうか、そうか!憧れか!!カカカカカッ!」
ローブを拾い上げたケイレスは愉快気に腹を抱えて声をあげる。洞窟内で反響する笑い声が重なって彼の戦士の咆哮を想起させる。そんな独唱はしばらく続き、ケイレスはやがて目の端に溜まった涙を指ですくう。
「クカカ。ヒイロ、貴公の世界がどうであったかは知らないが戦士を弔う時は土葬が基本だ。一人を担いでその調子であっては三晩あっても足りぬ。妾が偉大に付き合ってやろう。」
「あ、ありがとうございます。」
軽い調子で残りの六人をケイレスは一気に抱えあげる。
「それと、その様な口使いはこそばゆくてかなわん。もっと砕けた口調でよいぞ。これからは一緒に過ごしてゆくわけじゃしな。」
「わ、分かった。」
不満げに唇を尖らせるケイレスに軽く頭を下げれば、またも豪快に口を開けてカカカと笑みを浮かべる。
「……?え?一緒に?」
「加えてだが、ケイレスは戦名じゃ。妾の偉大な真名はヘカーティア。間違うでないぞ。」
一言残して、ヘカーティアは大股でずいずいと先に進んでいく。
「ヘカーティア!間違ったのは謝るけど、ヘカーティア!?一緒にってなに!?」
そんな、声だけが反響した。